17年間のボッチ自宅介護を振り返る

1人で自宅で認知症の母親を介護、その間、父親も6年間の介護のすえ、どちらも家で看取る。その17年間はなんだったのか? 

2 119番

2025-02-14 12:34:47 | 介護
2006年4月21日(金)、授業を終えて早々に職場を出て、また自転車をこぐこと30分、家に着いた。

もしかしたら、という私のかすかな希望とは逆に、ばあちゃん(母親)は、家を出たときより、さらにぐったりしていた。前回書いたように、帰ってくる時どうするか考えていて、よくなっていなかったら119番しようと私の中では決めていた。じいさん(父親)は、相変わらずリクライニングの椅子でぐったりしていた。じいさんに、119番することを告げると、病院に連れて行くにも方法がないので、それでいいと。

119番。

「火事ですか救急ですか」と言われたかどうか、覚えていない。私にとって、その後、何度もお世話になる初めての119番だった。

母が具合が悪くなったので、とだけ言ったら、すぐ救急車をよこすと言ってくれた。理由は聞かれなかった。

すぐに電話があり、救急車からで、サイレンの音がものものしく受話器から聞えてきた。病人の容態をきかれる。足が痛くて歩けないと伝えた。年齢など聞かれたかもしれないが、その時、ばあちゃんの歳とか生年月日、知らなかったかも。

“せいぶ”救急です、と言ったので、西武でやっている民間の救急車かと思った。有料? 来てみて“西部救急”で消防署の救急車だとわかった(この後知るようになるのだが、救急車っていろんなところから来てくれるんだね)。

救急隊員の方が3名ほど家の中に入り、いろいろばあちゃんの容態をみたり、こちらも、ここ2~3日の出来事を話したのだが、どうも病気じゃないのではないか、という言い方をする。

一番偉そうな人が、脚をさわって痛いかどうか確かめたり(ばあちゃんもこういう時は、そう答えるからなあ(苦笑)、本当に痛くなかったかもしれないが)、腕に力が入るかどうか確かめたが、異常はないという。力が全体的に弱そうなので、栄養がたりてないのではないか、ちゃんと食事させているか、のようなことを言う。栄養失調だろう、はては老人虐待とてでも言いたげな感じだ。

こちらとしては、ここ2~3日の異状な状態からそうは思えないので、このときの救急隊員の方の応対にはちょっと不愉快な印象をもった。また、朝、便所で倒れていた時なぜ、119番しなかったのか、どうして、仕事から帰ってきから電話したのかなどきかれ、何とも返答しようがなかった。こんなのに救急車を呼ぶな、自分で病院に連れていけ、という印象を受けた。

これは病院に連れて行ってくれない? 自分でやるしかないのか? という不安も私の中で少しかすめていた。

それでも、救急車をだしてくれるこになった。隊員の一人の方が、じいさんに、「お父さんも、具合悪そうだし、大変だね。」と声掛けしてくれる。ばあちゃんの身の回りのものを簡単にまとめて、救急車に乗り込む(初めての体験、狭い)。この時は、わが家の玄関までの通路が狭く、ばあちゃんは担架に乗せられ庭からで出たんだったか?

サイレンの音に気付いた近所の人たちが何人かこちらを見ていた。

これで案外すぐ出るのではなくて、行く先の病院とやり取りしているらしい。個室しかあいていない、それでもいいか、と聞かれた。いいですとしか言いようがない。この時は、目の前に横になっているばあちゃんのことを思うより、自分がどうなっていくのか、不安は不安なんだが、ちょっと何かが違うという、先が見えない、ぼーっとした感じだった。


19年たって、今思うことだが、なぜすぐ119番しなかったのか。脳梗塞だったら 何時間以内に適切な処置をすれば助かる、逆にそれを超えると危ないとかいうが、そんなことは知らなかったと思う。知らなくてもすぐ通報しなけりゃダメだろう。

