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甘いだけじゃない ハチと人の蜜なる暮らしの滋味

2021-10-29 13:30:00 | 日記

下記の記事は日本経済新聞オンラインからの借用(コピー)です

趣味でミツバチを飼う人が増えている。都会暮らしだと虫との接点は薄れがちだが、育ててみれば人と自然とのつながりが実感でき、その自然を人間が翻弄してしまう現実にも気づかされる。「身近な花や木を見る目が変わった」とみな口をそろえる。世話は大変だが、何よりのご褒美は自然の恵みを自ら手にする楽しみ。ハチと人との長いつきあいは甘さだけではない滋味にあふれる。
自然の贈り物 最高の贅沢待ちに待ったニホンミツバチのミツを収穫し満足顔の堀田一芙さん。ハチを飼い始め、家庭菜園の実りがよくなり、カエルやヘビも集まる(神奈川県横浜市)
「今年は天候不順だったから、どうかな?」。6月初旬、横浜市鶴見区の住宅街にある自宅で堀田一芙(74)さんが期待を抑えるようにミツバチの巣箱に目をやった。きょうは春先から働きバチがせっせと集めたミツを絞る、2021年最初の採蜜の日。中空の木枠を4、5段重ねた重箱型の巣箱が庭で待ち構えている。中では上から下へ垂れるように巣が成長し、上部にはミツがたっぷり蓄えられているはず。でも、開けてみないと分からない。
まずは天井をトントン。中のハチにあいさつした後、慎重に最上段の木枠を切り外した。暗闇に突然差し込む外光にハチの群れが算を乱し慌てる。「大丈夫だよ」と声をかけ、ブラシでそっと払いのけると、褐色の光が見えた。
取り出した巣の重さに、表情が緩む。表面を削ると巣穴からミツがたらーり。堀田さんの両手はミツでべっとり。それをぺろり、ぺろりと何回もなめ、「いやー、最高の贅沢(ぜいたく)です」。にじみ出るように笑みがこぼれた。
自宅でのハチの飼育は8年目になる。現役時代は日本IBMでパソコン販売の最前線で指揮を執った。退職後は地方創生事業にかかわり、その活動で知り合った養蜂家から群れを分けてもらって庭に巣箱を置いてみた。だが、最初は失敗の連続だった。病気で全滅したり、夏の日照りで巣が溶け落ちたり。「中途半端な育て方が原因でハチに迷惑をかけ、こちらまで落ち込んだ」。それでも続いてきたのは年間20キロほどの収穫があったからだろう。「料理に使う砂糖はほぼハチミツに変わり、喉の調子がよくなりました」と妻の縁(ゆかり)さん。
住宅街での養蜂は異常発生などが原因で苦情が持ち込まれることもあるが、幸い庭の前が崖地で周りから気づかれないこともあり、トラブルはなかった。近所におすそ分けすると、「こんなところで」と驚かれることもある。堀田さんの庭で採れた蜜をアイスクリームにかける(神奈川県横浜市)
ハチを見ていると自然の変化まで伝わってくる。「向こうに建設中のマンションが見えるでしょう。大きな木があって、うちからも行っていたはずですが」。ハチの行動範囲に花が少なくなればミツの総量は減る。前は庭に巣箱を10以上置いてもそれぞれ十分に採れたが、「庭に置く巣箱の数を減らさざるを得なくなってきた」。
インターネットなどで養蜂の情報が広がり、資材が入手しやすくなった影響もあるのだろう。堀田さんのように、趣味でハチを飼う人が増えている。自宅時間が増え、身近な自然への関心が高まった。そこには、生き物と直接向き合う面白さと難しさがある。
