下記の記事はプレジデントオンラインからの借用(コピー)です。
秋篠宮家の長女眞子さま(29)と小室圭さん(29)の結婚報道について、SNSなどでは「破談にすべきだ」といった声があがっている。コラムニストの河崎環さんは「報道をきっかけに小室圭さんへのバッシングが再燃しているが、私は『駆け落ち婚』でむしろ溜飲が下がった。そういう女性は少なくないはずだ」という――。
結婚報道で「エア親戚」化する国民
9月1日、日本のメディア各社は、秋篠宮家の長女・眞子さまと婚約者・小室圭さんが年内にご結婚される方向で調整中であるとのニュースを一斉に報じた。この7月に米国フォーダム大学ロースクールを卒業した小室さんのニューヨーク州司法試験合格と法律事務所への就職の見通しが立ち、年内に婚姻届を提出する見込みだという。一般の結納にあたる「納采の儀」は行わず、1億円超の「結婚一時金」も辞退するそうだ。
これを受けて、これまで眞子さまと小室圭さんの「お付き合い判明」から婚約、小室さんのニューヨーク留学を通して、何か新しい動きがあるたび、率直に言って「破談せよ」の勢いで叩いてきたメディアやSNSが、また大騒ぎ。特に小室家の金銭問題と小室圭さんの母・佳代さんの結婚交際歴その他をあれこれとほじくっていた向きは、「やはり(我々の恐れていた)駆け落ち婚か!」と怒り心頭で、小室圭さん憎しの呪いの言葉をあちこちで上げている。
何がすごいって、検索窓に「眞子様」と入れると、検索サジェスチョンとして相当な上位に「眞子様って馬鹿なの」と、ひどく感情的なフレーズが出てくることだ。世間がどれほど眞子さまと小室圭さんの結婚に否定的であり、しかも神経を逆撫でされているかが透けて見えるが、その原因の大部分が「小室圭さんは日本の内親王の結婚相手として不適切である」との反感であり、いやいや、その親戚のジジババとか小姑みたいに情熱的な皇室への思い入れは一体どこからくるのよ、と思わされるのである。
私も含め、多分全員が皇位継承権「1億3000万番台」。はっきり言って他人中の他人なのである。エア舅、エア姑、エア親戚状態で「あの小室圭ってのは」「でも眞子さまも」と、特にSNSやネットニュースのコメント欄で熱心に持論を展開している人を見ると、むしろ親切な人だなぁ、そんなに皇室に関心があるんだなぁと苦笑する。
「皇室ジャーナリズム」が育てる“世論”
皇室ジャーナリズムというジャンルがあって、皇室の皆さんの日常やファッションをあれこれ写真や映像に撮っては、皇室事情に詳しい皆さんの意見やコメントをあれこれ合わせて報じる。するとこれが、確実に読まれたり見られたりするから不思議だ。皇室は、トップアイドル並みに一定の「数字」を持つテッパンコンテンツなのである。
これは別に日本に限ったことではなくて、イギリス王室の話題を執拗に追う英国の王室ジャーナリズムなどはもはや歴史も長ければ規模も遥かに大きく、王室の話題やセレブの醜聞専門のタブロイド紙や週刊誌、ファッション誌もあるほどだ。ウィリアム王子とケイト妃の間に3児が次々生まれた数年間は、少なくとも全ロンドンでその話題が挨拶がわりになっていたし、ハリー王子がメーガン妃と王室離脱する「メグジット(メーガン王室離脱)」の一連の狂騒なんて、ブレグジット(英国のEU離脱)や保守党内情のあれこれから国民の気を逸らす目くらましとして大いに利用されていただろう。
「民とは一般に王室や皇室に興味があるもの」なのだろう。だがそれは、マスコミが定期的に燃料となる話題を投下することで、双方向的に作られ大きく育てられた関心でもある。「世間がそれを求めるから」「売れるから」を理由にマスコミは話題を作り煽り、世間はそれに忠実に乗ってああでもないこうでもないと「国民的家族」の行方について口角に泡飛ばして語り、お祭り騒ぎを起こす。王室は、アイドルなのだ。
これと同様のことを、英国タブロイド紙やテレビの手法をお手本にして、日本の週刊誌やテレビが「テッパン」として意識的にやっている。結果、誰もが「自分の知っている“あの家族”」について何かしら知識や意見を持つようになり、誰もが心理的には「皇室の遠い親戚」となるのだ。
「エア親戚」からのエグジット
そんなエア親戚(つまり他人)だらけの日本でコテンパンに叩かれた小室圭さんと眞子さま。小室さんとの結婚を「私たちにとって自分たちの心を大切に守りながら生きていくために必要な選択」とまで言い切ったという眞子さまは、もうこの10月に30歳の誕生日を迎えられるそうだ。
30歳! 世間的に考えれば、もう十分にいい大人である。しかもよくよく考えれば、相当なレベルの教育を受け、社会的スキルも十分にあって自力で稼いでいける2人なのである。そんな成人男女がお互い結婚したいと(しかも立派にも『自立したい』と!)足下を固め整えていく姿に世間がいまだあれこれ足を引っ張るのを見て、「マジ勘弁」「いつまでやってんの日本」とため息をつく女たちは、私のまわりにも多い。
「結婚したいって、そこまで思える相手がいること自体がこの国のこの時代には貴重なんだからさぁ」
「眞子さまがコムKをいいって言ってんだから、2人がどう安定して結婚できる方向へ持っていくか考えてあげるほうが生産的だよね?」
「眞子さまのため、とかそれらしく正当化するウエメセが気持ち悪いよね。お前誰だよって」
「結局、日本なんて先進国じゃないんだよ。皇族の結婚に価値観が全部現れてるもんね。男尊女卑が頭から爪先まで染み込んで、抜けやしないんだよ」
私のような40代の女性たちも、これから結婚するかもしれないアラサー女子たちも、SNSや内輪のチャットでそうぼやく。
自分たちもまた、眞子さまのように他人からあれこれ言われた経験がドッカリとある。あるいは、これからあれこれ言われる予感がビシバシする。そんな女たちほど、世間のこういった「なぜか素直に祝福せず、結婚前の女にあれこれお節介したがる」温度を敏感に察知し、拒否感を持っている。
Twitterには「秋篠宮家を守れ」なんてハッシュタグまで登場して、アンチ小室圭さんキャンペーンを張った人々もいたそうだ。超絶他人の皆さんがどうしたことか血道を上げる、引くほど大きなお世話。エア親戚活動、ご苦労様である。
ハリー王子が(英タブロイド紙の論調によれば“メーガン妃にそそのかされて”)「メグジット」という王室離脱に至ったのなら、眞子さまだって「コムジット」、いや「マコジット」しちゃえばいい。世間が嘆いてみせる眞子さまの「駆け落ち婚」は、実のところしっかり者の長女で十分な才女である眞子さまこそがコムKをパートナーに選んで海外へ脱出する、要らぬお世話だらけの日本世間からのエグジットなのだ、と、女たちは密かにほくそ笑んでいる。
河崎 環(かわさき・たまき)
コラムニスト
1973年、京都府生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。時事、カルチャー、政治経済、子育て・教育など多くの分野で執筆中。
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