実は、この3年後、脳梗塞と思われる事例に2度遭遇するのだが、その時は、脳梗塞じゃないのかと思いすぐ救急車を呼んだ。それぐらいのことは私もしている。

でも、それでも、後で書くことだが、この少し前にいろいろあったことも関係して、緊急は緊急だが、脳梗塞のような緊急性を要する病気でもないかなあ、という迷いがあった。でも、なんかおかしい。それで当時すでに言われていたであろう、安易に救急を利用するな、という思いもあって、119番に躊躇していた。全くの素人考えだが・・・要するに大事(119番)は少しでも後回し(どん が起こるまでは)に、ってことだね。

また、動けない年寄りを病院に連れいくということが、どういうことなのか、わからなかった。全く初めてのことだ。

どやって? うちにはクルマがない。後で知ったが介護タクシーなんてあることも知らなかった。7119も知らない。

また、病院に救急外来と一般外来があることも知らなかった。これも後で、知ることになるのだが、動けなくなったじいさんを介護タクシーで病院に連れ行ったら、救急では受け付けてもらえず、一般外来扱いで、えらい大変なことになった。


どこに連れていかれるのかわからなっかたが、進行方向を見ているとすぐに近所の病院だとわかった。着くと救急隊員の方が、まず受付で手続きをしてくれという。これがわからない。私がこの病院に入るのは子供時以来何十年ぶりだ。当然建物も違う、とこが入り口なのか、警備員の人にきかないとわからなかった。ようやく受付で聞いてみると、救急の場合、受付はしなくていいとのこと。う~~、といった感じ。

ちなみに、この病院で母方の祖父(ばあちゃんの父親)が死んでいるんだが、私は入院中一度も見舞いに行かなったというじいさん不幸者だった(苦笑)。

救急の入り口の所で待っていてくれというので、そこの長椅子に座り、ちょっと待たされる。この長椅子もこの後、何度もお世話になる。

少し呼ばれて、医者に容態をきかれるが、印象は救急隊員と同じ。脳梗塞などの簡単な検査はしたのだろう。どこも悪くないようだ、あとはCTかと、と言う。一通りのことを話し終わると、また、外で待っていろと。もしかして何でもないのかも、ここでダメならと少し不安になる。

外でまた待っていると中から聞えてくる。どうやら立たせた状態を見ているらしい。それで、ようやく、どうも様子がおかしいと、流れが変わったのが外に居ても分かった。

ばあちゃんがトレイに載せられて検査に連れて行かれた後だっと思うが、さっきの偉いさんではない救急隊員の方が帰ると言いに来たので、外に出て礼をいう。救急隊の方にも伝わっていたのか、その時はもうぞんざい態度ではなかった。

実は、この後、検査で病名がわかるんだが、救急隊員でも一応症状など知っていなきゃいけない病気なんじゃないかと思う(医者でも即断はしなかったが)。年寄り(とは限らないが)には、ありがちな病気のようだ。急性じゃいが、ほっておいたら命にかかわる病気だ。栄養失調はわかっても、素人じゃわかんないと思う。最近、たまに耳にするが、私は、その時が初めて聞く病名だった。しかも一度で何を言っているのかわからず紙に書いてもらった(笑)。

まあ、この後、17年間、ええ!? そんなこと素人には無理でしょう、ということが結構あった。まあ、十数年も前の事だから、その辺の素人への対応は今とは違うだろうが。広い意味での教育、情報伝達の問題だね。


救急車というと、昔、赤痢が流行ったことを思い出す。小学校でも、どこのクラスでも何人かかかり、入院した。その子たちにお見舞いに絵描いて送ろうと言うことになった。なかなか何を描いたらいいか浮かばない。病気ということで、私たちのグループは救急車の絵を描くことした。上手く画けたと思った。ところが担任の岩本先生に大目玉をくらった(笑)。病気で大変な思いをしている人たちに対して何だ、という事だったらしい。今だったら、どうなのか? 今でもそうか? ほかのグループの描いた絵を見て、子供心にもうまいこと描くもんだなあと思ったが。

写真は、この3週間前の3月30日。下から雑草が生えてきたのが面白く、撮ってみた。この時は、全く分からなかったが、すでに兆候はあったんだなあ。







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