●アラハバキ ●荒神様 は別物
お恥ずかしい話が調べて見るまで関係有ると思っていた。
日本の神社は幾つかの系統で成り立っている。
元旦に書いた日記に藤島神社と白山神社が背中合わせに建っていると書いた。
日本には今神社成るモノが何社有るのかな。
アラハバキは社殿自体も無いモノも有るようだ。
日本人は感謝して日常の生活を送っていたことがハッキリと判る。
★アラハバキ - Wikipedia http://bit.ly/yFL7oA
アラハバキ(荒覇吐、荒吐、荒脛巾)は、日本の民間信仰の神の1柱である。
「まつろわぬ民」であった日本東部の民・蝦夷(えみし、えびす、えぞ)がヤマト王権・朝廷により東北地方へと追いやられながらも守り続けた伝承とする説が唱えられている。
長脛彦を祀るということから。脛(はぎ)に佩く「脛巾(はばき)」の神と捉えられ、神像に草で編んだ脛巾が取り付けられる信仰があった。多賀城市のアラハバキ神社で祀られる「おきゃくさん」は足の神として、旅人から崇拝され、脚絆等を奉げられていたが、後に「下半身全般」を癒すとされ、男根をかたどった物も奉げられた。
宮城県にある多賀城跡の東北にアラハバキ神社がある。
多賀城とは、奈良・平安期の朝廷が東北地方に住んでいた蝦夷を制圧するために築いた拠点である。谷川健一によれば、これは朝廷が外敵から多賀城を守るためにアラハバキを祀ったとしている。
にとっての外敵とは当然蝦夷である。つまりこれはアラハバキに「塞の神」としての性格があったためと述べている。
先の、多賀城跡近くにあるアラハバキ神社には鋏が奉納され、さらに鋳鉄製の灯篭もあるという。
多賀城の北方は砂金や砂鉄の産出地であるという。
後述する氷川神社にも鉄と関連付ける説がある。
聖徳太子が物部守屋との仏教受容をめぐる戦いを制し建てた、日本初の大寺である大阪市の四天王寺について、アラハバキ及び縄文系との関わりが指摘されている。
★謎の神 アラハバキ http://bit.ly/zaHIbm
アラハバキという神の名は、『竜の柩』において、ひとつのキーワードの役割を果たしている。
ヤマタノオロチ伝説の新解釈、鉄とアラハバキ族との関係、アラハバキと道祖神・少彦名神の一致など、多くの仮説を展開する上でアラハバキは重要な鍵となっている。
★AI 『竜の柩』 http://bit.ly/zsIhYT
★高橋克彦 - Wikipedia http://bit.ly/zGSq4k
高橋 克彦(たかはし かつひこ、1947年8月6日 - )は、日本の小説家。
岩手県釜石市生まれ、盛岡市在住。
岩手中学校・高等学校を経て早稲田大学商学部卒業。
盛岡藩の御殿医の家系で開業医の家庭に育ち、医学部受験の経験がある。父は医師の高橋又郎(2002年没)。
エッセイストの高橋喜平と、「どろ亀さん」の愛称で親しまれた東大名誉教授の高橋延清は伯父にあたる。
『総門谷』『竜の柩』などのアクション伝奇小説(広義のSF)、『炎立つ』『火怨』などの歴史小説のほか、ホラー、ミステリー、時代小説など、幅広いジャンルで活躍する作家。東北地方を舞台とすることが多い。
★民俗学からみたアラハバキ(1) http://bit.ly/AxICR1
★5 鬼の神「荒脛巾(アラハバキ)」 http://bit.ly/AwzrCq
★アラハバキ神社(宮城県多賀城市) http://bit.ly/wuBWLe
★客人社と荒波々幾神を祀る神社一覧 http://bit.ly/zaiynR
★アラハバキ神と謎の古代史「記紀」 http://bit.ly/zk2LHA
★多賀城のアラハバキ神社 http://bit.ly/yC9rpw
★遮光器土偶を目指す旅~ http://bit.ly/Aoa8UE
★市原市の荒脛神 http://bit.ly/wSwj3r
★アラハバキ神社 http://bit.ly/wVqqIH
★風と土の記録 http://bit.ly/xqCiLe
★アラハバキ山 http://bit.ly/wSEz9O
★アラハバキ神 http://bit.ly/zKp9iw
★アラハバキ http://bit.ly/zznxJV
★アラハバキ http://bit.ly/zHwE8D
★アラハバキ http://bit.ly/xQ7Tb3
★アラハバキ http://bit.ly/xSO3Mn - はてなキーワード
★荒脛巾神社 http://bit.ly/ABW6qU
★丹内山神社 http://bit.ly/xBTGeP
★あらはばき http://bit.ly/zD1mLE
★丹内山神社 http://bit.ly/yQpbss
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★東日流外三郡誌 http://bit.ly/A3T0Ds
★東日流外三郡誌 http://www.asios.org/tsugaru.html
★東日流外三郡誌 http://bit.ly/AkoMOn ウィキペディア
★東日流外三郡誌(つがる そとさんぐんし)の概略http://bit.ly/wdW9nO
★東日流外三郡誌はウソの話か http://bit.ly/w0Ne9S
★津軽十三湖とはどんなものか http://bit.ly/ACrFxS
★東日流外三郡誌「偽書」の証明http://bit.ly/wbyCoC
★東 日 流 三 郡 誌(Adobe PDF)http://bit.ly/zgPBTA
