定年夫婦の暮らし方(店長日記)

盛岡に住む定年夫婦(昭和20年生)の暮らしを分ち合います。

2006年ピースボート世界一周の旅42/アカフトラ(エルサルバドル)2

2008年07月03日 | 思い出の旅行
エルサルバドル アカフトラ港(2回目)

 次に「BAJO LEMPA」が支援している農村共同体「ラ・サバナ・コミュニティー」に向かった。本線を東に少し走り、右折して未舗装の道路を進むと女性と子供が集まっている広場が現れる。我々が広場に入ると地元住民との交流会の開会式が始まる.
「BAJO LEMPA」の代表、この地域の代表、2つのコミュニティーの代表の挨拶があり、ピースボートの村上さんの挨拶がある。地元は外国人との交流は初めてで戸惑いもあるが多いに歓迎するとのことであった。トイレ、シャワー事情やデング熱病等だいたいの様子はバスの中で聞いていたので不安と戸惑いは我々も同様であった。


       農村共同体に到着


        交流会開会式

 開会式後、ホストファミリーが紹介されてそれに我々が希望する方法でホームステイ先が決められる。私は最後の方で70歳位に見える女性にお願いする。その女性は小さな女の子と中学生位の女の子を連れてきていた。スペイン語会話集を使って自分の名前を言って、ホストの名前を聞き出す、小さい子はジョアンナ(5歳)、中学生位の女の子はソラヤ、老人はマルタで2人の女の子は孫であることが分かった。
 夕方からの始まる交流会の前にホスト宅に行って荷物をおいてくるよう指示される。
 上の女の子がリュックを持ってくれる。ホストの家は集落の一番奥で有刺鉄線で囲まれた敷地にブロック製の小さな住宅が建っていた。住宅は1部屋で中にベットが3台、冷蔵庫、テーブル、テレビ、衣類入れがある。テラス部分には食事用テーブルとプラスチックの椅子、ハンモックがある。家の隣に小屋がありベットが1つ置いてある。
 おじいさんがいたので挨拶する。やせて小柄な人で、名前はフランシスコ、年齢は62
歳、奥さんのマルタは55歳、二人とも老けて見える。コミュニケーションをしているうちに隣の家のホストはここの地域のコミュニティーのリーダーであり、マルタの娘、フェデリーナ32歳で、中学生位の女の子の母親であることがわかった。
 ジョアンナに持参した風船と鶴の折紙を渡すとうれしそうに「グラーチェ」と言う。
 集合時間近くに現地スタッフが様子を見に来たので、ホストファミリーと隣の家にお世話になる若者と一緒に会場に向かう。会場までおばあさん、ジョアンナ、私の3人が手をつないで歩く。


      ホストファミリーの割当


 ホストファミリーとそれぞれの家に向かう


      私がお世話になった農家


       その庭/ゴミだらけ


      トイレ


     フォストファミリーと一緒に


室内は一間のみ、家族のベットとテレビ、冷蔵庫があった。私が借りたベット、ここで寝ていた子供は小屋で寝ることになった。


    妻がお世話になったファミリーの子供


     妻がお世話になったファミリー

 交流会はハリケーンの被害を題材にした主婦達の自作自演の風刺劇で始まる。政府の役人やマスコミが来て色々調査や取材をするが結局何もしてくれない、海外から沢山援助物資が来ても一番困っている自分たちの所には届かない、政府の役人が横流しして私腹を肥やしている、だから援助は直接届けて欲しいと言う迫力満点の演技だった。主婦のパワーと可能性を感じた。我々の演し物は炭坑節、三味線の伴奏で歌って踊る。地元の人も入って盛り上がるはずであったが練習不足で中途半端になってしまった。
 演し物が終って広場にある戦争記念館を見学をする。内戦時に政府軍によって殺害された30名のゲリラを悼んで作られたもの、使用していた武器やゲリラの写真が展示されている。壁にはなまなましいスローガンや銃痕が残されている。建物の裏には30人のゲリラが埋葬されている墓があり、その側に機関銃が取り付けられている。悲劇を知らない子供達が遊具代わりに楽しそうに遊んでいる。このような犠牲を払って貧しい農民はこのコミュニティーを獲得したのである。ものを言わない農民からものを言う農民へ、人に頼らず自分たちで獲得する農民へ生まれ変わった記念碑でもある。


   記念館/農民を殺した兵器と遊ぶ子供達


     記念館の内部/弾痕に注意


    記念館の内部に残されたスローガン
 
 地元の主婦達が作ってくれたスープとタコス料理をマルタが運んでくれ、由紀子と一緒に食べる。ソラヤとフランシスコも来ている。料理は期待していなかったが美味しかった、特にスープが良かった。設備も道具も不十分な中で数百人分の料理を作るのは大変だったと想像する。
 食事が終ると近くのコミュニティーセンターに会場を移して若者のバンドによるダンスパーティーが始まる。建物には当然クーラーは無く扇風機も4台中3台故障している蒸し暑さと人息れの中、ボリュームを目一杯上げ激しいリズムの音楽が流れる。子供達が踊りだし、次にピースボートの若者が踊り出しす。由紀子も誘われて踊り始める。私も暑さの中、すべて許される世界にいるような開放感に浸って、リズムに会わせて身体を動かす。


      交流会/ダンスパーティー


       ダンスパーティー

 10時近くになったのでジョアンナのことや明日6時から農作業の手伝いがあることから帰ることにする。隣の青年とホストファミリーと一緒に真っ暗な道を懐中電灯の光りを頼りに歩く。だんだん目が慣れてきて、ふと上を見ると夜空いっぱい星が落ちて来るように明るく輝いていた。これほどはっきり星を見たことが無い、宇宙と人間の距離の近さと星明かりに気づかされる。宇宙と一体となったような気分で家まで歩く。
 家に到着、真っ暗な中に点いている1つの電灯がまぶしい程明るく感じた。周りが暗ければほんの少しの明かりで十分であるが周りが明るいと更に明るくしないと暗く感じる、果てしなく明るくなる我々の夜の生活、照明のあり方を考えさせられた。
 お土産(紅茶、インスタントみそ汁、スープ、ラーメン、柿の種)と電池が入らない発電式懐中電灯をプレゼントする。「グラシャス」と言ってあたりまえのように受け取る。
 汗をかいたのでシャワーを浴びたかったが歯磨きをしてパジャマに着替えて寝る。フランシスコがベット用の蚊帳を用意してくれたので使わせてもらう。東京の熱帯夜ほど暑くないので安心する。



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