10月2日 月曜日
おはようございます。 ウィン・ウィン国王です。
感情を感性に導く教育こそが本物の宗教である。
社会の分断や人間対立の根源が我々の感情によるものならば、
その感情を感性に高めることが可能ならばウィン・ウィンだ。
なぜなら、
本能的な感情だけでは善悪の判断がつかないが
感性には崇高な英知が宿るからだ。
実際、高級な感性である感謝や感動、共感能力には美しさと同様、心が正しく導かれるものであり、金銭では買えないほどの喜びや幸福、満足感が備わっているからである。
私たちの日常の怒りや不安、疲労や混乱は
脳にその原因があるにしても、
その脳に疲労をもたらしているのが、感情である。
良い感性は疲れを癒すが、悪い感情は疲労感を得る。
従って真の教育とは、感情を感性に変える教育だと断言する。
代表的なものは、「愛」 です。
「愛」とは概念でもあるのだから、頭の中に「愛の概念」が無ければ
その人物に 「愛がない」 ことになる。
だから、「愛の概念」を明確に説明できることが感情を感性に導くためには重要だ。
「愛って何ですか?」 あなたは説明できますか?
偉大なるイエス様が説かれるように、
我々人類の最大の課題は、「愛の欠如」 だと言えるのだから、
その「愛」を世界に伝えるためには、ローマ法王のお力が必要不可欠だと考えるのです。
感情を感性に導く為の方法の一つは 「愛」 があります。
「愛」とは、1、性欲愛 2、感情愛。
この二つは動物愛。人間愛ではない。
重要なのはその次の 3、理性愛だ。
その「理性愛」を判り易く二つに分けて良く見ると、
一つは、「自己愛」であり、
もう一つは、「隣人愛」だ。
どちらも大切な 「愛」 には違いなのだが、
どちらも極度にバランスを失っては混乱が生まれるように、
「自己愛」だけでは、自らが幸せであるには他人が不幸でなければならず、
「隣人愛」だけでは、他人の幸せを思うあまり自らを犠牲にさらしてしまう。
別の言い方で表すと、
「自己愛」とは「子供愛」で、
「隣人愛」とは「大人愛」だ。
「愛するよりも、愛されたい!」 のは子供愛だ!
現代の私たちは少々偏った「愛の概念」に縛られているのかもしれないし、バランス感覚が崩れると愛が偏るのか、愛が先に乱れるから社会が混乱するのか、それとも幸福がそのバランス感覚を冒して対立を招いているのかよく判らないが、
何であれ、いつの時代もバランスをもたらす者こそが 「救世主」 誕生物語なのである。
つづく。
おはようございます。 ウィン・ウィン国王です。
感情を感性に導く教育こそが本物の宗教である。
社会の分断や人間対立の根源が我々の感情によるものならば、
その感情を感性に高めることが可能ならばウィン・ウィンだ。
なぜなら、
本能的な感情だけでは善悪の判断がつかないが
感性には崇高な英知が宿るからだ。
実際、高級な感性である感謝や感動、共感能力には美しさと同様、心が正しく導かれるものであり、金銭では買えないほどの喜びや幸福、満足感が備わっているからである。
私たちの日常の怒りや不安、疲労や混乱は
脳にその原因があるにしても、
その脳に疲労をもたらしているのが、感情である。
良い感性は疲れを癒すが、悪い感情は疲労感を得る。
従って真の教育とは、感情を感性に変える教育だと断言する。
代表的なものは、「愛」 です。
「愛」とは概念でもあるのだから、頭の中に「愛の概念」が無ければ
その人物に 「愛がない」 ことになる。
だから、「愛の概念」を明確に説明できることが感情を感性に導くためには重要だ。
「愛って何ですか?」 あなたは説明できますか?
偉大なるイエス様が説かれるように、
我々人類の最大の課題は、「愛の欠如」 だと言えるのだから、
その「愛」を世界に伝えるためには、ローマ法王のお力が必要不可欠だと考えるのです。
感情を感性に導く為の方法の一つは 「愛」 があります。
「愛」とは、1、性欲愛 2、感情愛。
この二つは動物愛。人間愛ではない。
重要なのはその次の 3、理性愛だ。
その「理性愛」を判り易く二つに分けて良く見ると、
一つは、「自己愛」であり、
もう一つは、「隣人愛」だ。
どちらも大切な 「愛」 には違いなのだが、
どちらも極度にバランスを失っては混乱が生まれるように、
「自己愛」だけでは、自らが幸せであるには他人が不幸でなければならず、
「隣人愛」だけでは、他人の幸せを思うあまり自らを犠牲にさらしてしまう。
別の言い方で表すと、
「自己愛」とは「子供愛」で、
「隣人愛」とは「大人愛」だ。
「愛するよりも、愛されたい!」 のは子供愛だ!
現代の私たちは少々偏った「愛の概念」に縛られているのかもしれないし、バランス感覚が崩れると愛が偏るのか、愛が先に乱れるから社会が混乱するのか、それとも幸福がそのバランス感覚を冒して対立を招いているのかよく判らないが、
何であれ、いつの時代もバランスをもたらす者こそが 「救世主」 誕生物語なのである。
つづく。