3月19日 日曜日
こんにちわ。 酒好きの思想家です。
世紀の大問題です。
「なぜ、イエス様が殺されたのか。」 です。
結論から言うと、死は神からの贈りものだからです。
それに気づけと言う訳です。
では、なぜ磔に?
それは後世に強い印象を残すためです。
壮絶な死に際が必然で必要だったのです。
私の「死想論」(未発表)から読み解くとこうなります。
人類にとっての最大の問題点とは、
「死の恐怖を克服できないこと」にあります。
死の恐怖からの開放こそが、新人類というわけです。
その為には、愛が重要。
死は神からの贈りものであり、死は自らの為の死であるから、
その死を愛しなさいと、神が気づきなさいと言っているのです。
イエス様の死はけっして無駄死にではありません。
むしろ、死から目を逸らしてはいけない、愛を強く持ちなさいと語りかけているのですから、
報復などイエス様が望んでいるはずもなく、ましてユダヤを恨み続けることなどしない。
そうではない。
AI人工知能には永遠に理解できないことかもしれないが、
死を愛することが、死の超越となる。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地とは、
この死を愛すること意外に解決策はどこにもない。
逆に言えばこうなります。
愛がないと死ねないし、死の恐怖に取り付かれる。
それだけではない。報復にも出るし、争いが絶えなくなるのも当然の結果。
総ての社会現象の正体は、この死の恐怖から生まれる現象であることが解かるはず。
その事実を何時まで続けるかを選択することが今日においての社会問題であることも明確。
問題が見えた。解決策もある。
さあ、どうする?世界中の宗教家たちよ。
ユダヤ教が悪いのでもなければ、キリスト教が悪いわけでもなく、ましてイスラム教が悪いわけでもない。
問題なのは、宗教家のレベルにある。なぜなら、宗教家のレベルが人類のレベルだからだ。
いつまでもイエス様の死に拘って死の恐怖を超越できなければ、宗教戦争も夢ではなくなると感じます。
もう一つ、大問題があります。
それはこの世が楽園ではなく、地獄かもしれないということです。
だから、自然に任せていては破滅するというわけです。
私の「地獄論」(未発表)によるとこうなります。
この世は地獄だから、愛を強く持ってさっさと死になさい。と。
長生きするほどに、楽園が遠のくかもしれないと。
そう考えると、寝たきり老人には愛がないのかもしれません・・・。
この話は長くなるので、続きはまたの機会に。
つづく。
こんにちわ。 酒好きの思想家です。
世紀の大問題です。
「なぜ、イエス様が殺されたのか。」 です。
結論から言うと、死は神からの贈りものだからです。
それに気づけと言う訳です。
では、なぜ磔に?
それは後世に強い印象を残すためです。
壮絶な死に際が必然で必要だったのです。
私の「死想論」(未発表)から読み解くとこうなります。
人類にとっての最大の問題点とは、
「死の恐怖を克服できないこと」にあります。
死の恐怖からの開放こそが、新人類というわけです。
その為には、愛が重要。
死は神からの贈りものであり、死は自らの為の死であるから、
その死を愛しなさいと、神が気づきなさいと言っているのです。
イエス様の死はけっして無駄死にではありません。
むしろ、死から目を逸らしてはいけない、愛を強く持ちなさいと語りかけているのですから、
報復などイエス様が望んでいるはずもなく、ましてユダヤを恨み続けることなどしない。
そうではない。
AI人工知能には永遠に理解できないことかもしれないが、
死を愛することが、死の超越となる。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地とは、
この死を愛すること意外に解決策はどこにもない。
逆に言えばこうなります。
愛がないと死ねないし、死の恐怖に取り付かれる。
それだけではない。報復にも出るし、争いが絶えなくなるのも当然の結果。
総ての社会現象の正体は、この死の恐怖から生まれる現象であることが解かるはず。
その事実を何時まで続けるかを選択することが今日においての社会問題であることも明確。
問題が見えた。解決策もある。
さあ、どうする?世界中の宗教家たちよ。
ユダヤ教が悪いのでもなければ、キリスト教が悪いわけでもなく、ましてイスラム教が悪いわけでもない。
問題なのは、宗教家のレベルにある。なぜなら、宗教家のレベルが人類のレベルだからだ。
いつまでもイエス様の死に拘って死の恐怖を超越できなければ、宗教戦争も夢ではなくなると感じます。
もう一つ、大問題があります。
それはこの世が楽園ではなく、地獄かもしれないということです。
だから、自然に任せていては破滅するというわけです。
私の「地獄論」(未発表)によるとこうなります。
この世は地獄だから、愛を強く持ってさっさと死になさい。と。
長生きするほどに、楽園が遠のくかもしれないと。
そう考えると、寝たきり老人には愛がないのかもしれません・・・。
この話は長くなるので、続きはまたの機会に。
つづく。