『新古今和歌集の部屋』さんにヒントをいただいた情報です。
https://blog.goo.ne.jp/jikan314/e/1e5b6a3c4ccedc669ba6f0a4d4ab2784
私も24年前に5年間ほど「柳瀬川」に住んでいて、この「朝霞台」を通過していました。
その「朝霞」からヒントを得ての「安積」「安積香」。
どうしてこの漢字で「あさか」と読めるのでしょう。
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「橘の香り : 古代日本人が愛した香りの植物」という本の中「人名としての橘」の章に、橘諸兄たちばなのもろえ(684~757年)がでてきます。
橘諸兄は、「葛城王」(かつらぎのおおきみ)の事で、つまり同一人物だそうです。
なぜ、葛城の名前がついているのでしょう。
ちょっと調べましたが、その由来は見つかりませんでした。
葛城中大兄皇子(のちの天智天皇)・葛城稚犬養網田……
葛城という名前を持った乳父母がいたのかもしれない、とも思いますが、敏達天皇の子にも葛城王がおり、それを意識して付けたのかもしれません。
其の敏達天皇を入れて6代目の子孫が「橘諸兄」となります。
この方のお墓は綴喜郡にあります。
其の綴喜郡、何かで最近見聞きして・・・。何だったのか?思い出せなくて。。。
隼人舞のことだったかな(memo)
綴喜郡
http://kyotana.be/object/detail/119/