下記の記事は東洋経済オンラインからの借用(コピー)です
告発後に寄せられた数百通の罵詈雑言
北海道警察の元釧路方面本部長で、警視長まで務めた原田氏は2004年2月、記者会見を開いて道警の組織的な裏金づくりの詳細を明かした。大幹部だった人物が経験に基づいて語る詳細な手口の数々。自らも受益者であったことを隠さず、道警に向けては「今さら内部調査など必要ない。幹部は全員熟知している」と指摘したのである。
原田氏の行動は市民らの支持を受ける一方、自宅には原田氏を批難する封書やはがきが殺到した。その数は、数百通。その一部を原田氏は今も保管している。いずれも、罵詈雑言の嵐である。
以下、それぞれの内容を抜粋しよう。
「古今東西 その歴史において 裏切り者の行く末 その運命は決まって明らかだ 偽善者よ 歴史に学べ 墓穴を掘って自ら滅ぶは枚挙に暇なし 残された人生 やがて家族の心も離れ 独り悶々と悩み苦しむ事になり 厚顔無恥に生きるのみである」
「いい歳をして、かつての上司、同僚、部下や組織にどれほどの迷惑や不快を与えているか考えたことがあるか…裸の馬鹿殿様とは貴様のことだ。同封の新聞写真を見れ、このアホ面、このアホンダラ者」
「恩を仇で返した卑劣極まりないゴキブリ原田」
「ウジ虫野郎!」
「ヤクザでも一宿一飯の恩義に生きるを仁義とする。然るに、恩を仇で返したお前はヤクザにも劣る獅子身中の虫だ」
「稀代の悪徳ゴキブリ警察官!」
「汚れた自分のケツも拭かずに、他人の尻が汚いとか臭いとか言えるか馬鹿者!」
――内部告発の直後、非難の連続だったわけですね。当時はインターネットもさほど普及していませんでしたが、ネットやSNSが隆盛する現在ならもっとすさまじかったかもしれません。こうした反応は予想していたのでしょうか。
それらの手紙だけではありません。嫌がらせの電話も来ました。道警内では「原田のおやじは狂った」とずいぶん言われたようです。札幌の高級住宅街・円山地区に裏金で豪邸を建てたとか、愛人がいるとか。そんなうわさも流されました。
原田宏二(はらだ・こうじ)/元北海道警察警視長。著書に『警察内部告発者』『警察崩壊』『警察捜査の正体』など(撮影:フロントラインプレス)
当然ながら、誹謗中傷があることは覚悟していました。警察関係者からの、です。
私は在職中に裏金の一部を受け取っていましたし、必ずしも品行方正な模範的な警察官ではありませんでした。道警がやろうと思えば、犯罪をでっち上げて私の身柄を拘束することもできたでしょう。
ですから、弁護士の助けが必要でした。実際、裏金告発の記者会見をやる前は弁護士と入念に打ち合わせました。
むしろ、嫌がらせよりも心配だったのは、裏金を立証する物証を持っていなかったことです。報道機関や道民が信用してくれるかどうかも心配でした。在職時代から書いていた日記はありましたが、(真実のお金の流れを記した)裏帳簿とは性質が違う。日記は裏金の存在を直接裏付けるものではありません。立証価値は低いのです。
のちに道警は内部調査を実施しましたが、ベースにしたのは道警に保存されていた正規の会計書類です。正規の書類には真実が書かれていないのですから、それをいくら調べても裏金システムの真実は解明できません。
警察側の意をくんだジャーナリストへの違和感
――会見当日にも忘れられない出来事があったと聞きました。
記者会見は午後の予定でしたが、午前中に開催の予告を道警記者クラブに連絡しました。その直後、何人かの新聞記者やジャーナリストなどから「会見は中止したほうがいい」と連絡があったんです。携帯電話で延々と説得されて……。
会見に同席予定の弁護士の事務所に来た者もいます。事務所のドアの前で、涙を流しながら「やめてください」と。会見場だった札幌弁護士会館に行くと、会見が始まる前にも「今からでも遅くはない、ここを出よう」と説得してきたジャーナリストもいます。
