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啓蒙者たちが頭がおかしくなり自壊するのも男性社会では避けられない。

2015-09-20 | 社会問題
啓蒙思想による万人の幸福や救世に役立つ啓蒙主義者が万人共通に啓示された一つの真理に依存しうると感じるのは何も特別な力によるものではない。

いずれにせよ、あらゆる社会体制は古く妥協的であり、単に漸次的に次の段階までの間だけ総合的なものと認められるものなら、本質的にそのような正義で保たれた真理はもはや存在していない。

啓蒙は万物に属するが、常に明晰判明という状態に啓蒙主義者がいる訳では決してない。

世界侵攻が正当化されるのなら懲罰と報償の永却性は一掃され、あらゆる道徳主体には制裁と反省の機会が新しく分配されることもない。

男性本能による世界確信をあまりにも大きな脅威に対して女性達が従軍慰安婦状態をキープしていることを確認しておかなければならない。

女性達を守るものは一体何なのか。その答えを啓蒙は錯覚している。

持続性があって初めて出来事の連続を平和に保てるという問い、同一なるものの帰結の前提としてが、偏った日常生活を介して論じられることの意味が理解されずにいる。

人間の歴史の様々な結合による悪意のストックを平和で美しい社会に変わるには何年かかるのかは解らないが、現在あるだけの正義をどんなに繰り返してみたところで、そこでは常に、新しくてそれまでに聞いたことのないようなものが起こるか、あるいは過去の歴史の一部分が反復されるかどちからでしかない。

具体的な例を上げてみると、
一つ目は、哲学がアリストテレスによって社会を混乱し、
二つ目は、歴史学が大勢の命を奪えば英雄だと崇め、
三つ目は、神学が男性崇拝によって男性支配を強化し、
四つ目は、道徳教育が親の言う事を聞きなさいと言って子供を道具化し、
五つ目は、医学は次から次へと訳の分からない病気が多発し、
六つ目は、親兄弟は仲良くなれずに必ずどちらかが犠牲を強いられ、
七つ目は、科学は負のエントロピーによって矛盾から逃れられなくなり、
八つ目は、心理学は人をコントロールすることに快感を覚え、
九つ目は、経済学は貧困を上手く管理する事で巨富を得るように、
これらは全て男性社会の失敗作の一例である。これでは啓蒙主義者たちが頭がおかしくなっても仕方がない。

解決策は単純明快である。男性に主導権を握らせずに、全て女性に置き換える。
具体的に例を上げると、
一つ目の、哲学による社会混乱には、女性哲学の確立で応戦し、
二つ目の、歴史学の偏見には、歴史の二面性を公開し、
三つ目の、神学の思い込みには、女性こそが愛に相応しいと再確認し、
四つ目の、道徳によるすり込みには、子供は自立を教育し、
五つ目の、医学の理不尽には、自然の神秘に挑戦を続け、
六つ目の、親兄弟の喧嘩には、闘争本能を正しく管理し、
七つ目の、科学の矛盾には、女性に役立つ科学が世界を救い、
八つ目の、心理学による友達が居なくなる理由が明確になり、
九つ目の、経済学の格差には、男女の格差に比例する。
これらは全て女性社会の成功例である。このことで解るように、男女共存社会の重要性が明らかになる。

現代社会の混乱を容認しうるためには、正義の持続性を人為的管理および黙示録的に制限する考えの全てを執拗に排除するだけである。

行為という観点から人間の段階を観察すると、意味構造を持った連関の直観的な複合体が生じている。行為は主体の特性に他ならず、その概念の説明であるとしても、主体ほどは個別化されたとしてもどれも同じ行為にしかない。

それゆえ一つ一つの現実社会はその可能な幸福の限定された類型を含んでいる。

世界にはそもそも平等という概念が存在しない。あるのは力と美しさの調和である。

実際、国境が全体として数多く存在していて、世界はそこで差別する不変命題の絶対的な前提のもとで決定され、その上で全体として見て初めて内部の統合だけを形象することに気付く。

誤った形而上学から導かれる啓蒙思想からすると、叙述するときに真理や完全性を最終的に偏った要求でもって正当化されるような世界観であり、歴史哲学が用いているのは、単にもくろみや熟考の結果としてではなく、神学がその直観性の為に避けられないある種の不正解さであっても、科学が戦争から発展し、道徳が本質から離れ、医学行為を出来事の現象と同一視する対象の理想と誤解し、親兄弟を放置するような不正解さの周辺には思いがけないほどの多くの言い逃れや変種した危険が残り、それが世界経済の大きな進行の中で洗礼された競争合戦をすれば新しいものが現れてくるはずだとしても、啓蒙思想の啓蒙主義者にとってやはり男女同権の社会が反復するのではないか、という期待を抱かせられるならば、少しは頭の中が楽になる。

なぜなら、啓蒙に対して洗礼されたものを欠いて取り込みをする時には、現象面の背後にある不完全で未熟な社会現象の枠組みの中にも結局は見誤ることもないほど全体の進行に対する差異が蓄積することから解放されるからである。

世界啓蒙年代記の大規模に計測された啓蒙思想は、そこであらゆる逆説可能性が終始して、世界が唯一のものの総体であるということから意味を得ることを始めるような段階を、歴史の二面性から照らそうという意図を叶えてくれる。

人類は現在あるような形では決して永遠に存続することが出来ないと言う仮説は、進化したものは結局、人間という種において自由に行使し続けた本能原理による感覚機関を一度破壊し改良し改善することになるという、ここに行き付く。

啓蒙において実現されているような形の知性は、現代を超えても存続するだろうし、過去の社会生活をも超える事実であるし、本能原理による感覚機関の単純な判断できる現象の環境とはまったく逆説的な真実を把握する能力が解放されることだろう。

そうなると世界啓蒙年代記をまったく現代とは異質なものにしてしまうようなグレイトマザーが登場することになる。

世界全体の啓蒙思想は、それが最良の世界として凌駕可能であるという証明性からのみ現れる。

誰もが幸せで有りたいし、充足律に逆らえる者もいない。これに逆らうのは暫定的には男性の弱点にすぎず、反社会的な男性たちが浮き彫りとなって最後の抵抗を繰り広げては再び世界大戦の危機となるやもしれない。

その時に現れる女性こそが救世主であり、それを支える者たちが救世者となり、伝説の預言が到来する物語である。






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