4月8日(土)
6時過ぎに甲板に行くと既にラジオ体操が始まっており我々も加わった。続いて行われた太極拳にも加わることにした。航海が終わるまでには一通りできるようにしたいとのこと。皆熱心に取り組んでいる。
久しぶりに天気が回復し日の出が見られた。朝食後妻は英会話説明会に参加、私は海が見えるソファーでゆっくり読書。
昼食後は昼食で一緒になった人から勧められて2時から3時30分まで「アイヌ民族を語る」に出る。講師の思い込みが強く伝わって来ない。4時からはベトナム戦争を体験したベトナム女性の講演「私の生きたベトナム戦争」を聞く。場所が悪く、スライドが見えず聞き取りにくかったが体験の迫力が伝わって来た。「ベトコンの死体を見ることは日常的であったが、ベトコンに参加した自分の兄ではないかと思ってしまう」、「兄は村を守るために敷設した地雷で亡くなった」一市民として体験した戦争の悲惨さを伝えていた。
和食の夕食後は世界の民族楽器を使った演奏(8時45分から9時15分 KOH -TAO LIVE)を聞く。不思議な音と容貌(インド人のような長い髪と服装)、普段はけっして聞きに行くことはない演奏会であった。
夕方から波が出て船は揺れる。
写真のデータを整理し、つけ忘れていた航海日記を1時過ぎまで書く。シャワーを浴びて1時30分就寝。
美しい日の入りを見物 講演会風景
4月9日(日)
起きたら6時30分であった。7時前に洗面を済ませデッキに向かう。ラジオ体操はあきらめていたら1時間の時差調整を忘れていた。15分ほどジョギングをして6時20分からのラジオ体操に参加する。かなり蒸し暑い。
終了後、窓際の席でモーニングコーヒーを飲み休息する。7時になったのでそのまま朝食をとる。空いている席に2人座る。一人はピースボートのボランティアをした経験を持つ70歳くらいの方、野球が好きで野球をテーマにした自主プログラムを計画とのこと、長島に似ており、草野球のメンバーからも言われるとのこと。もう一人は飛鳥にも乗ったことがある方で富山から来たとのこと。4人で話が弾み気がついたら8時30分だった。
部屋に戻ると掃除は終わっていた。トイレに入りしばし休息して10時からの昨日の続き「枯葉剤ってなあに?」を聞きに行く、前回は場所が悪くパワーポイントが見えなかったので早めに中央の席を確保した。枯葉剤の種類と使用した量、その影響でがん、四肢欠損等で苦しむ人々について、大変つらい内容であった。
午後は3時10分からダナン上陸説明会、4時50分からはプショナルツアー「フエ子どもの家を訪問」の説明会に出席。部屋に帰りベトナムを舞台にした映画「天と地」を見る。美しい農村に住む農民一家が戦争に巻き込まれサイゴン政府とベトコンの両方から悲惨な目にあいながらも懸命に生きる女性の話。7時30分から夕食を食べ、8時45分から大道芸の世界チャンピオンになったキム・チャンヘンのトークを聞く。在日朝鮮人3世として京都の朝鮮人街に生まれ母親から一番になれと教えられ、一番になることがあたりまえで、なれなくて母親から折檻を受けても自分が悪いと思った、だから虐待とは思っていなかった、とのこと。中学校から日本人が多い学校に転校し、生徒だけではなく先生からも陰湿ないじめに遭う話は同じ日本人として悲しい。彼は自分のことを日本人とも、朝鮮人とも思っていない、強いて言えば関西人と言う。最後にヨーヨーのパフォーマンスを見せてくれた。その後、22時30分から「沖縄現代史を学ぶ」に出たが23時で眠気のためギブアップ。今日も時差1時間調整をする。
4月10日(月)
朝のラジオ体操に参加する人が増え、デッキが満員状態。終了後ヨットクラブで朝食、日差しが強く感じる。食後、部屋に帰る、クーラーが効いた部屋は気持ちがよい。10時から「ベトナムの文化」講演会に参加。山岳地帯、沿岸地帯、デルタ地帯に人口8000万人で87%を占めるベト族から数百人しかいない少数民族まで54民族が暮らすと言う。ベトナムの神話では全て1つの祖先から別れたとされるが父系制あり母系制あり、一夫一婦制あり一夫多妻制あり、習慣、文化、住宅は多彩である。
昼食後、部屋で休む、二人とも疲れのせいか寝てしまう。夕食前にダナンEコース参加者打合せに出席する。子どもの家での交流会で披露する演し物を歌「さくらさくら」、「上を向いて歩こう」等と決めた。夕食は焼魚/鰆、煮物/ごぼう、人参、鶏肉、吸物/しめじ、舞茸、餅、デザート/桜餅。
夕食後、7階を散策し、「なつかしの歌」、「社交ダンス」、インターネットを覗く。
船内のショップ/ 菓子、日用品等揃っている ピースボートセンター/ 自主企画イベントを受け付けている