◆開国めぐる一級文書発見
○米海軍のペリー提督が1853年、幕府に開国を迫った際に記した機密文書が、米国立公文書館で発見された。友好国オランダの姿勢を激しく非難したり、当時の日本の階級社会を独自に分析したりするなど、ペリーの考え方を知る極めて興味深い内容で、幕末外交史を解明する上でも一級の資料として注目されそうだ。○機密文書を見つけたのは、横浜市在住の歴史研究家、今津浩一さん(66)。○ペリーの日本渡航の公式記録には、帰国後に別の人物が編集した「日本遠征記」と、ペリー本人が船上や寄港地から海軍長官あてに送った書簡集である「上院報告書」の2種類がある。このほかにも機密扱いの文書があることは知られていたものの、その所在は確認されていなかった。○今回、明らかになったのは、来航の翌月にあたる1853年8月3日付のドッビン海軍長官あての書簡7枚。沖縄から香港へ向かうサスケハナ号で、ペリーが書記官に代筆させたもの。○当時、米政府はオランダに対し、ペリーへの協力を要請していた。ところがペリーはこの書簡で、「気まぐれな(江戸)幕府の暴政に対して唯々諾々と従っている卑屈なオランダ人の態度を見ると、信用などできるはずもない」、「もし長崎へ行っていたら、オランダ人たちを顧問団の一員に加えることになっただろう。一度それを認めてしまえば、二度とオランダの影響から逃げられなくなったはずだ」などと指摘。政府の方針に反して幕府と直接交渉した理由を明らかにしている。、○さらにペリーは、「再来訪するまでに日本は多くの砲台を建造するだろうが、江戸の中心部に砲弾が届くところまで艦隊が侵入するのを阻止することはできない」と、黒船来訪が日本に脅威を与えたことを自覚した上で、圧倒的な武力差に自信を見せた文脈もあった。○また、日本社会は「四つの階級に分かれている」と観察。第1が皇室と将軍家、第2が高級官僚を出す知識階級と僧侶、3番目が商人・密偵・兵士、最下位を労働階級、と分類した。武士は3番目までの階級に遍在すると認識していた。○岩下哲典・明海大学教授(幕末史)の話「ペリー本人の生々しい言葉でオランダへの不信感の存在が裏付けられた。また、いわゆる士農工商でなく、実態として日本の“格差社会”を見抜いていた点も興味深い」 (10/25 読売新聞より)
○米海軍のペリー提督が1853年、幕府に開国を迫った際に記した機密文書が、米国立公文書館で発見された。友好国オランダの姿勢を激しく非難したり、当時の日本の階級社会を独自に分析したりするなど、ペリーの考え方を知る極めて興味深い内容で、幕末外交史を解明する上でも一級の資料として注目されそうだ。○機密文書を見つけたのは、横浜市在住の歴史研究家、今津浩一さん(66)。○ペリーの日本渡航の公式記録には、帰国後に別の人物が編集した「日本遠征記」と、ペリー本人が船上や寄港地から海軍長官あてに送った書簡集である「上院報告書」の2種類がある。このほかにも機密扱いの文書があることは知られていたものの、その所在は確認されていなかった。○今回、明らかになったのは、来航の翌月にあたる1853年8月3日付のドッビン海軍長官あての書簡7枚。沖縄から香港へ向かうサスケハナ号で、ペリーが書記官に代筆させたもの。○当時、米政府はオランダに対し、ペリーへの協力を要請していた。ところがペリーはこの書簡で、「気まぐれな(江戸)幕府の暴政に対して唯々諾々と従っている卑屈なオランダ人の態度を見ると、信用などできるはずもない」、「もし長崎へ行っていたら、オランダ人たちを顧問団の一員に加えることになっただろう。一度それを認めてしまえば、二度とオランダの影響から逃げられなくなったはずだ」などと指摘。政府の方針に反して幕府と直接交渉した理由を明らかにしている。、○さらにペリーは、「再来訪するまでに日本は多くの砲台を建造するだろうが、江戸の中心部に砲弾が届くところまで艦隊が侵入するのを阻止することはできない」と、黒船来訪が日本に脅威を与えたことを自覚した上で、圧倒的な武力差に自信を見せた文脈もあった。○また、日本社会は「四つの階級に分かれている」と観察。第1が皇室と将軍家、第2が高級官僚を出す知識階級と僧侶、3番目が商人・密偵・兵士、最下位を労働階級、と分類した。武士は3番目までの階級に遍在すると認識していた。○岩下哲典・明海大学教授(幕末史)の話「ペリー本人の生々しい言葉でオランダへの不信感の存在が裏付けられた。また、いわゆる士農工商でなく、実態として日本の“格差社会”を見抜いていた点も興味深い」 (10/25 読売新聞より)