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『愛無限』新型コロナウィルス対策にも有効な、ナイチンゲール精神。

2020-01-26 00:52:13 | 健康・美容

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新型コロナウイルスの感染による肺炎の中国本土の患者が、約1,300人近くに達しました。ウイルスの感染者は、ヨーロッパやオセアニアでも確認され、世界的な広がりを見せている中、日本国内では、25日に3例目の感染が確認された模様です。

中国国内では、1週間前の18日には30名ほどの感染者だったことから、1週間で30倍もの”拡散”を数字上は示しましたが、初期統計では、集計や記録のフォーマットも十分に確立できておりませんので、数字が示すほどの、急激な拡散かどうかは、今しばらく集計を続けていくことが大切です。

また死者が41人というのが中国政府の発表ですが、この内訳が高齢者の死亡率が高いことから、感染力や毒性は、一般的なインフルエンザクラスと考えられ、かつてのSARS(サーズ)ウイルスのようには、感染力や毒性は高くないのではないかと思われます。

ただ、懸念はあります。

このたび中国政府は、感染被害の強い武漢市を封鎖しましたが、通常のインフルエンザクラスの感染力と毒性で、そこまでする必要があるとも思えないので、何か情報に「欠けているもの」がある可能性も捨てきれません。

さて、今回注目されているコロナウィルスというのは、一般的な風邪を引き起こすウィルスの一つで、その比率は、風邪全体の10~35%と言われています。

ちなみに、2003年に世界で大流行した重症急性呼吸器症候群(SARS・サーズ)の原因となったSARSウィルスも、コロナウィルスに分類されます。

「フローレンスナイチンゲール」の画像検索結果

新型コロナウィルスがその名の通り新型であるならば、これまで感染経験がないことから、人体に免疫情報がないために、重篤化しやすくはなります。

しかしその予防策は、一般的な風邪やインフルエンザと同じく、基本的なものです。

それは「免疫力を高め、ウィルスの体内の新入を、限りなく小さくすること。」です。

それには、マスク着用やうがいや手洗い、水分補給による口腔内な咽頭の洗浄、適度な影響補給や休息の確保、そして大事なことは「室内環境の整備」です。

つまり部屋をきれいにし、十分な換気を行うことです。

換気をすることは、人体が吸う空気中の、単位当たりのウィルス数を減らすことになります。

人間には免疫力がありますから、一匹の細菌、1個のウィルスが体内に侵入したぐらいでは、容易に感染したりすることはありません。

発病するには、それ以前に、免疫力の低下と、相当数の細菌やウィルスの侵入があるのです。

ですから、病人のいる部屋は隔離したくなるのですが、むしろ換気し、外気と室内の空気を積極的に入れ替えるべきなのですね。

これは近代看護の祖、フローレンス・ナイチンゲールの著書『看護覚え書え』で、著者が口を酸っぱくして訴えていることです。

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さてかつてSARS流行の折り、流行していた地域で、最も早くSARS禍を脱したのはベトナムでした。

ベトナムでSARSが発症した地域では、先進国のような近代的な隔離施設がなく、仕方なしに、郊外の廃業した病院を使用しての治療となりました。

しかしこの施設には、冷房やエアコンがなく、暑いベトナムでは、その場しのぎに、窓を開けて対応していました。

結局これが、ナイチンゲールの言う「積極的な換気」となり、ベトナムではSARSを克服したのです。

この事例を、当時のThe Liberty(幸福の科学月刊雑誌)が特集化したところ、それが台湾の信者さんの手に渡り、そしてSARS禍で苦しんでいた台湾の病院で行われていた、隔離病室の陰圧換気システムを、窓を開ける自然換気方式に変えるきっかけとなりました。

陰圧換気とは、施設への伝播を防ぐために、隔離室内に空気を集める換気システムです。

しかしこれだと、患者から排泄されたウィルスは室内にとどまり蓄積されます。

その結果、患者の病気の改善が遅れるばかりか、室内で患者の治療や世話をする医療スタッフが、密度の高い高濃度のウィルスを含んだ空気を吸い込むことになります。

そして院内スタッフへの院内感染が、世界中で横行していたわけです。

この台湾での取り組みの成功が、当時世界中で行われていた、空気感染患者隔離病室の陰圧換気方式システムを改めこととなり、死亡率の高かったSARS禍を終わらせたのです。

ということで本日は、経典『仕事と愛』『愛・無限』(大川隆法著 幸福の科学出版)より、一部抜粋をお届けいたします。

        (ばく)

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仕事と愛 〔新装版〕

肉体の健康にしても、倒れてから医者に通うようではだめです。倒れる前に予防をしていかねばなりません。倒れる前の予防とは何でしょうか。それは二つしかありません。一つは、体をあらかじめ鍛えておくということです。もう一つは、疲労する前に休むということです。この二つしかないのです。

