Walking Holidays ~ニュージーランド編~

大好きなトレッキングを中心にニュージーでの生活を綴ります。なのでWorkingではなくWalking Holidays!

Routeburn Track 最終ー山岳散歩ー

2013-04-19 | ニュージーランド生活
サイドトリップのコニカヒルに登った後は、下りのはじまり。

同じ湖だけれど、陽があたると隠された美しさが露わになり、
その輝きに引き寄せられてしまいます。



誰もいない。
音もない。
聞こえるのは、むこうに流れている滝の音だけ。

当たり前だけれど、滝や川は24時間絶え間なく流れている。
朝もやのかかる早朝だって、真っ暗なやみ夜の中でも。
人間が気づかなくても、見ていなくても。

ただ、それだけでスゴイなって感激なのです。

この前、ぽろっと同じようなことを人に言ったら、キョトンとされました(笑。
当たり前じゃん、って。

たぶん、こんな風に考えるのは、自分が小さい頃から都会で人工的なものに
囲まれてきたのが影響してるんだと思います。

近所の公園の滝や噴水は、5時になると水の流れがとまる。
夏の水不足のシーズンも止まっているときがある。
遊園地の滝や川は、閉園時間になったり、休園日は止まっている。
そもそも、天然の滝なんて身近になかったし!

きっと、人がいない時、眠っている時=水は止まっているというイメージが無意識の中にあるのだと思うのです。
だから、大自然の中で真夜中に滝がゴーゴー音をたてて流れているのを見ると、思わず、「おお生きている」と、ちょっと怖くなるのかもしれません。

頭で考えたら、滝が絶え間なく流れているのは当たり前なのだけれど、「体験値」が足りないから、
実際その光景を見ると、今までの経験との大きな誤差がうまれて、頭がおかしな発想をするのでしょう。


けどね、

私の好きな、写真家であり作家である星野道夫さんの言葉で、こんな言葉があるんです。
「すべてのものに平等に同じ時間が流れていること-満員電車に揺られながら学校へ向かう途中や東京の雑踏の中で、今同じ時間にヒグマが原野を歩いていることへの不思議な気持ち。」

これを本で読んだ時、自分の今目の前に見えていない地球上の大自然の世界を想像し、ロマンだなあと思ったのと同時に、豊かな気持ちになったような気がしたのを覚えています。そして、いつも、頭の片隅にその世界を忘れないでもっていたいと思いました。

私にとっては、滝も同じなのです。
自分が余裕なくカツカツ生活しているときでも、滝はあいかわらずゴーゴーと音をたてて、悠久の流れを作り出している。だから、その光景を心の中に描き出せると、ホッとするし、今、目の前にある世界だけが世界ではないと、少しの余裕を思い出せるのです。


なんだろう、
悠久の時の流れというのでしょうか。人間の私とはるかに違う時間軸で存在するものの時間の流れを
自分の感覚に刻んでおくことって、自分の軸を豊かにしてくれるものだなと思っています。


そんなことを思いながら、最後の宿泊をするハットへ。

じゃん、今晩の宿泊人数、私含め4人(笑)。

今までのグレートウォーク・ハットでは、あり得ない人数の少なさ!

なぜかと言うと、立地的にトラックのスタート&ゴールポイントから2時間弱のところにあるハットなので、通常なら泊まるには微妙な距離のため、みんなスルーしてしまうのです。が、私は翌朝10:00のバスに乗るために、ここを選んだのです。

いやあ、山小屋っていうより、誰かの家に滞在したような静けさでした(笑)。
まあ、色々おしゃべりできたのでよかったですが!

ルートバーンの写真はこちらをどうぞ。