6月17日 エルサルバドル アカフトラ港
ツアー「持続可能な発展を目指すコミュニティー」1泊2日 (その1)
6月14日19時11分、パナマ運河を抜けたトパーズ号は太平洋を北西に向け二日間航行しエルサルバドルのアカフトラ港に予定通り8時着岸。この二日間はうねりがありかなり揺れた航海だった。
アカフトラ港はコンテナ用のリフトもない小さな港である。9時20分タラップを降りると日差しが厳しい、入道雲が出ていて更に暑くなりそうな気配である。もうテント張りの土産屋が店を出している。
太平洋の海の色
レストランで食事中、数頭の群れで泳ぐイルカを発見
今度はデッキでぼんやり海を見ていたらウミガメを発見
アカフトラ港の風景
埠頭の風景/チャーターしたバスが待機している
我々が乗るバスはどういう訳かアメリカ製のスクールバスの中古品、クラーはついていないぽんこつ寸前の代物であった。9時45分ピースボートから村上、大江と通訳として海外青年協力隊の島田、加瀬、訪問先の職員1名、現地ビデオカメラマン1名が同乗して出発、蒸し風呂のようなバスの中は走り出すと風が入り何とか我慢できそう。
海外青年協力隊員二人から説明を受ける
アメリカ製スクールバスの中古は冷房が無い
バスはアカフトラ港からサンサルバドルを通ってサン・ビセンテ県、 BAJO LEMPA/(バホ・レンパ)に向かう。ここでNGOや企業の連合体組織「BAJO LEMPA」傘下のメンバーの団体から活動内容等の説明を受け、施設見学と団体が経営するレストラン「Chichontepec」で昼食をとることになっている。
道路は整備され快適、途中からパンアメリカン・ハイウエーに入り更に道路は広く立派になる。現地の職員からバオ・レンバについて説明があったが途中で「皆さんお疲れのようなので止めます」と言う、後ろを振り返ると若者は皆眠ている。船の中で忙しくしている疲れが出たようだ、起きているのは数人の熟年者ばかりであった。
1時間程で首都サンサルバドルに入る、中心街にはアメリカのファーストフード店や大型店舗が並び田舎と都会の差が大きい。しかし、中心街を外れると小さな店やバラックのような住宅が増える。特に山の急斜面に張り付くように建っている住宅が目につく。
バスはサンサルバドルを過ぎパンアメリカン・ハイウエーから別れ山道に入る、中古バスは山道に入ると遅れだし、他の車にどんどん追い越される。
峠を越えて平野に出ると農村地帯にとなりトウモロコシ畑や牛の放牧風景や洗濯物が翻る粗末な農家が見えてくる。12時30分ようやく到着、3時間のドライブ中、一度もトイレ休憩がなかったが汗をかいたせいか問題なかった。
街の風景/日本車が目立った
街の風景/庶民の市場
街の風景/崖にあるバラック
街の風景/団地
街の風景/スーパーマーケット
農村のお店
入口では銃を持った守衛が扉を開けてくれるものものしさ。内戦の混乱が続いているのか。バスを降りると集会場に導かれ「BAJO LEMPA/バホ・レンパ」の代表の挨拶といくつかのBGOや企業の代表から活動内容の説明があった。
説明によると金融、乳製品製造、バイオ研究、パン・ジャム製造、職業訓練、農業支援等かなり幅広い活動をしている。それらをまとめているのが「BAJO LEMPA/バホ・レンパ」とのこと。通訳は海外青年協力隊の二人、驚いたことに二人は派遣されて4ヶ月とのこと、日本でスペイン語の特訓を受けたとしてもすごい語学能力である。
政府軍とゲリラとの和平合意が成立した1992年から内戦で避難を余儀なくされた農民450家族を入植させることから始まり現在では5000家族に拡大している。
最初に区画された農地に入植した時には水も道路も無かったが道路、水道、電気等の社会整備をし、農畜産物の共同販売、共同加工販売、レストラン、職業訓練等を行いながらこれらの共同体を運営している。ここの活動のユニークさは多様な機能を持った団体が1つの連合体を構成して有機的に運営していることである。
「BAJO LEMPA/バホ・レンパ」の活動拠点は県内10数カ所ある、ここは中心的拠点としてレストラン、集会場、青少年の就労の場として浄水用フィルター、パン、ジャム製造、製品を販売するショップを運営している。この施設から雄大なサン・ビセンテ火山が見える、足下の道路にはこの火山が噴出した軽石が敷き詰められていた。
