幸福の科学は、至高神エル・カンターレを中軸とした多神教ですけど、私たちが暮らす日本にも、日本を永く導き続けた神様が多数いらっしゃいます。
よく言われる八百万(やおおろず)の神々ですが、主宰神が天照大神(あまてらすおおみかみ)で、他にも中心神として国常立神(くにとこたちのかみ)と天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)がいらっしゃるとのこと。
日本最古の神話集に、古事記と日本書紀がありますが、どちらも天照大神の記載はあり、古事記が天御中主神が主で、日本書紀が天之常立神にウェイトが置かれて描かれています。
古事記の天御中主神は、宇宙が創られたときに、最初に現れた神で・・・そう、古事記の始まりは創世記から始まるわけで、聖書と比べても、勝るとも劣らないものがあるし、共通性もあるんですね。
幸福の科学がただの多神教と違うのは、夫々の神々が各々霊言(神示・霊示・霊訓)を降ろされること。
私が好きな日本の神様で・・・(好き嫌いで論ずるのは不敬ではありますが)、やはり天御中主神様の霊示が好きです。
それは読ませていただいていて、本当に力がみなぎるし、言霊の力が、自分にも宿っているのを実感できるから。
今は絶版となってしまったが、天御中主神神示集『新・運命の開拓』は、手垢でまみれるまで読みました。
そして『新・運命の開拓』という書籍を解説するために、その書籍の一部を引用された箇所が載っているのが、『光ある時を生きよ』という経典です。
天御中主神様は、言霊の力がスゴイのだけれど、かなり宗教的な本質の部分、中核の部分をお示しになっていると思うのです。
というのも、天御中主神は『光』を強調なさるのですが、要は、「神は光だ!」ということではないかと。
「神は光であり、神に創られた神の子人間も、要するに光だ!」と。
「神も神の子人間も、光という本質は変わらないのだから、光として生きよ。」「光を強くするよう、工夫して生きよ。」「各々が、光を広げる努力の元、生きよ。」と。
要するに、これは宗教の本質、そのものではないかと思うんですよね。
私は、天御中主神神示集を読ませていただいて、聖書の預言者の言葉や、仏典のお釈迦様の説法の意味が理解できたように思うんです。
天御中主神は、約3000年前に、九州宮崎の高千穂にお生まれになって、日本の始まりに尽力なさったらしいのだけれど、その後も地上に生まれたこともあって、平安朝を築いた桓武天皇や明治天皇など、日本の国つくりのときに、屋台骨つくりと、その後の日本の、大きな指針を具体的に示されています。
海外では、ギリシャ神話の女神アテナや、近代では、オーストリア・ハンガリー帝国の女帝マリア・テレジアが、天御中主神の魂らしい。
海外だと女性で出られるのが不思議と言えば不思議ですけど、いずれの偉人の方々も、政治と宗教、軍事と国土版図拡大と、国家繁栄の実績がスゴイですね。
おう、そうそう。これはとても意外だったのですが、お釈迦様のお子さんで、その後十大弟子と呼ばれるようになった、ラーフラ(羅睺羅)尊者も天御中主神の魂だとか。
そしてどうやら天御中主神は、現代に生を受けていると。
それは、日本がまた、新たな国つくりのステージに立ったということではないかと思うのです。
だとすれば、相当な宗教的センスと政治・経済・軍事の天才的な成果を上げるでしょうね。
今日は経典「光ある時を生きよ」より、光の言霊を抜粋してお届けいたします。
(ばく)
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光そのものが生命のエネルギーでもあるし、光そのものが世を照らし見せるものでもあり、光そのものが希望でもあり、光そのものが発展でもあり、光そのものが善であり、光そのものが道しるべであり、光そのものが生きていく勇気でもあるのです。
よって人間よ、人間は光の子であるのだから、この光の本質を究めよ。
光の本質を探究せよ。
光とは何であるかを知れ。
光とは何であるかを知ることが、汝(なんじ)の本質を知ることである。
汝、光の子であるならば、汝、光とともに歩め。
汝、光の中を歩め。
汝、光の内に歩め。
汝、光ある時を生きよ。
汝、光とともに生きよ。
汝、光とともに行動せよ。
汝、光を自らの内なる炎とせよ。
汝、光を心の糧とせよ。
汝、光をもって人生の目的とせよ。
汝、光をもって神の生命とせよ。神の息吹とせよ。
汝、光をもって人生最大の偉業とせよ。
(126~128ページ)