第57日目 リバプール・クルーズ・ターミナル着岸 10月18日(水)
入港:12時 出航:19日 19時
天候:
気温: 日の出:7:42 日の入:18:13
曇り、晴れ間も見える、穏やかな天候。飛行機雲がいく筋も見えた。
咳はだいぶ治る、時々むせる程度。昨日寝る前は弱い薬を服用する。
8時、カミさんに起こされたが2時間眠ることにする。
10時、起床、まだ眠いが頑張って起きる。カミさんが持ってきてくれた朝食、ソーセージ、玉ねぎの揚げたもの、野菜、フルーツ、コーヒー牛乳と昨日の残りのパン、卵を食べる。
船内放送でボルドー寄港が水先案内人組合から安全を確保できないとの通知があったことから、寄港中止とする、代わりにルアーブルに寄港するとのこと。
予定 10月21日 13:00入港 22日 17:00出航
*全てのツアーは中止、幸いツアーに申し込んでいなかった。
11時、陸地が見えてきた、住宅が見える
11時30分、風力発電機2機と港が見えてきた。巨大な施設(サッカー場?)が建設中、遠くにも大きな施設(サッカー場?)が見える。古い建物と新しい建物が混在している。
12時00分、着岸、川の河口のリバプール港、カミさんは朝食のため14階へ。
12時45分、上陸許可の放送、カミさんは昼食から帰る。
13時30分、上陸、乗船してくるクルーズ船のスタッフと入れ違う。クルーズターミナルで地図を入手、質問すると係の人が教えてくれる。近くで分かりやすいことあって今日の行き先を博物館とビートルズ・ストーリーにする。
眼前に巨大な石造りの建物が3棟並んでいる。由緒ありそう、地図には名称が載っていない。(地図にはTHE THREE GRACESと表されていた)通り過ぎると、人だかり、ビートルズの彫刻前で記念写真を撮るために並んでいる。皆、ビートルズファンになったようだ。少し離れた所で髭を生やしたストリートミュージシャンがギターを弾きながら歌っている。上手い、カミさんは小銭と CDを渡す。頑張って欲しい。
ドックに2隻(1隻はスクーナー船、もう1隻は動力船)の船が展示されている。船には乗れない。ドックは水を抜いてあるので船の固定状態がよくわかる。(地図ではMERSEYSIDE MARITIME MUSEUMと表示)
次に近代的な建物「リバプール・ミュージアム」(MUSEUM OF LIVERPOOL)が出現、早速入る、入場は無料。先史時代から現代までリバプールの歴史が分かる。沼地で発見された足跡のレプリカ、その一つに「踵が沈んでいるので何か重いものを持っていたのだろう」との説明を読んで、時代を超え近親感を感じた。
石器は日本との共通性(と言うより一緒)を感じる、細石器あったので説明にはなかったが日本と同じ様(木に細石器をつけて刃物として使う)に使ったのだろう。石器加工技術は伝播したこともあったが各地で自然発生的に生み出されたのではと想像する。
リバプールが造船の街として発展した様子も紹介されている、たくさんのドックがあったこと、関連産業も発達し、鉄道もひかれ工業国として最先端を行っていたのだろう。
次に、ドックの跡地を商店街に最開発した「ALBERT DOCK」に入る、大きな池(かってのドック)を昔風の赤煉瓦の建物が囲んでいる。カミさんは実演販売するチョコレート屋さんを発見、若い男性が一人で実演し販売していた。何回も捏ねて形を整えていた。
更に進んで行くと人が集まる一角に出た。看板を見ると「The Beatles Story」の看板を見つける。入場しようとすると外にいた職員に15分待ちと言われる。小雨がぱらつき始めた、そのせいか早めに入場することができた。入場料金は二人で30ポンド、入ると日本語解説付きオーデオを渡される。会場は狭い、なるほど入場制限する訳を納得、順番に見て解説を聞く。ビートルズ誕生のきっかけからスタート、解説だけでなく関係者の声も聞ける。ギターのコードも知らない状態から始まったことに驚く。音楽の知識はなくとも才能豊かな彼らは作曲と演奏活動を進める。最初の活動の拠点「Cavern Club」も精密に復元されている。ステージは狭く(天井も低い)、全体がアナグラのよう。ここで演奏活動を続け、その才能を見出されることになる。そしてハンブルグへ活動を広げる。レコードが売れ始め、人気は高まっていく。ついにアメリカへ、メンバーの思い出に「空港に着いたらエンジン音が聞こえたが止まない、それはビートルズを迎えたファンの歓声だった」とあった。ビートルズ人気はこの頃からは私も分かる。そして日本で演奏することになるが日本での熱狂ぶりはここでは紹介されていない。ビートルズの晩年も詳しく紹介されていた。薬の飲み過ぎで亡くなったメンバーの墓も再現、オノヨウコとその子供の写真や丸メガネ(実物か)もあった。ショップでカミさんが息子にシャツを購入。しっかり見て聞いたのでくたびれた。「The Beatles Story」は狭く、暗い、展示も再現を主としたせいか少し見世物小屋っぽい印象が残った。展示次第でもっと良くなると思った。