ところが、この二つが現代人には往々にして守れません。倒れるまで、働くことをやめない、あるいは、倒れるまで、遊ぶことをやめないという傾向になったり、倒れてからはじめて休息を開始したりするようになります。

現代人の悩みの多くは、実は肉体的な疲労や精神的な疲労からもきているのです。もし疲労というものがなかったならば、悩みの八○パーセントは消えてしまうでしょう。悩みの大半は疲労から成り立っていると思います。そうであれば、疲労の予防は、悩みの予防に非常に大きな力を持つのです。

疲労を予防するためには、疲労しないように工夫することです。そのためは、大きな難問題を一度に解こうとしないで、難問題を小さく分割して片づけていくことです。それから、くたびれる前に充分休むことも大事です。よく休むということは大事なのです。

精神的に貧乏性になってしまい、自分自身をいたわることができずに、休めないという人は数多くいます。そうした人はぎりぎりまで無理をするのです。しかし、ある程度のところまできたならば、早め早めに体を休めておくという工夫をしていくことが、長生きの秘訣でもあり、長く働きつづけるための秘訣でもあります。

また、どうしてもやらなければならない仕事があるような多忙な人の場合には、仕事にメリハリをつける工夫をする必要があります。すべての仕事に全力投球をすることも大事ですが、それは長く続く方法ではありません。いちばん大事なものに力を注ぎ、それほどでもないものは軽く流していくという工夫も大事だろうと思います。

要するに、いかにして余裕を生み出すかです。余裕を生み出す方法は、考えればいくらでも出てきます。その基礎にあるものは何かというと、事前に用意をしようとすることです。予習型人生を生きるということに尽きるわけです。

そのためにはどうすればよいかというと、まず心構えを持つことが出発点です。予習型人生を生きようという心構えを持つことによって、方法は次から次へと生まれてくるのです。

そして余裕が生まれます。そこに愚痴のない生活が展開します。そこに不平不満のない人生が展開します。そこに怒りや嫉妬のない世界が展開します。こうした天国的な生き方をしていただきたいものだと思います。
『仕事と愛』(大川隆法著 幸福の科学出版)
P214~242

愛、無限 〔新装版〕

みなさんは、いつも、目に見えない恐怖心によって、さいなまれてはいないでしょうか。恐怖心のもとにあるものは暗闇です。暗闇のなかにあるとき、みなさんは恐怖心を感じるでしょう。おそらく、「怖い」という思いがするでしょう。
実は、みなさんの魂の奥には、過去、地獄に堕ち、暗闇のなかで地獄の悪魔たちにさいなまれたときの記憶が残っているのです。そのため、光は怖くないが、闇になると怖いのです。

そうした恐怖心から自己保存欲が生じ、また、自己保存欲から恐怖心が生じます。そして、結局、お互いに自分を守りたいがために、戦争を起こすようなことになります。

では、いかにして恐怖心を去るべきでしょうか。いちばん大切なのは、仏を信ずる心を持つことです。
そこに信仰の柱が立ちます。この地上から霊天上界に突き抜けていく、信仰の柱が立つのです。その信仰によって、みなさんと仏とは一体です。その信仰が、みなさんを、あらゆる恐怖心から守るのです。


また、その信仰があればこそ、「自分を害そうとしている他の人たち、いや、そのように妄想される、空想される他の人たちも、自分と同じく、幸せを求めて生きている人たちである。彼らも仏の子である」ということを、信ずることができるようになるのです。

そのように、信仰心によって、縦の柱が立ち、お互いに仏の子であることを信じ合うことによって、横のつながりができます。この縦と横が交わってできる十字は、キリスト教の象徴でもありますが、また、愛なるものの本質を表す姿でもあります。

真なる愛には、仏へと向かっていく縦の愛と、「汝ら、互いに愛し合え」という意味での横の愛があります。縦なるものと横なるものがクロス(交差)することによって、そこに十字架が現れます。そこに、信仰の証が、愛の本質が、明らかにされるのです。

このように、真実の愛とは、垂直と水平の両者の光を含み、十字架を本質とするものです。
したがって、「縦の光と横の光、この両者が交差してできる十字架の中心点に、今、自分は立っている。自分を中心として、十字架が立っているのだ」と思うことが、信仰者としての正しいあり方なのです。

そのとき、みなさんは、劣等感からも逃れることができます。嫉妬心からも逃れることができます。また、恐怖心からも逃れることができます。仏と一体となり、そして、地に満てるすべての仏の子と一体となるとき、恐れるべきものは何一つないのです。

「すべては同質。すべては同一。すべては一つ」――そう思うとき、みなさんは心の底から安らぎを感じることでしょう。それによって、「すべてが許されており、すべてが許されるべき存在としてある」ということに気がつくでしょう。
『愛・無限』(大川隆法著 幸福の科学出版)P89~94

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