説明が終わり、レストランで「BIOLACT」が作っているカマンベール、青カビ等5種類のチーズの試食があった。塩が効いて大変美味しかった。
農民支援団体の建物
支援団体の建物に描かれた壁画
支援団体のリーダーから活動内容の説明を受ける
試作したチーズの説明をするリーダー
試食の後、遅い昼食となる、丸ごと揚げられた魚にライスと酢漬けの野菜の付け合わせたものが出る。魚は白身であっさりしているのでレモン汁をかけて食べる、ライスは固めで少し味がついている、酢漬けの野菜が一番口にあった。クーラーが無いレストランで汗をかきながらの昼食であった。
食後はピースボートの現地スタッフ(金髪のエルサルバドル人女性)が通訳となって施設を見学する。この現地スタッフは発音がきれいでかつ丁寧語を使う。
青少年の就労の場を確保するために作られたパン工房を見学、8名のスタッフがいて3名が製造、1名が事務、4名が営業を夫々分担していてうまくいっているとのこと。昼休みのため従業員はいなかった。工房には小さなパン焼き用のガス窯が2台あった。整理整頓、清掃が行き届いていないのが気になった。
ジャム工房、従業員用の宿舎を外から見て、健康飲料、砂糖、コーヒー、カシューナッツ、蜂蜜を販売しているショップに案内される。ここでお土産を買うことになる。
「BAJO LEMPA/バホ・レンパ」の全貌を把握することはできなかったが内戦の影響を受けた貧しい農業県であるサン・ビセンテ県で内戦の一番の被害者であった農民の生活を維持、向上させるために農地の確保と整備、農業振興、生産物の共同販売、共同加工販売、職業訓練、就労の場の確保、金融、教育、医療まで幅広い活動をしていることが浮かび上がってきた。そして色々な問題を抱えながらもこれらの活動が軌道に乗り発展している様子をほんの少しだったが見ることができた。
昼食風景/冷房が無くとにかく暑い
料理/あまりの暑さで食欲もわかなかった
ツアー「持続可能な発展を目指すコミュニティー」1泊2日 (その1)
6月14日19時11分、パナマ運河を抜けたトパーズ号は太平洋を北西に向け二日間航行しエルサルバドルのアカフトラ港に予定通り8時着岸。この二日間はうねりがありかなり揺れた航海だった。
アカフトラ港はコンテナ用のリフトもない小さな港である。9時20分タラップを降りると日差しが厳しい、入道雲が出ていて更に暑くなりそうな気配である。もうテント張りの土産屋が店を出している。
太平洋の海の色
レストランで食事中、数頭の群れで泳ぐイルカを発見
今度はデッキでぼんやり海を見ていたらウミガメを発見
アカフトラ港の風景
埠頭の風景/チャーターしたバスが待機している
我々が乗るバスはどういう訳かアメリカ製のスクールバスの中古品、クラーはついていないぽんこつ寸前の代物であった。9時45分ピースボートから村上、大江と通訳として海外青年協力隊の島田、加瀬、訪問先の職員1名、現地ビデオカメラマン1名が同乗して出発、蒸し風呂のようなバスの中は走り出すと風が入り何とか我慢できそう。
海外青年協力隊員二人から説明を受ける
アメリカ製スクールバスの中古は冷房が無い
バスはアカフトラ港からサンサルバドルを通ってサン・ビセンテ県、 BAJO LEMPA/(バホ・レンパ)に向かう。ここでNGOや企業の連合体組織「BAJO LEMPA」傘下のメンバーの団体から活動内容等の説明を受け、施設見学と団体が経営するレストラン「Chichontepec」で昼食をとることになっている。
道路は整備され快適、途中からパンアメリカン・ハイウエーに入り更に道路は広く立派になる。現地の職員からバオ・レンバについて説明があったが途中で「皆さんお疲れのようなので止めます」と言う、後ろを振り返ると若者は皆眠ている。船の中で忙しくしている疲れが出たようだ、起きているのは数人の熟年者ばかりであった。
1時間程で首都サンサルバドルに入る、中心街にはアメリカのファーストフード店や大型店舗が並び田舎と都会の差が大きい。しかし、中心街を外れると小さな店やバラックのような住宅が増える。特に山の急斜面に張り付くように建っている住宅が目につく。
