幸福の科学高知 なかまのぶろぐ

幸福の科学の、高知の信者による共同ブログです。
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神様とは、「この世界のミクロとマクロを貫く法則」ではないでしょうか?

2019-06-08 00:26:01 | ばくちゃんの独り言

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私が神を信じるようになったのは、そう、高校を卒業し、大阪で見習い看護助手として働きながら、定時制の看護学校に通い始めたころでしょうか。

若き私は医療職を目指しておりましたが、そのころまでの興味関心ごとと言えば、自動車であったり、地理や地形といった地理や地学が好きでして、十代の私は、「医療職というのは生活のため」という意識であったと思います。

ですが、いつものように看護学校で、人間の身体に関する授業を受けたとき、その精密さや不思議さに感銘を受けたのを、つい昨日の出来事のように覚えております。

特に、まだ人間のことなど何も知らない私にとって衝撃的だったのは、「人体を構成する成分と、地球を構成する成分が、その比率までほぼ同じであったこと」です。

私は地学好きですので、地質や断層や、地球そのものの成分などを、その頃は記憶しておりましたので、「土くれのような地球と、そこに生きる生命である人間が同じ構成」というのは衝撃でした。

その時私は、「地球って、実は生き物なんじゃなかろうか?」と思ったんですね。

その頃は知らなかったんですが、「ガイア説」というのがありまして、「地球を生命体として認識する」という考えがあるようです。

ガイアとは、ギリシャ神話の「大地の母なる女神」です。

で、「地球って、生き物なんじゃないの?」と思った私は、「地球も人間も生き物ならば、地球や人間などの生命を創ったのが神様なんじゃないか?」「婆さんが言ってた神様っていうのは、そういう存在なんじゃないのか?」と思ったんです。

幼少のみぎりより「ばくよ、神様にかなうと思うな!」というのがババさまの教えでしたが(笑)、まぁ、地球や生命を創ったのでしたら、それはそれはドエライお力でございましょうから、そりゃぁ、逆立ちしてもかないっこありませんわね。(爆笑)

祖母の教え 入道雲と神仏への心

授業中教科書を開いて、授業を聞いている振りをしながら、そんなことを考えていたのですが、そのとき、ちょっとした不思議な体験をしました。

ある、「イメージ」が浮かんだんです。

それはまるで、夢でも見ているような、とてもリアルなイメージでした。

 

まず、小さな小さな原子核のまわりを、それよりなお小さい電子が、くるくるくるくると、回っているイメージが浮かんだんですね。

そしてその原子は他の原子と結びつき、様々な物質を作っていきました。

そして地球が見え、その地球は、太陽の周りをくるくると回っておりました。

そして太陽系は、天の川銀河を中心に、ゆっくりゆっくりと回っておりました。

私は思いました。

「原子のまわりを回る電子も、太陽の周りをまわる惑星たちも、そして銀河系を回る太陽系も、大きさは違えど、法則は同じなんだ。」「この、ミクロとマクロの宇宙を貫く、”法則”こそ神」ではないかと。

 

だとすれば、いがみ合っているように見える科学と宗教って、実は目的は同じなのではないかとも思いました。

その不思議体験以来、進化論などでよく言われる「偶然」ということが信じられなくなりました。

要は、神様を信じる人は「偶然」を信じることができないし、神様を信じられない方というのは、結局のところ、「偶然」を信じているだけなのではないでしょうか?

結局は、「偶然」を信じるのか信じないのかだけの違いであって、神仏を信じる人というのは、「まさか偶然で、宇宙ができたり地球ができたり、生き物が生まれたりはせんじゃろうてぇ!」という方だと思うんです。

だとすれば、私ら神仏を信じる立場の者からすれば、「神仏を信じない人というのは、偶然というありもしない神を、狂信盲信しているカルト信者」のように見えなくもないですよね。

私は18歳のとき、上に書いたような気付きを得て後は、「神は絶対にいらっしゃる」そして「私たちは、神の創られた世界の中で、神の創られた生命として生かされている」と思うようになりました。

ということで、いつものように何が言いたかったのか、あはは、すっかり忘れてしまいましたけれども(爆笑)、6月14日(金)に、大川隆法幸福の科学グループ総裁御法話がありますので、そのお知らせと、『瞑想の極意』という経典の抜粋をお届けいたします。

          (ばく)

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天使の世界 the Angel's Realm ~永遠の法~