ビートルズ・ストーリーがあるビルの裏側に「戦争博物館」と「奴隷博物館」の表示があったので入ってみる。両博物館も規模が小さく気軽に見ることができた。戦争博物館は日本にも欲しい、無いことが不思議だ。奴隷博物館は奴隷貿易で栄えたリバプールの反省を込めて造られたと思えた。奴隷貿易でイギリスが莫大な利益をあげ、産業革命につながった。一方でアフリカは奴隷貿易で人口が減り経済発展が遅れ貧さから逃れられない状況が今でも続いている。
パネルで奴隷貿易で莫大な利益をあげた奴隷商人がパネルで紹介されていた。
PW号の側の3棟の古い建物まで戻り、繁華街を目指す、途中に教会があり、明かりも点いていたので入ることにする。聖歌の練習が聞こえてきた。質素な感じの祭壇、天井の木造が剥き出しなのが珍しい、カトリックではない様に感じた。Parish Church とあった。カミさんは願いを書いて掲示板に貼り付けた。(椅子を片付けていたおじいさんに教えてもらって)
繁華街へ行くのはやめてアルバートドックのそばにあったパブ「PUMP HOUSE」へ行く。ビール OLD MOUT CIDER Bennies & Cherries)とAMSTER BEERを飲む。OLD MOUT CIDERは果物の香りと味があり美味しく感じたがカミさんは否定的だった、MSTER BEERは普通の軽いビールだった。5時前からどんどん客が入ってくる、ビールを注文し仲間と賑やかに飲んでいる、話し声が店全体を包んでいる。仕事帰りの楽しみなのだろう。
17時10分、少しほろ酔い気分で船に帰る。今日も頑張った?
第58日目 リバプール・クルーズ・ターミナル着岸(2日目) 10月19日(木)
予定 定期観光バスで繁華街を車窓から見て、メトロポリタン・カテドラル見学、アングリカン・カテドラル見学、ビートルズのゆかりのCaverm Club見学とする。
一面の雲り空、時々雨が降る。
8時、起床、眠れなかったので寝起きが辛い。
8時30分、朝食、パン、茹で卵、サンマ、肉料理、レタス、キャベツ、ニンジン、コーヒー牛乳
9時20分、帰室、腹の具合が悪い、既に4回トイレ
10時30分、お腹の調子が良くなったので下船する。
アルバート・ドックから定期観光バス(City Explorer Liverpoal)黄色路線のバスに乗り、2階に上がる。見晴らしが良い、若い男がマイク片手にガイドをしていた。走行中黙ることは無い、喋りっぱなし。言っていることはほとんど分からない。
4番、リバプール世界博物館前で降りる、博物館の建物の右手にあった図書館に入ってみる、外観と違って中は明るく、開放的空間。子供用の施設(本を読んだり遊んだりできそう)も併設されていた。カフェもあった。トイレを拝借する。綺麗で気持ち良い。
移動してミュージアムへ入口付近に小学生がたくさん集まっている、遠足か。中に入ろうとしたらまだ入れないとのこと(多分、そう言ったのだろう)
バスが来るまでミュージアムの前の公園を散策、日が当たると木と芝生の緑が美しい、枯れ葉が落ちているが緑も残っている。落ち葉2枚(楓と樫か)収集する。汚いと言っていたカミさんも慣れたか、今回は何も言わず、形が綺麗な葉を探してくれた。
バス停に戻ると黄色いバスが来る、ミュージアムを見ると人が入って行く(開館したのか)残念だけど諦めてバスに乗る。見物を予定していたメトロポリタン・カテドラルは近代的で魅力が感じられなかったので車窓から眺めるだけにし、リバプール・カテドラル前で降りる。この判断が良かったことが後で分かった。
リバプール・カテドラルは外から見ると何とも大きな教会だ、中に入ると高い天井と巨大な空間に再度驚かされる。ステンドグラスも空間が大きすぎて何が描かれているのか分かりにくい。(ステンドグラスまで距離がある)受付で私たちを見ていた職員が日本語のパンフレットを渡してくれた。日本人だと分かったと言うこと?
