私の愛読書、宮本常一「忘れられた日本人」の中にある「対馬にて 寄りあい」を紹介します。ものごとを決めるということの本質を私たちに教えてくれます。
宮本が古文書を借りたときの体験です。古文書を貸して欲しいと村の肝煎りに頼むと寄り合いにかけなければいけないと言われ待っていたがなかなか戻って来ないので宮本は寄り合いに行ってみた。
村での取り決めを行う場合はみんなが納得いくまで何日も話し合う。そのやり方は一同集まって区長から話を聞き、それぞれの地域グループで話し合って区長にその結論を持って行く。もし折り合いがつかない場合はまた自分のグループに戻って話し合う。古文書の件も話題の一つで結論は出ていなかった。話し合いは貸す貸さないと言うものではなく古文書についての四方山話が中心で結論は容易に出ないと思われた。1時間ほど話し合った後、「せっかくだから貸してあげては」と提案。すると「あんたがそう言われるなら、もう異存はなかろう」と一人が答え、区長が「それでは私が責任をおいます」と言い、宮本が借用書をかくと区長がそれを読みあげ「これでよそしゅうございますか」と言い、座のものは「それで結構でございます」と声があがり古文書をわたされた。宮本は帰ったが別の話題の協議は続けられた。
このような寄り合いは結論が出るまで、場合によっては徹夜で話し合われたが3日でたいていのむずかしい話もかたがついたと言う。みんなが納得いくまで話し合った。だから結論が出ると、それはキチンと守らねばならなかった。話と言うのは理屈をこねるのではなく一つの事柄について自分の知っているかぎり関係のある事例をあげていくのである。
宮本常一「忘れられた日本人」岩波文庫より
ものごとを決めることは誰もが納得し、同時に責任を持つことであることを知らされます。一方的に決められ、不満が残ったら農村共同体は機能しなかったのだと思います。皆が仲よく暮らす知恵を持っていた日本人に勇気をもらいました。この知恵を原発の問題などにいかせたらと思います。全国民(政治家、行政、学者、企業、住民)が数年かけて徹底的に話し合い結論を出し、全員で責任を負うようなかたちで結論が出せたらと思う。
「忘れられた日本人」は何度も読んで、その度に感動を新たにしています。「忘れられなかったこと」をまた、紹介したいと思います。
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