大川隆法総裁 大講演会

https://info.hr-party.jp/2019/8920/

大川隆法総裁講演会    

演題     「されど不惜身命」

本会場    グランキューブ大阪メインホール   

衛星会場   全国の支部・精舎     

開催日    6月14日(金)18時45分~    

高知支部精舎〒781-8105 高知県高知市高須東町2-11   

TEL:088-882-7775 

高知西部支部精舎〒781-1202 高知県高岡郡越知町2519-7   

TEL:0889-26-1077 

高知朝倉支部〒780-8062  高知県高知市朝倉乙988-11   

TEL:088-850-7774 

高知東部支部〒781-5232  高知県香南市野市西野       

TEL:0887-56-5771 

高知四万十支部〒787-0012  高知県四万十市右山五月町2-22 

TEL: 0880-34-7737 

 

 https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=203

この私たちが住んでいる大宇宙というのはひとつの調和の状態にあります。調和の状態にあって、そこに宇宙の理法が流れています。

私たちはいろいろなことを考え、思い、行動いたします。 そしてそれらの思いや行動は、私たちの自由にまかされているように思いますが、しかしながら私たちの自由意思にもとづく思いと行動は、かならずこの宇宙の大調和の中で、作用と反作用を起こしているのであります。これはまちがいのない事実です。

自分が自覚するとしないに関わらず、かならず私たちの思いと行ないは宇宙の調和を乱すものであるか、その宇宙の調和を進歩発展させるものであるか、そのどちらかに関わることとなっているのであります。

そしてこの宇宙の調和というのは、ひじょうに正確にできているものであって、均衡が破れた場合には、この均衡を取りもどそうとする方向に動くのであります。それが個人のレベルでどのように出てくるかと言うと、みずからの出した思いが、神のつくったこの宇宙の秩序を乱す方向に出た場合、それなりの反作用はかならず出てくるのです。

それはどういうことかというと、たとえば人を害する思いを発した人、こういう思いを発する人には残念ながら心の乱れ、いらだち、苦しさ、悲しさ、こういう反作用がかならずおとずれることになっているのであります。

宇宙の均衡というものは、じつにしっかりとしているものであって、落ちただけの力でかならずはねかえしてくるのであります。それを破らんとする者に対しては、かならずそれだけの反作用が自動調整装置のように働くこととなっているのであります。

それゆえに、みずからの不幸感覚が強い方は、何ゆえにということを考えていただければよいのですが、おそらくそれだけの不調和な波動をみずから出しているのです。不調和な波動を出しているからこそ、それだけの結果が心の中に生まれてきているのであります。

しかし、宇宙の法則はひじょうに公平にできています。単に罰を与えるという方向だけに法則が現われるのではありません。逆に宇宙の進化、発展、調和に貢献するような思いと行動で生きた人には、またそれだけの反作用が出てきます。

この反作用はどういうものかと言うと、幸福感覚という名の反作用というものであります。

思いと行ないにおいて調和されている人にとっては、安らぎという名の幸福がおとずれてまいります。

『瞑想の極意』(大川隆法著 幸福の科学出版)P44~46

幸福科学的圣歌ー爱之旗

 

 

未来をかけた戦い 『未来をかけた戦い』 幸福を実現するために

繁栄の国づくり 『繁栄の国づくり』 日本を世界のリーダーに 共に釈量子著 幸福の科学出版


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2 コメント

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Unknown (Rei)
2019-07-05 00:05:53
畑の無人野菜売り場で野菜を手に取り、お金を払おうと思ったら、5円足りず、心のなかで、神様ご免なさい、後で必ず返しに来ます、と唱えながら、5円を返しに行くまでドキドキしたことを思い出しました(笑)
偶然は必然だと思って生きてきました。偶然に見える出来事は、人の思いの強さの導きか、神のメッセージ?いつも、驚くことに遭遇すると、これにはきっと意味がある、とそれまでの自分の行いを反省することが多いです。それでなくても毎日反省することばかりですが(汗)
宇宙には、病気とか、悩みとかないのかな… 
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神様を信じていらっしゃるんですね。 (ばく)
2019-07-18 00:31:25
Reiさん、コメントありがとうございます。
Reiさんは、神様を信じていらっしゃるんですね。
私は、偶然なんて信じませんよ。
世の中に、古今東西、偶然なんて存在しないと思っています。
雀にだって、メダカだって、大きなものから小さなモノには、必ず「意味」があるはずです。
むしろ、「意味のないもの」は存在が許されないのだとも思います。
でなければ、「愛しい」という感情など、絶対に生まれはしないと、私は思っております。
それこそが、最も現実を直視したものの見方なのではないでしょうか。
私はそう思うんです。
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