どうもit'sよしおです。
さて、皆様方は『他人の目👀』を気にして生きていますか❓
または、周囲に『他人の目👀』ばかり気にして生きている人はいませんか❓
私はというと、そりゃ『他人の目』を気にすることもありますが、基本的には他人の判断基準で自己決定はしません。
ただし、言われて嫌なことは、しっかり正面から受け止めて振り返ることはしています。
『苦言を呈す』とありますが、これってとても『有難い事』なんですよね。
だって、『他人の目👀』を気にしている人が多い中、これ出来る人は明らかに少数派です。
そして、他人の目を気にする段階を通過し、言葉を発する段階では、それ相応の覚悟が伴うわけであります。
よって、言える人は基本的に少ない。
私は、昔から思ったことを言えるサイドの人間なので、
言えない人の気に対して、あまり共感は出来ないのですが…。
そんな中で、『諫言…かんげん』という言葉があります。
これは諫(いさ)める言葉です。
そもそも諫めるとは、
目上の人に対し、過ちを改めるように忠告するという意味です。
陰でありがちな、
「上司の○○さん、※※を直したらいいのにねぇ」
これを直接言うというわけですね。
まさに、とんでもなく破天荒な荒技。笑
ただね、これ日本人特有の誤解もあるわけなんですよ。
これ言ったからって、相手を侮辱するわけじゃないんですね。
そもそも、この諫言は中国は唐の時代、前回記事からの続きでして、帝王学から来てます。
さらにさらに、『外国』では、基本的に自分の評価は自分で決めるスタンスなんですね。
かという日本は、自分の評価を他人が決めるスタイル。
ここに、乖離があるわけです。
なので、日本では…
初めから諫言を受け入れてもらえない前提で捉えておかないと痛い目見まっせ。
そのような感覚でないとヤバいわけですな。
ちなみにですが、
言われて嫌な事を受け入れられない=自己肯定感低め
が成立します。
だって、自分に自信が無いから、他人の評価を気にするわけで。
結果、巡り巡って『他人の目👀』を気にする人が多いとなるわけですね。
しかし、そんな他人任せな人生って…。
開き直っちゃえばいいのに。と思う今日この頃です。
まとめると、
自信は1日にしてならず。
生涯かけて磨く物。
以上です。