驚きでした。ジャーナリストであれば応援してくれるものと思い込んでいました。実際は、警察側の意をくんでの動きだったようです。
会見が終わって弁護士事務所に戻り、打ち合わせを終えて外に出ると、階下には、またジャーナリストが待っている。彼は「とにかく奥さんを連れて札幌を離れろ」と言う。
そんなことはできません。もし、私が姿を消せば、記者会見そのものの信憑性が疑われます。いったい、ジャーナリストとは誰のためにあるのでしょうか。私が「犬も飼っているのでそんなことはできない」と断ると、彼は「犬は自分が預かる」とまで言いました。
――内部告発には妨害や嫌がらせもあるし、そうとうな覚悟が必要なわけですね。
内部告発にもいろんな方法があります。まずは、組織内の通報窓口に連絡すること。これは、公益通報者保護法に規定された枠組みです。次に監督官庁への通報。警察や検察もこの範疇に入るでしょう。
最後が報道機関です。私が会見した2004年2月時点では公益通報者保護法は施行されていなかったので、組織の不正をただす環境は当時より整備されたとはいえるでしょう。
内部告発者の動機は一様ではありません。当然、「あいつだけは許せない」という私憤に突き動かされたケースもある。
ただし、本当に組織や社会の是正を願っての内部告発なら、通報先を慎重に考える必要があります。監督官庁や報道機関は本当に動いてくれるのか、組織内の通報窓口は正常に機能するのか。それをきっちり見極めないと、逆にしっぺ返しを食らう恐れもあります。
内部告発者を最後まで守るシステムはない
私の会見後、各地の警察で相次いで裏金が発覚しました。少なくとも12府県で警察官OBによる内部告発があり、1件だけ現職警察官(巡査部長)による告発もありました。告発の動機は本人だけが知っていることですが、それら内部告発者の多くは線香花火のように消えてしまいました。
報道機関の関心はすぐに薄れます。内部告発はいっとき、なのです。内部告発者を最後まで守ってくれるシステムはありません。告発後は生活保護で暮らした者もいると聞きました。内部告発者は、自らが自分を守る覚悟が必要だと思います。
私が告発した警察の裏金システムはどうなったのでしょうか。少なくとも、私の在職中のようなやり方はしていないでしょう。ただ、何らかの方法で続けている可能性はゼロではありません。
何よりも気になるのは、法の執行機関である警察の内部で「(治安維持のためなら)多少の法令無視、違法行為は許される」といった風潮が常態化しているのではないか、ということです。こうした状況に対して、警察をチェックする公安委員会、検察、裁判所、議会といった公の機関の機能は形骸化しています。報道機関の監視機能も弱まっています。内部告発を取り巻く情勢は、極めて厳しいことを知るべきです。
――そうした現実があるにしても、公益にかなった内部告発は欠かせない、と。
社会人であれば、自らの組織で不正を目にしている人もいると思います。私は警察以外の組織をほとんど知りません。民間企業での経験は、天下りした生命保険会社だけです。社員は優秀で、警察に比べて職場の風通しもよかったと思います。仕事の進め方について上司に意見を具申している姿も、よく見ました。時折、社員による不祥事もあり、会社の幹部からの相談も受けました。
2020年6月に公益通報者保護法が改正され、通報者の保護が強化されました。法によると、通報先は、内部通報の窓口、監督官庁や警察、検察、報道機関ですが、それぞれ要件があります。
不正を目の当たりにした人は、それが社会的に非難を受けるような事案ならば、まずは、信頼できる上司がいれば相談してはどうでしょうか。真っ当な会社であれば、必要な改善が行われるでしょう。無視されたり、通報者への不利益な処分が行われたりする会社は、将来、経営がうまくいかなくなる可能性が大きいと思います。
まずは信用できる弁護士に相談してみる
