12/30「うっすら被曝」
今日IWJで
阪南大学下地準教授のインタビュー
〈再配信も〉
があったのでパソコンから目が離せなかった
。今日の対談の中で
下地先生は
「この問題〈ガレキ焼却問題〉はうっすらとみんなを被曝させる為のものですよと言うような事を言っていた。
私は今日の題を
「うっすら被曝」
と付けたが、
これこそ
今回の原発事故を象徴する様な言葉だと思う。
広島、長崎原爆の様に
外傷を伴った事故は目に見えるので
印象が大きいが
今回の事故の様に
内部被曝
が大きな問題となる様な
原発事故
は
被害と言っても
因果関係を立証する事が難しい。
今,
福島県内、東京などでは
子どもの甲状腺異常が問題になっているが
放射性物質の健康被害はそれだけではない。
日本中、
世界中でも放射性物質は拡散しており
、正直な所
口に入るものは全て汚染されている。
それを
「気にする」
か
「しないのか」
と言う事が本来
生命活動に重大な影響を及ぼすのに
「うっすら」
という言葉の響きに躍らされごまされている様な気がしてならない。
今日ネットで
「おだやかな日常」
と言う映画がある事を知った
。東京の普通の女性が原発事故と
その対応によって
精神を病んでしまうと言うものだ
。昔も黒澤明監督の映画で
「生きものの記録」
と言う映画があった。
両者ともその根底には
「放射性物質」
がある。
体制側がうっすらと蒔いた放射性物質を受け止める私たち人間は
そのうっすらで生活を奪われ
人間関係も壊される。
「うっすら」
で納得してしまうのは日本人だけなのだろうか。
海外メディアや記者に聞いてみたいと
思う
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