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輪廻転生と涅槃。

2019-03-11 | 文学
 3月11日 月曜日

 おはようございます。 ウィン・ウィン王国です。


あらためて話すこともないのですが、

お釈迦様は本当に偉いお方でした。

ただ、私たちが判らなかっただけ。

きっと、いつの時代もそういうものなのでしょうか。

確かに、性善説。

あながち間違っているとは思いませんが、

社会の一切を解き明かすならば、

この世界の謎を理解するには、

お釈迦様の言葉を疑うべきではない。

仏教は優しい宗教なのです。

もしかすると、

悪を成すのではなく、善を成すべき理由を上手く説明出来ず、

その為に死後の裁きの恐ろしさを強調するのかもしれません。

そうでなければ、悪人から身を守ることが難しくなる。

この世の不公平さには、善が損をし悪が栄えるその代償には、

魂の不死説を問うことが前提とせざるを得ないことに同意する。

死後はその意味で節理に対する信仰、秩序に対する感謝をもたらすものとして、

そして今なお、自らは不死であるかのように振る舞い、目を背けている状況下では、

死に対する偽善的な態度や道徳性の崩壊には、輪廻と涅槃。素晴らしい悟りである。

仏教徒にとっての最大の経典とは 「お釈迦様の悟り」 にありますが、

その中の一つ、輪廻転生と涅槃について。これも難儀です。

後に様々な宗派が登場し、死後の生をより価値の高いもの、

完全に意味のあるものだと努力する一方、

終わりを告げた現生の価値をないがしろにされてしまい、

前世にまで生を拡大し魂の輪廻や涅槃を生み出すことが必然的なことになる。

それも全て死が生の永遠の終わりという意味を与えないための霊知である。

愛する者への生死に直面して生まれてきたのは、

霊魂の理論、天国と地獄、本能と感情への道徳的配慮も偲ばせている。

普段は考えないが、生が死によって拒絶されることを認める態度と、

生が死を非現実的で悲観的なものとして否定する態度である。

目覚めた死に対する最初の良心的な悟りが、やがて死後の世界観へと広がってゆく。

良心的不安定さが形而上学的な装いの下で、死の不安による恐怖として姿を現す。

自らの死に対して我々は、

譲歩するようないかなる感情も認めることが出来ないように、

死に対する文化的で良心的な態度には、

文明的な状態と必ずしも相応しいものとは言えず、

むしろ極端に過去に戻って真実をさらけ出す必要があるのではないか。

生活環境においても、私たちの感情においても、死に相応しい生活環境を整え、

死に対する無自覚な態度を改め、これまでのような抑圧することに心を配るのではなく、

もっとはっきりと示した方がマシなのではないだろうか。

こうした姿勢には真実の在り方に配慮した、霊能力的な神秘主義ではなくて、

人生を耐えやすいものにしてくれるという、利点があるのは確実であり、

すべての生命にとって人生を楽しむことが第一の義務であるならば、いっそ

生を楽しもうとすればまず、死に備えよと。


過去、厳しい戒律が定められていた仏教ではあるが、

その掟に反するという強い衝動がイスラム教による解放だとしても、

日本独自の仏教には、インド仏教と中国仏教との融合にあるように、

宗教の自由。天の神と内なる神。誰もが欲するならば、

それを禁じる必要はないことは明白のことなのである。



    つづく。




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