膠着語が日本語の特徴であるなら、「語」のくっ付け役「助詞」は大昔から使われてなくてはならない。現代の使われ方の「で」は、上代にはさすがにないが、今と同じように体言(*2)に付く「が」「の」、さらに「を」「に」「へ」「と」など格助詞は実に多く使われている。万葉集の巻一、柿本人麿の29番(近江の荒れたる宮を過ぎし時の)長歌「…畝傍(うねび)之山乃 橿原乃・・・淡海國(あふみのくに)乃 楽浪(ささなみ)乃 大津宮(おおのつみや)尒(に)・・・大殿(おおどの)者(は)・・・」と、頻繁に出てくる。際限なくと言っていい。今は平仮名があるから、それを使うが、当時はまだ仮名が考案されてないから音(おん)でそれに合う漢字を当てている。いわゆる万葉仮名であるが、同じ音なのに当てている漢字が違うことが、ままある。「ノ」の音がいい例で「之」「乃」さらに他では「能」も当てられている。「ハ」音は「者」のほか「波」が多い。「オ」と「ヲ」ははっきり区別され、「オ」音には「於」の漢字がほとんどで、「意」もときどきある。「ヲ」に対しては「乎」が圧倒的に多く、「遠」「呼」がたまに。「ニ」音は「尒」と「仁」が半々の感じ。「ノ」の助詞は、その上にある名詞で使い分けしているのだろうか。例えば天皇が来ると「之」で、それ以外は「乃」、あるいは女性だったら「乃」で受ける。そういうことがあるのかなと調べたが、そういう法則性はなかった。好みで使い分けしていたのだろうか。
わが国に漢字が入ってきて「書く」という行為を始めた。それまでは話し言葉で意思疎通を行っていた。漢字を知り、その字の発音を知り、意味が分かってきてきた。それで話し言葉を漢字で表現したのが、表音の仮名であり、表意漢字でそれらを使って表現しやのが*(3)「上代文学」だとなる。
話し言葉では、これらの助詞は我が国に漢字が入ってくる、はるか前から豊富に存在していたとみていいだろう。そういう「大和ことば」の広がりの中にあって、万葉の詩人たちは、巧みに助詞を使って心情を表した・・・。 (つづく)
*2体言=活用のない自立語。主語となることができる。名刺・代名詞。
*4上代文学=大和・奈良時代の文学。『古事記』『日本書紀』『万葉集』『風土記』など。
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