蝦夷犬(エゾイヌ)

奥羽越列藩同盟の東北北海道さらに新潟県をテーマとして、地域の新聞から記事を選び、勝手なことを書きたいと思う。

三日月街道 サイト設け 伊達に発信

2023-04-23 15:05:00 | 日記
河北新報朝刊 電子版
2023.04.23 日曜日 24/30

山形県置賜地方の有志が、伊達政宗に関連がある宮城県、福島県、山形県を結ぶ街道を定めて、地方活性化の一助にしようと目論んでいるという。

仙台が伊達藩とご存知だろうけれど、山形県置賜地方が何故伊達政宗に関係するのかと疑問に感じられる方も多いのではないだろうか?
実は、伊達家の元々を辿れば、山形県米沢市が最初である。
伊達政宗の乳母喜多の出身も米沢市の神社(神官)で、伊達政宗の乳兄弟と言う片倉小十郎は喜多の弟である。

当時を紐解けば、いわゆる知識人という存在は神官や僧が多く、戦の戦略などを考える会議は、帷幕(いばく)と呼ばれたが、それらの知識人に兵を束ねる将とで構成されていた。
神官の出である片倉小十郎などは、軍略に優れ勇猛と言う、得がたい将であったことは理解出来よう。

山形県米沢市から宮城県岩出山に移るが、岩手県南部を含む気仙郡は全山金鉱なりと言われる地域だった。
それ以前に、金売り吉次と呼ばれた金鉱師が岩手県の藤原氏を支えて奥州文化平泉の隆盛の陰の存在だったのは、政宗の時代でも著名だった。
戦国時代はそれぞれが資力も大いに必要だったが、伊達政宗が奥州の覇者となったのは、この金鉱ゆえであった。

余談だが、陸前高田市の隣町に気仙郡住田町がある。
上有住(かみありす)下有住、世田米町の三町合併でできた町である。
セタマイとは蝦夷言葉で犬(この場合はオオカミ)をセタ、マイは多いの意味という。
文字通り、オオカミが金鉱の守り神だったのでは、と古い蝦夷(エミシ)の時代まで、思いが遡ってしまう。

米沢は江戸時代には、あの上杉謙信の亡き後に上杉家が封じられ、名君上杉鷹山の下に繁栄した地域だった。

時代が前後するが、伊達政宗の正室愛姫(めごひめ)は、伊達家と相性が悪かった福島県の三春城の田村家からの政略結婚で輿入れした。
さらに時代を遡れば、奥州征伐の坂上田村麻呂の子孫と言われるのが田村家である。
伊達家と釣り合う名門であった。

そのような様々な時代を経て、伊達男に山形女(米沢女)などと言うほど、見栄っ張りの仙台の男性には、働き者で商売上手な米沢の女性が似合いと言い伝えられている。
仙台人はお人好しな面があって、ついつい山形県の商売上手に、コロリと手の平で転がされるきらいがある。

東北は疲弊が溜まって、今後の展望が見通せない。
確かに改めて、観光資源を考えれば、三日月街道と言うネーミングはともかく、山形県、福島県、宮城県と言う、南東北の財産でもある伊達政宗を観光資源として、光を当てて見るのは有効かもしれない。

もっと欲張って見るなら、どうせなら、岩手県、秋田県、青森県と言う北東北とも連携して、日本人の源流を標榜しても面白い。
北海道とも当然連携することにしたい。

もっともっと欲張って見るなら、新潟県などや、あるいは、茨城県、栃木県、埼玉県、群馬県などの北関東とも連携できるなら、日本のルーツの縄文時代以降を、テーマごとに紐付けした、まったく新しい、しかも空前絶後の観光を世界に発信できるかもしれない。




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