坂本龍馬ゆかりの京都市中京区、土佐稲荷・岬神社で25日、頭が削られ無残な姿をさらしていた龍馬像が新調され、除幕式が行われた。右手を懐に入れ斜め上方を見つめる堂々とした姿で、氏子たちは「手を触れず大切にしてほしい」と話している。
氏子たちでつくる崇敬会会員の寄付で再建した。像は高さ56センチで、50センチだったこれまでの像より一回り大きくなった。従来の像は石こうの表面を青銅で覆っていたが、アルミ合金製に変えた。
同神社は、江戸時代には現在の元立誠小付近の土佐藩邸内にあり、同藩出身の龍馬も参拝していたとされる。1887年に現在地に移った。龍馬とのゆかりを伝えるため1989年春に会員が持っていた像を、境内に台座を設けて建立した。しかし、数年後から傷跡が見られ始めた。崇敬会の岩井惇司会長は「英雄にあやかろうと削り、破片をお守りにしているのでは」と推測。風雨の影響もあり最近は頭部がほぼなくなり、穴だらけになるなど、見る影もなくなっていた。
除幕式には会員ら約15人が参列。日を浴びて黒光りする龍馬像を前に、宮司を兼務する八坂神社の森壽雄宮司は「立派な像ができ、多くの人にお参りいただける」とあいさつ。岩井会長は「再建は地域住民の長年の願いだった。龍馬が今後とも多くの人に愛されてほしい」と喜んでいた。
12/25 京都新聞
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氏子たちでつくる崇敬会会員の寄付で再建した。像は高さ56センチで、50センチだったこれまでの像より一回り大きくなった。従来の像は石こうの表面を青銅で覆っていたが、アルミ合金製に変えた。
同神社は、江戸時代には現在の元立誠小付近の土佐藩邸内にあり、同藩出身の龍馬も参拝していたとされる。1887年に現在地に移った。龍馬とのゆかりを伝えるため1989年春に会員が持っていた像を、境内に台座を設けて建立した。しかし、数年後から傷跡が見られ始めた。崇敬会の岩井惇司会長は「英雄にあやかろうと削り、破片をお守りにしているのでは」と推測。風雨の影響もあり最近は頭部がほぼなくなり、穴だらけになるなど、見る影もなくなっていた。
除幕式には会員ら約15人が参列。日を浴びて黒光りする龍馬像を前に、宮司を兼務する八坂神社の森壽雄宮司は「立派な像ができ、多くの人にお参りいただける」とあいさつ。岩井会長は「再建は地域住民の長年の願いだった。龍馬が今後とも多くの人に愛されてほしい」と喜んでいた。
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