丹沢の麓に広がる神奈川県伊勢原市の梅林では、雨岳自然の会ミツバチ班のメンバーらが養蜂に取り組んでいた。ハチが受粉を手伝うからか、梅がたわわに実っている。指導役の西村光男さん(75)は子供のころからの昆虫好き。化学メーカーで営業を担当したが、引退後に九州大学大学院に入り、天敵昆虫学を学んだ。その知見を生かし20年、ハチの巣の害虫防除用品を販売する会社を作った起業家でもある。雨岳自然の会ミツバチ班は丹沢の麓に広がる梅林に巣箱を置き、世話をしている。木枠を重ねた巣の最上段にミツがたまる。採取後は新しい木枠を一番下に挿入する(神奈川県伊勢原市)
「ハチは一匹ずつ役割が決まっていて、見ているだけで飽きません」と西村さん。群れの大半を占める働きバチはすべてメス。30日ほどの一生の大半は巣の中ですごし、残り10日の命で外に飛び立つ。おとなしい雄バチは交尾が役割で、用が済めば死ぬ。はかない姿に情が移るのか、思わず「この子たち」と語りかけてしまう。手伝っていた1人は、「ハチのおかげで果物が実をつけ野菜が育つ。人間は自然とつながっているのだとつくづく感じます」と話す。
日本には、ニホンミツバチとセイヨウミツバチの2グループが生息している。堀田さんや西村さんが飼う「ニホン」は野生の在来種。小柄で集める量は多くないが、いろんな花が混ざる「百花蜜」が採れる。「セイヨウ」は養蜂のため明治時代に導入された。季節の花に狙いを絞り多量のミツを集める。ただ、病気に弱く手間がかかる。
フリー編集者の杉沼えりかさんは養蜂の本を担当したのをきっかけに、東京都調布市内に自分の養蜂園を開いた。畑を借り5群のセイヨウを飼う。今年採取した桜のハチミツをなめてみた。口の中に季節外れの薫りが広がった瞬間、外出自粛で遠く眺めるだけだった今年の桜の記憶がよみがえった。
ハチミツはその土地と季節の花を閉じこめるタイムカプセルのようなものだ。季節と場所が変われば花の種類も変わる。「同じ桜でも、日によって、年によって風味が変わる」(杉沼さん)。それを味わい分ける楽しみがある。深大寺養蜂園の杉沼えりかさんは素手でハチを触るが、「こちらが刺激しなければさされることはない」(東京都調布市)
と書いてくれば、人とミツバチが共存する美しい物語を想像するが、自然の掟(おきて)は人間が思い描くほど甘くはない。ミツバチ研究の第一人者である佐々木正己・玉川大学名誉教授は「自然に関心を持つ人が増えるのは好ましい」とした上で、こうも指摘する。
「特定地域でミツバチだけ増えれば同じ蜜源に頼る他の昆虫と競合する。生態系にも影響を与える可能性がある」。ハチがミツを集めるのは冬場を乗り切るため。人はそれに横から手を出す。懸命に生きる小さな昆虫の複眼に現代の虫愛づる人はどう映るだろう。
持続可能な生活のヒントにミード専用の発酵タンクをかき交ぜる峰の雪酒造場の佐藤利也社長。このタンクで年間6000リットルを醸造する(福島県喜多方市)
夏も残雪を頂く飯豊山系の伏流水と内陸の冷涼な気候が、会津盆地の酒造りを支えてきた。峰の雪酒造場(福島県喜多方市)はこの地で創業し80年近い。訪ねると、薄暗い蔵に真新しい金属タンクが置かれ、中では発酵の細かい泡がはじけていた。「味見しますか?」。4代目社長の佐藤利也さん(63)が勧める、薄オレンジに濁る液体を蛇の目のぐい呑みで受けた。日本酒にはない甘い香りが広る。「仕込み2日目のミードです」と佐藤社長が種明かしをする。
と言われても、なじみがないだろう。ミード(Mead)はハチミツを発酵させて造る酒で、ビールやワインよりずっと歴史は古く、世界最古の酒ともいわれる。ポーランドなど欧州東部でよく飲まれ、米国では近年ミーダリーという専門の醸造所が増えている。それにしても、なぜ会津の老舗酒蔵が?