バスはサンサルバドルを過ぎパンアメリカン・ハイウエーから別れ山道に入る、中古バスは山道に入ると遅れだし、他の車にどんどん追い越される。
峠を越えて平野に出ると農村地帯にとなりトウモロコシ畑や牛の放牧風景や洗濯物が翻る粗末な農家が見えてくる。12時30分ようやく到着、3時間のドライブ中、一度もトイレ休憩がなかったが汗をかいたせいか問題なかった。
街の風景/日本車が目立った
街の風景/庶民の市場
街の風景/崖にあるバラック
街の風景/団地
街の風景/スーパーマーケット
農村のお店
入口では銃を持った守衛が扉を開けてくれるものものしさ。内戦の混乱が続いているのか。バスを降りると集会場に導かれ「BAJO LEMPA/バホ・レンパ」の代表の挨拶といくつかのBGOや企業の代表から活動内容の説明があった。
説明によると金融、乳製品製造、バイオ研究、パン・ジャム製造、職業訓練、農業支援等かなり幅広い活動をしている。それらをまとめているのが「BAJO LEMPA/バホ・レンパ」とのこと。通訳は海外青年協力隊の二人、驚いたことに二人は派遣されて4ヶ月とのこと、日本でスペイン語の特訓を受けたとしてもすごい語学能力である。
政府軍とゲリラとの和平合意が成立した1992年から内戦で避難を余儀なくされた農民450家族を入植させることから始まり現在では5000家族に拡大している。
最初に区画された農地に入植した時には水も道路も無かったが道路、水道、電気等の社会整備をし、農畜産物の共同販売、共同加工販売、レストラン、職業訓練等を行いながらこれらの共同体を運営している。ここの活動のユニークさは多様な機能を持った団体が1つの連合体を構成して有機的に運営していることである。
「BAJO LEMPA/バホ・レンパ」の活動拠点は県内10数カ所ある、ここは中心的拠点としてレストラン、集会場、青少年の就労の場として浄水用フィルター、パン、ジャム製造、製品を販売するショップを運営している。この施設から雄大なサン・ビセンテ火山が見える、足下の道路にはこの火山が噴出した軽石が敷き詰められていた。
説明が終わり、レストランで「BIOLACT」が作っているカマンベール、青カビ等5種類のチーズの試食があった。塩が効いて大変美味しかった。
農民支援団体の建物
支援団体の建物に描かれた壁画
支援団体のリーダーから活動内容の説明を受ける
試作したチーズの説明をするリーダー
試食の後、遅い昼食となる、丸ごと揚げられた魚にライスと酢漬けの野菜の付け合わせたものが出る。魚は白身であっさりしているのでレモン汁をかけて食べる、ライスは固めで少し味がついている、酢漬けの野菜が一番口にあった。クーラーが無いレストランで汗をかきながらの昼食であった。
食後はピースボートの現地スタッフ(金髪のエルサルバドル人女性)が通訳となって施設を見学する。この現地スタッフは発音がきれいでかつ丁寧語を使う。
青少年の就労の場を確保するために作られたパン工房を見学、8名のスタッフがいて3名が製造、1名が事務、4名が営業を夫々分担していてうまくいっているとのこと。昼休みのため従業員はいなかった。工房には小さなパン焼き用のガス窯が2台あった。整理整頓、清掃が行き届いていないのが気になった。
ジャム工房、従業員用の宿舎を外から見て、健康飲料、砂糖、コーヒー、カシューナッツ、蜂蜜を販売しているショップに案内される。ここでお土産を買うことになる。
「BAJO LEMPA/バホ・レンパ」の全貌を把握することはできなかったが内戦の影響を受けた貧しい農業県であるサン・ビセンテ県で内戦の一番の被害者であった農民の生活を維持、向上させるために農地の確保と整備、農業振興、生産物の共同販売、共同加工販売、職業訓練、就労の場の確保、金融、教育、医療まで幅広い活動をしていることが浮かび上がってきた。そして色々な問題を抱えながらもこれらの活動が軌道に乗り発展している様子をほんの少しだったが見ることができた。
昼食風景/冷房が無くとにかく暑い
料理/あまりの暑さで食欲もわかなかった