★『東日流外三郡誌』関連論考 http://bit.ly/AeNvjg
★東日流[内・外]三郡誌 http://bit.ly/yBwUHy
★裁判・判決とその問題点 http://bit.ly/x8TYP4
★日本国の原風景 http://bit.ly/yVGkDl
★『東日流外三郡誌』序論 http://bit.ly/xAblUO
★東日流外三郡誌の世界 http://bit.ly/wkY4Ey
★『東日流外三郡誌』公刊のいきさつ http://bit.ly/xxLxea
★「東日流外三郡誌」論争 http://bit.ly/yj8SnI
★偽書「東日流外三郡誌」事件 http://bit.ly/y5vhut
★【寛政原本】東日流外三郡誌界隈4【古田史学】http://bit.ly/w5RE15
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★荒神 - Wikipedia http://bit.ly/xtaVlX
日本の古典にある伝承には、和魂(にぎみたま)、荒魂(あらみたま)を対照的に信仰した様子が記されている。
民間伝承でも、温和に福徳を保障する神と、極めて祟りやすく、これの畏敬(いけい)の誠を実現しないと危害や不幸にあうと思われた類の神があった。
後者が一般的な意味での荒神である。後者は害悪をなす悪神であったので、本来これを祀るものはなかった。
仏教の伝来とともに、インドで行われた、例えば夜叉・羅刹などの悪神を祀りこれを以って守護神とする風習が伝わった。
そして古典上の荒ぶる神の類を、陰陽師(おんようじ)やその流れを汲む祈祷師(きとうし)が、外来教典に基づく神のように説いたことからこの呼び方が普及したのである。
すなわちヒンドゥー教での悪神が仏教に帰依した後に守護神・護法善神とされた風習が、日本の風土でも同じくされたものである。
つまり古来からいう荒魂を祀って荒神としたということになる。
荒神信仰は、西日本、特に瀬戸内海沿岸地方で盛んであったようである。
ちなみに各県の荒神社の数を挙げると、岡山(200社)、広島(140社)、島根(120社)、兵庫(110社)、愛媛(65社)、香川(35社)、鳥取(30社)、徳島(30社)、山口(27社)のように中国、四国等の瀬戸内海を中心とした地域が上位を占めている。
他の県は全て10社以下である。県内に荒神社が一つもない県も多い。
荒神信仰には後述するように大別すると二通りの系統がある。
(三系統ともいう。)
屋内に祀られるいわゆる「三宝(寶)荒神」*(1)、屋外の「地荒神」である。
★三宝荒神 - Wikipedia http://bit.ly/xnRAjp 荒神は、仏法ならびに伽藍の守護神のことである。
★荒神神社 (遠野市) - Wikipedia http://bit.ly/y1NfRA
遠くに早池峰山を望む周囲を田畑に囲まれた狭い土地に鎮まる茅葺屋根の小さな宝形造社殿が周辺に立つ樹木とあわせて独特の風景を形成し、日本の原風景を作り出している。
★家相 縁起棚・荒神棚 http://bit.ly/ACEDs1 神棚以外(荒神棚・縁起棚・恵比寿棚)
★西浦荒神社:荒神様 http://bit.ly/z2CgeD http://bit.ly/Az1OBd
★三月荒神 - 熊本の西浦荒神社・総社宮 http://bit.ly/wz1v2M
★千躰(せんだい)荒神祭 http://bit.ly/wWSN7t
★神棚と荒神様の違い、祭り方は異なりますか?? - Yahoo!知恵袋 http://bit.ly/A19RpQ
★京都御所のすぐ東に荒神社があり,ここから東に出る道を荒神口と呼んでいます http://bit.ly/wXSIvG
★防府の高倉村にあった高倉荒神様 http://bit.ly/zKnym0
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★荒神様 http://bit.ly/zZg098
荒神様といえば「火伏せの神様」として広く知られ、古くから火を使う場所では、必ずといってよいほど祀られています。荒神様には内荒神と外荒神とがあります。
内荒神には、火伏せの神としてのカマド・カマヤ荒神とカワヤの悪霊を防ぐカワヤ荒神があり、外荒神には、家の方向や鬼門を守る屋敷の神としての屋敷荒神がありますが、一般的には「カマド(クド)やカマヤなどの火伏せの神様」として信仰されていました。
昔から火は人間にとって、その扱い方次第で大変有益なものとなったり、又災となったりするところから人々は大切に扱い、火に対して崇めと恐れの念を抱いていました。この心が、広く人々に受け継がれ、荒神信仰という形で現れたものと考えられます。
近年、新築や改築によって台所が土間から高床へ、カマドからガス、電子レンジへと変わり、荒神信仰の形態にも変化が現れていますが、火を大切に扱うという心は今も昔も変わらないようです。
カマド使用が一般的であったころ「火が切れる」「飛火する」あるいは「注意力を欠く」ということのたとえから「カマドに切れ物を置くな」とか「カマドの前でけんか口論するな」など、言われていたのが好例だと思います。
日暮れ時になると、家々のカマドから立ち上る煙、それが風にたなびき、あたり一面に何とも言えぬ雰囲気をかもし出していた光景をほとんど見ることができなくなりました。
このような何気ない光景の中に、今、失われつつある「ふるさと」はあったように思います。