会津はハチミツ産地でもある。米国暮らしの経験がある養蜂業者から「会津のミードを造らないか」と持ち掛けられた。07年のことだ。「そんな聞いたこともないもの、無理」と即座に断ったが、酒造りの意地がもたげた。「清酒の技術があればいけるだろう」
すぐ壁にぶつかった。古くは薬品としても使われたハチミツは殺菌作用が強く、そのままでは酵母が働かない。蔵の仕込み水でハチミツを薄め、日本酒酵母をひと工夫して加えてみると、発酵が進むことを突き止めた。水で3倍に希釈したハチミツと日本酒酵母を入れたタンクの中では細かい泡がはじけていた。約25日の発酵期間を経てミードが完成する
ところが、できた液体はドブロクのように濁っていた。これをどうろ過するかが次の関門。通常のフィルターでは成分が細かすぎて取り除けない。ここで応用したのが「オリ下げ」という手法だった。清酒造りで使う添加剤を濃さを変えながら混ぜていくと、「ある濃度で濁りがすーっと沈んだ」。
08年、本格醸造に踏み切った。きんと冷えた最初の1杯を口にした佐藤社長は「こんなうまい酒飲んだことない」と驚いた。以来、日本酒は息子に任せ、ミードに没頭。蔵を訪ねた日に仕込んでいたのがちょうど90本目のタンクだ。
欧米は薬草などを添加したリキュールのような味わいが多いが、杜氏が醸すジャパニーズミードは地元の水とハチミツにこだわる。トチのミードは樹齢30年以上の木からしか取れない貴重なミツを使う。「菩提樹」も会津の森が原産。アルコールは10%未満で飲みやすく、貴腐ワインのような味わいの後に木の薫りが広がる。蕎麦(そば)のミードは少し変わっている。古酒に似た褐色でどっしり。土地の素材が個性をつくる。ボシックさんが最初に発売したPATHFINDERはハス、菜の花、アカシア、トチの国産ミツを使い、フランスと日本の酵母で醸した。貴腐ワインのような上品な味と香りが特徴
東京都町田市に住み、日本の映画やドラマに出演する米国人俳優のエリック・ボシックさんは自ら書いたレシピによるミード製造を18年から峰の雪酒造場に委託し、ネットなどで販売する。子供のころ、リトアニア出身の祖父がミードを造っていた覚えがある。後にチェコを旅行し、「古城で飲んだミードの神秘的な味わいのとりこになった」。
6月発売の新製品「RISE&SHINE」はフランスのワイン酵母で発酵させ、国内のウイスキー醸造所で5カ月樽熟成した。飲むとチョコレートような芳香が残る。20年発売の「RING OF FIRE」はリンゴのハチミツを焦がし、バニラビーンズを加えた。いずれも個性派で海外産の原料も使うが、共通点は国産のハチミツ。「日本で造るのだから、日本のテロワールにこだわりたい」米国人俳優のエリック・ボシックさんがレシピを書いたミードは、ハチミツを焦がしたり、樽で寝かしたりと個性派ぞろい。ただ、材料のハチミツは日本産にこだわる(東京都町田市)
7月5日、IT企業経営の工藤宏樹さんと、ロシア生まれで東京農業大学を卒業したエレナさん夫妻に待ちに待った「その他の醸造酒製造免許」が届いた。2人が暮らすのは最近ウイスキーの街として知名度が上がる埼玉県秩父市の隣の小鹿野町。ミード専門の醸造所をつくるため20年、東京都内から移り住み準備してきた。名称は町名を英訳した「ディアレットフィールド醸造所」と決め、町の廃校を借り、醸造スペースも確保してある。「トチなど地元のハチミツを使ったオリジナルのミードを造りたい」とエレナさん。10月ごろには最初の製品がお披露目できそうだ。
ミードへの関心が高まっているのは、手を伸ばせばそこにある自然がもたらす恩恵への素直な驚きと感謝があるからだろう。ミツを絞りきった巣を加熱すれば蜜蝋(みつろう)が取れる。人間は古来、蜜蝋に保湿性や殺菌力があることを知り、ワックスにローソクにと、余すところなく活用してきた。加藤和歌子さんが手作りする蜜蝋のラッピング。自然の耐水性や抗菌性があり、食品容器のカバーなどに適している(東京都調布市)
調布市の主婦、加藤和歌子さんは出産後に体調を崩したのをきっかけに天然素材への関心が高まり、市販の蜜蝋を使ったラッピングやクリームを手作りしてきた。20年からは調布市内で養蜂する「深大みつばちプロジェクト」に参加し、7月10日に初めて蜜蝋を取り出す作業をした。「思った以上に大変でほんの少ししか採れませんでした。その分ありがたさが身にしみました」
自然や生き物を酷使することなく、共存可能な範囲で恩恵を無駄なく利用させてもらう。ハチと人の長い付き合いからは、持続可能なライフスタイルへのヒントも見えてくる。
田辺省二



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