“『は』の不思議”(2)
せっかく褒めてもらったのだが、実のところ文章つくりの教育を、系統だって受けた記憶がないのである。もちろん教える側に回った記憶もない。「三つの条件」の心構えを、改めて振り返ってみた。すると、あの時がそうかな、と思い当たることもある。
毎年、夏になると高校野球地方予選が全国で始まる。駆け出しの記者は必ず警察を担当しながら、この高校球児を、甲子園に行くまで担当させられる。望遠レンズでの撮影の難しさを覚え、暗室で焼き付けしながらセンスのなさを嘆き、複雑なルールブック「野球規則」をめくりながら、「野手選択・フィルダースチョイス」とは何かを知る。スコア・ブックを付けながら原稿を書く。見逃した選手の動きは、そばにいる大会運営の手伝いをする高校生たちに聞く。すべては事実を正確に記録するためである。ワンサイドのつまらない試合もあればスリリングな試合もある。多くの根っからの高校野球ファンが見ていて翌日の紙面を楽しみにしていてくれる。ここで“多田三条件”が必要になってくるのだ。すなわちたかが野球、「わかり易く」なくてはならないし、数字や選手名を間違っては折角の記事が台無しだ。もちろん「面白く」なくてはならない。一緒に見ていた高校生は翌日の記事に対して自分たちの感受性でもって鋭い批評を浴びせてくることもある。たとえ五行でも疎かにできない。あの複雑怪奇な野球規則を読み込めれば、刑法や刑事訴訟法を繰り返し読む自信はついてくる。そういう意味でも高校野球の取材は新聞記者の“基礎体力”を付けてくれるのである。(つづく)
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