私たちがかつて経験したことのない大災害が東北から関東を襲いました。
私はあの時のニュースをまだ現実のこととして受け止めることが出来ません。
事実東京でも帰宅難民が発生したり、商店から食料が消えたり
計画停電もありました。それでも、実際に被災された方々に比べれば
私たちの生活はそれほど大変ではありませんでした。
水も出るし、ガスもある。電気もまあまああったし。
しかし被災地の方々、特に震災被害のみならず、原発事故で避難を余儀なくされている
福島の方々の毎日はどれほど大変でしょうか。
あの事故で家を追われ、復興どころか戻ることも出来ない方々。
戦争で故郷を追われた難民のように。
流浪生活はいつまで続くのでしょうか。
たくさんの動物たちも犠牲になりました。
様々な事情で家族と別れなくてはならなくなった動物たち。
たくさんの命も失われました。
我が家で避難生活をしている「キャノン」は
原発事故による避難が始まった直後から
現地に入って動物の救済活動をしていた、広島の
「みなしご救援隊」によって保護されました。
原発事故から数えておよそ一か月後のことです。
私たちが福島に迎えに行った時、保護シェルターには
多数のケージが並び、大切に保護されていました。
どの子でも構わない、と言われ、雌犬を探しましたが
あいにくお目当ての雌犬は他団体の方が決めた後でした。
それで、さほど大きくなさそうなキャノンを選び、連れ帰ることにしました。
さほど大きくない、と思ったのはケージの大きさが
小さ目だったので、小ぶりの中型犬と思ったわけです。
連れて帰ってケージから出してみると、思ったより大きくて
あれれ?と思いました。吠えることも噛むこともありませんが
お尻のあたりを触ると「ガウ!」と威嚇します。
今思えば、目が余り見えなくて、怖かったんでしょうね。
あれから2年が過ぎました。心臓が悪く、途中、病気もしましたが
今はまあまあ元気で、食欲も旺盛。ご飯の時は自分が一番にもらおうとして
他の犬達が近づくと追い散らします(笑)。
保護した当時は12~3歳ぐらいでは?と思っていたのが
実際は15歳でした。
キャノンという名前と年齢が判明したのは昨年10月に
ご家族が見つかったから。
それまでは希(まれ)と名付けて呼んでいました。
キャノンの故郷は福島県富岡町。
駅舎は津波に呑まれ、町は放射能汚染で
全町避難となりました。
キャノンが故郷の地を踏むことはもうないかもしれませんが
高齢にもかかわらず、みなしご救援隊に保護されたこと。
何よりも大切なご家族と再会できたことで
悔いのない命を全うできることを、心から感謝したいと思います。
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元気で17歳を迎えようね、キャノン!
ちょっとワケありだけど、愛すれば愛するほど応えてくれる踊(よう)を、家族に迎えてくださる方はいらっしゃいませんか?
★踊(よう)を我が家にと思われる方はこちらへ→いぬ親さん募集ページ(成犬メス)
ワンコ5匹と暮らすシンガーソングライター 福田典之 渾身の一曲
時の短さを思いますが
キャノンは我が家に来て丸2年
人間でいえば7~8年もいる計算になります。
そう思えば長いのかもしれません。
復興の手はなかなか進まないけれど
残された命は輝いてほしいと願います。
麦(ばく)はどうして動物病院が
嫌いになってしまったんでしょうね…
お兄ちゃんらしくなって欲しいなぁ(笑)
キャノンくんを追いかけているルルのあ父さんの姿が
鏡に映って、とってもほほえましかったです。
まるで幼稚園の運動会の我が子を追っているように思えましたよ! フフフ
あぶなかっしい足元も、すべてひっくるめてキャノン君を愛しているルルのあ父さん、母さん、頭が下がります。
キャノン君にこれからも幸多かれと願うばかりです。
我が家の麦麦さんたちは本日も元気でーーーす。
今月は麦兄さんの予防注射・・はぁ・・また唸りまくって
吠えまくって泣き叫ぶのかな・・・
がんばれーーーーー