『ろばや』のブログ

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カフェ。

2015年10月16日 | 旅行
インドシナ半島はベトナムのディエンビエンフーの戦いを最後にフランスは撤退しましたが、植民地の影響で珈琲の産地となりました。

タイやベトナム、ラオス、ミャンマーなどと共に中国南部の雲南省も珈琲の産地です。1990年頃、州都の昆明にちゃんとした珈琲を出すカフェがありました。一般に珈琲の産地では、良い品質のものは輸出に回し、地元では2級品を飲むもの。豆のばらつきや欠点豆をごまかすためなのか、焙煎は深く煎った珈琲が多いと感じます。

1990年というのは今の中国とはまるっきり異なる風景がありました。日本から持ってきたと透明のプラスチック傘は周囲の好奇の眼差し。買い物用のプラスチックバッグは糸と針で補修。南京駅前にある玄武湖の貸ボートはゴッツイ鉄のように見えました。外国人専用のお金があり、配給の「リャンピョウ」という食券まで売り買いされていました。上海の南京路という中心街は、夕方には薄暗くこれがメインストリートと驚くような時代でした。

ホテルも調べもせずに「空きはない」と言われ、お客であるボクらが空き部屋を探し、1階のカウンターへ行き、「あそこが空部屋いる」と教える時もありました。旅行者にはとてもスリリングな国でした。

お茶の国なので、珈琲など真っ当なものに出会うことなく、昆明でその珈琲屋に突然と出会ったことは喜びでした。

細長い2階建ての木造作りの長屋でした。2階がカフェで、これ以上シンプルな作りはないという殺風景な部屋で、メシメシ、ギュウギュウと軋みを立てて2階に上がるのです。浅煎りにも耐えうるおいしい珈琲でした。何度も通いました。約10年後、その場所を探したのですが、あの「炭住」のような細長い長屋も、カフェも見つけることはできませんでした。

建物も、床も天井も、テーブルも全て木のカフェ。たぶん、国立競技場の樹齢100年を超す木々1500本がバッサリ切られるよりたやすく、長屋は壊されたのだと思います。小さなカフェひとつが町の魅力を増すこともあるんだと思いました。(トモ)

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