祭壇を見るとミサを挙げているところだった、司祭と十数人の信者が見えたので私たちも前の席に座る、ミサは後半で聖体の聖変化が終わり聖杯拝領が始まった。信者は前の席(拝領のための席)に移動しひざまづいて聖体拝領している、私たちもその席に移り、同じようにひざまづいて司祭からパンをいただく、続いて奉仕者から御血(ワイン)もいただいた。何という幸運、メトロポリタン・カテドラルを見ていたら聖体はいただけなかっただろう、予定変更が幸いした。ミサが終わり、司祭と一緒に写真を撮らせていただいた。日本から来ましたと挨拶し握手をする、大きな暖かい手だった。カミさんは祝福を受けていた。後から司祭は優しい目をしていたと言っていた。
付属の売店でお土産を買ってカテドラルを出た、教会で奉仕活動をしている障害がある少年がニッコリ笑って見送ってくれた。何か暖かい気持ちに包まれた感があった。
また、黄色の定期観光の路線バスに乗り、中華街や賑やかな繁華街を通って出発地に戻る。
昼食を摂るために繁華街を目指す、Chaloner Steetを横断してヒルトンホテル前(LIVERPOOLの大きな看板があり、観光客が記念撮影している)を抜けるとファーストフード店が並んでいる一角に出た。その中の「PRET」に入る、ホットラップ(熱々のサンドイッチ)、Chiken&Basil Hotwrapとカレーぽい味のHotwrap、ボリュームたっぷりのスープ(甘酸っぱい、香辛料が効いたカレーのような熱々スープ、赤い色をしている)を頼む。支払いはカードだから簡単。ホットラップは思った以上にボリュウムがある、半分づつ食べる。スープも見た目以上のボリュームがあったのでHotwrapは一つで良かった、いつも頼みすぎる。イギリス人には丁度良い量なのだろう。
食後、繁華街を散策、飲食店、衣料品店、化粧品店、宝飾店、土産屋など軒を並べる。道路は広く歩きやすく、地元の人や観光客で溢れている。そんな通りにもホームレスが多く見られた、驚いたことに若い女性もいた、「私は職を探していますがありません、今、空腹です。」と言ったことが書かれた段ボールを持っていた。他にも数人若者と中年の白人だった。ベンチや植栽の片隅に小さなテントがいくつか置かれている。もしかしたらホームレスのネグラかも知れないと思った。
尿意をもようしたのでいつもの様にファーストフード店を探す、何回も利用している「COSTA」を発見、店は衣料品屋さんの3階にあった。ついでに衣料品も見て回る、男物のシャツを見たがセンスが良いと思った。値段は5、6千円、バングラディッシュ製だ。欧米に限らずトイレで困ったらファーストフード店を利用すると良い、分かりやすい場所にあり、綺麗だ、基本的にはコーヒーを飲んでトイレを借りるべきだがトイレだけでも問題ない。ファーストフード店も進化していて注文はディスプレイでする様になっていた。支払いはもちろんスマホアプリかカード。現金は扱わない店もある。海外旅行に現金がいらない時代(両替が不要)が来ている。
食器屋さんがあったので覗いてみる。陶器、ガラス、木製品、リネンなど扱っている。モダンなデザインで低価格志向、無印良品、ニトリの様な雰囲気の店だ。日本の商品と比べ高い(日本が安すぎるのかも知れない)小さな焼き物の皿でも10ポンド(1800円位?)日本では300円程度(ニトリ)か?
4時を過ぎたのでお土産にするチョコレートを買いにアルバートドックへ戻る。先客がおり、賑わっていた。試食する、程よく甘い、チョコレートと何か混ぜた商品のようだ。6袋購入する。カミさんのお土産熱は冷めることが無い、どこに行ってもお土産を探す情熱は消えない。
船に帰る前に、昨日行ったパブ「PUMP HOUSE」へ行く。「ナンバーワンとナンバーツービール」と言って注文するとPEROM とEstrella(スペイン、バルセロナ)を推薦してくれた。昨日と同様、5時前にも関わらず客が入って来る。ほとんどの客はグループ(男だけでなく女性も混ざっている)で大きなカップでビールを飲み話をしている。会社のことかサッカーチームのことか家庭のことか社会問題か?中には一人で飲んでいる人もいた、中年と老年の境にいる小柄な男、椅子に座らずカウンターに寄りかかり静かにビールを飲んでいる、飲み終えたので帰るのかと思ったら又注文していた。周囲を見ると一人飲みも数人いた。店の雰囲気を楽しんでいるのか?5時前に店を出る。
雨が降り始め、傘をさして船を目指す、地元の人はあまり傘をさしていない。濡れて歩いている。ターミナルはごった返している、入船できないようだ。ターミナルの土産屋さんは待機しているお客さんの買い物で大賑わい。、余ったポンド(8ポンド?)を使い果たすために土産を探す、カミさんが3点選び釣り銭なしの買い物をしてくれた、すごい能力だ!
