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イジメ問題考える場を。

2017-03-26 | 社会問題
 3月26日 日曜日


 こんにちわ。 酒好きの思想家です。


深刻なイジメ問題を無くそうとするものは、長い歳月をかけなければ

その問題解決の着想を捻り出せないと考える訳だが、

それは労のみ多くて功少なく、道を踏み間違えているとも見えるのである。

なぜなら、よりましな方法は、イジメそれ自体が大前提として存在し、

見せかけの助け合いや声掛けで解消されるものではなく、

むしろ積極的にイジメを受け入れなければ

さらに苦しみが最大化しかねないからである。

ようするにこういうことだ。

イジメが永久に無くならないことを受け止めた上での結論は、

自らが自らをイジメ抜くことである。

逆に言えば、自らに「あまい」と他人の言うことは何でもイジメになってしまう。

イジメのメカニズムはこうだ。

「ジャイアン」が「のび太」をいじめるのは

「ジャイアン」が出来て、「のび太」が出来ないことをやらせてイジメているのである。

逆に、「のび太」にしか出来ないことを「ジャイアン」にやらせて笑えば「のび太」がいじめっ子になる。

その「のび太」にしか出来ないことを習得する方法が

自らをイジメ抜くことなのである。

子供は誰でもイジメっ子であって、イジメられっ子なのである。

イジメが無くならないのならば、他人にイジメられるか、それとも自らの意思で自らをイジメるのか、そのどちらかにしかイジメ問題の解決策はないと考えます。


もう一つ、

集団行動でのイジメについてです。

森友問題を見れば分かるように、あれは「集団イジメ」が目的であって、

本来の目的、何をどのように解決したいのかが全然見えてこない、一種の病気です(カンのいいヤツは気づけよ)。

集団の恐ろしいところは、それが何であれ集団で行えば、それが正しいと勘違いするところにある。

だから、病気には病気に強い専門家でなければ対処できないから、

その強い専門家を連れてくるのが解決策。集団には集団で対応する。


イジメ問題を考える場合に必要なことは、

自らの長所、自らの得意技を身に付けることが何よりも重要だ。

イジメを無くそうとする消極的な発想ではなく、むしろイジメから逃げずに、

イジメを克服することが出来ればその人物は国家の宝者というわけである。



日本の名著である 「葉隠」 の一小節にこう書かれています。

「子供の頃はずいぶん不幸なるが良し。不幸にくたぶれる者は役に立たざるなり。」






    つづく。