今回放送の雨の逃亡者はイカルス号事件を扱った。
慶応3年7月6日、長崎丸山で英国軍艦イカルス号の水夫二人が殺害された。風説では、犯人は海援隊と同じ白筒袖の服装だったとされ、海援隊に殺害の嫌疑がかかった。
特に隊士菅野覚兵衛と佐々木栄は事件のあった当夜、引田屋花月にいたことがわかっており、英国公使パークスは執拗に追及した。
8月7日から行なわれた英国側と土佐藩側の談判では、土佐藩の代表後藤象二郎が活躍し、犯人を土佐人と決めつけるパークスらと対決する。
結局、犯人は判明せず、9月10日にようやく海援隊の嫌疑は晴れた。なお慶応4年8月になって真犯人は福岡藩士の金子才吉であること、また金子は犯行の直後に自殺していたことが明らかになっている。
この事件で龍馬は2カ月近く京都を離れ長崎に滞在した。この間、大政奉還は推進できず、いったん同調した薩摩も武力討幕に向かいつつあった。この事件は龍馬にとってかなりの痛手になったに違いない。
この事件の交渉内容は非常に興味深い。次回の龍馬大学校連続講座(11/27)でたっぷりとお話したいと思います。
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本文中の「丸山の玉川亭」というのは明らかに間違いです。玉川亭は旧本紙屋町(現在八幡町)にあった川魚料理で有名な料理屋です。丸山遊廓において「玉川亭」という名前の遊女屋及び揚屋は存在しません。
事件当日、海援隊士菅野覚兵衛と佐々木栄が居たのは「引田屋花月」です。長崎奉行所関係文書の中にイカルス号事件のあった慶応三年七月六日の前後三日にわたる遊女屋客名簿『遊女屋宿泊人帳』(長崎歴史文化博物館蔵)、及び外務省記録文書『続通信全覧』暴行門の菅野と佐々木の口述書それぞれに記載されています。
ご指摘ありがとうございます。
早速本文訂正しました。