しばらく待って入船開始、思い残すなく船に戻る、5時だった。部屋で荷物の整理をし少し休む。
7時、夕食、おにぎりに挑戦(海苔を茶碗の底に2枚ひいてふりかけご飯をのせ少し潰して海苔を2枚のせる握るように押して成形)、味噌汁、レタス、キャベツ、ニンジン、オレンジ、スイカ、紅茶
8時、帰室、記録の整理
リバプール港着岸風景
着岸した埠頭
ビートルズが迎えてくれました。
記念撮影のスポットになっています、皆さん写真撮影の順番を待っています。
ビートルズ像の隣で歌うストリートミュージシャン
海事博物館(Marintime Museum) 船が2艘展示されていた。
三本マスト補助スクーナー船 40年間、貨物、石炭、木材、石材をリバプールやアイルランドに運搬していた。
乗組員は5名、少年1名(説明パネルから)
ドックと船の固定方法が分かる。
海事博物館の説明パネル
リバプール出身の勇敢だったタイタニック号の機関士の慰霊塔
説明パネルの概要「記念碑は1912年4月15日、処女航海中のタイタニックが沈没した際、命を落とした244人の機関室のスタッフに捧げられた。彼らは他の人たちが生き残れるように持ち場に長くと留まり電力やその他の設備を供給していた。」
博物館の展示品(古代人の足跡、重いものを持っていたのか足跡が深い)
石器(縄文時代の石器と変わらない、石器は世界共通か?)
展示品 植物、細石器など
装飾品など
入歯(昔から人類は歯で困っていた)
中世の食器
磁器(中国製?交易があった)
産業革命を推進した蒸気機関車
リバプール鉄道(Liverpool Overhead Railway)世界初の電気高架鉄道、自動信号、電気色光信号などを初めて使用、鉄道駅に最初の旅客用エスカレータが設置された。最先端の鉄道と言える。1893年3月6日開業、全長11km、ドックの従業員用か?1956年大規模な修理が必要になり1956年、廃業、翌年解体。
路線図、10kmに渡たる数多くのドックを結んでいたことが分かる。
ローラースケート
第一次世界大戦時の有名な新兵募集ポスター、これで300万人の兵を集めることに成功した。指をさしているのは当時の陸軍大臣、ホレイショ・キッチナー (Wikipediaから) ヒットラーはイギリスのプロパガンダを高く評価していた。
不思議な展示物、原始人と現代人が対峙?
博物館からの展望、パシフィック・ワールド号が見える。
マージー川の柵(不思議な風景)
近づいたら鎖に無数の鍵がぶら下がっている。縁起物と思われる、昔、中国のウルムチに行った時、同じような風景に出会った。ガイドから男女が結ばれますようにとの願望の意味と説明された。
ホットドック屋さん
モダンな家具が目についた。
こんな彫刻も
ビートルズ・ストーリー(地下にあります)の入口
展示物
スター・クラブ
若し頃の写真
なぜか福助が
仕事場
ビートルズ・ストーリーのトイレ、イエローサブマリン?
再現されたキャラバン・クラブのカウンター
キャラバンクラブ(再現)ビートルズが演奏した小さなステージがある。
当時の写真、ネクタイしている!
通りを再現(怪しげな雰囲気が出ている)
ジョンレノンのメガネ
UP
ヨーコと子供の写真
カフェと土産屋さんもあります。
奴隷博物館展示品
同、足鎖、手鎖
同、奴隷船(狭い空間に押し込められた)
同、クークラックスクラウンの服装
トーマス・レイランドはリバプールの奴隷商人の一人、1782年から1807年の間に70回以上の航海で25,000人を輸送した。レイランドはリバプールで最も裕福な人物の一人レイランド・アンド・ブリンズ銀行を設立
戦争博物館の展示写真
同、展示品
パブ「PUMP HOUSE」
ビールサーバー、10種類選べます。
ビールがうまい
<翌日19日>
リバプール世界博物館
博物館に隣接されていた図書館、子供用と思われる空間が多い
図書館の内部空間
日本の漫画のコーナー
リバプール・カセドラル、巨大な教会だった。
聖堂内の空間も物凄い、人物と比較して下さい。
ミサ風景、聖杯拝領は祭壇前の椅子で受けます。
司祭と記念写真を撮りました。
ファーストフード店「PRET」でカレー味のスープとホットラップはボリューム満点でした。
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