2007年、北海道で牛肉ミンチ偽装事件が発覚したことがあります。それを内部告発したのは偽装した会社の常務。彼と後に話して知ったのですが、最初は監督官庁や警察に偽装肉のサンプルを持って通報したのに、相手にされなかった、と。報道機関もなかなか腰を上げなかったそうです。
つまり、不正を告発しようと思っても、個人には官庁や報道機関の姿勢を知ることが困難なわけです。監督官庁や報道機関に通報するなら、まず、信用できる弁護士に相談してはどうでしょうか。各地の弁護士会には相談窓口もあります。
――原田さんは在職中に裏金是正の声を上げることができず、勇気をふるって告発した後は誹謗中傷にもさらされました。その人生に悔いはなかったのでしょうか。
もちろん、悔いなしです。私の場合は、オンブズマン関係の弁護士の支援で2004年10月に「明るい警察を実現する全国ネットワーク」を結成し、その代表を務めました。それがきっかけになって、全国で警察改革を訴える機会を与えてもらいました。2007年2月には「市民の目フォーラム北海道」を立ち上げ、警察相手の国賠訴訟の支援や弁護士会などが主催する集会での講演、警察官の不祥事などの取材対応に当たってきました。
とくに印象深いのは、大学での講義です。「警察の実情や課題を話してほしい」と頼まれ、北海道大学など地元の大学、早稲田大学や慶應義塾大学、立教大学など首都圏の大学、関西圏や四国・九州の大学でも講義しました。
警察の抱える課題を警察法や警察官職務執行法なども交えて授業するケースは、過去にあまりなかったと思います。リアクション・ペーパーを使って学生からは「警察の課題など考えたこともなかった」「組織や構造の問題点を知ってびっくりした」という声が相次ぎました。
――自らが属する組織の異常性やおかしな論理には、なかなか気づくことができないのではないか、と思います。
私の告発は道警組織から見れば「裏切り」だったでしょう。誹謗中傷の手紙にも、「裏金づくりは組織のため」というものが多くありました。犯罪捜査においても、「捜査は組織的に行う」とされていました。不祥事の隠蔽も事実を歪曲して発表するのも、組織防衛のためとされていました。
しかし、よく考えてみると、警察本部や警察署の建物があっても警察官という人間がいても、“警察”という組織は実在しないのでは、と思います。多くの警察官は「何かあれば組織が守ってくれる」と信じています。その組織とは何でしょうか? 誰でしょうか?
今、『サピエンス全史』(ユヴァル・ノア・ハラリ著)を読んでいますが、その中に「われわれが当たり前のように信じている国家や国民、企業や法律、さらには人権や平等といった考えまでもが虚構であり、虚構こそが見知らぬ人同士が協力することを可能にしたのだ」とあります。社会にとって組織という虚構は必要だという意味でしょうが、それと同じです。
私の知る多くの警察官はまじめで誠実です。取り調べでは容疑者に向かって「うそをつくな」と自白を求めます。おそらく、自分の子どもがうそをついたときも厳しく叱るでしょう。
しかし、警察官は、組織という仮面を被ったときには平気でうそを言います。警察組織を支えているのは階級制度であり、上司の命令は絶対というルールがあります。上司の誰かが「うそを言え」と命令すれば全員がうそを言います。
暗黙の命令もあります。警察が「組織」という言葉を使うときには、不都合な事実を隠すためだと考えたほうがいいかもしれません。そして大なり小なり、こうしたことは警察組織だけの問題ではないのだと思います。
警察官と市民との距離がいっそう遠のいた
――最後にもう一つ質問を。政権でも中央省庁でも、もちろん企業においても、疑惑や不正は後を絶ちません。それを知った組織人は、いったい、どうすればいいのでしょうか。組織と個人との関係において、「正しいこと」とは何でしょうか。正しい社会とは何でしょうか。
正しい社会とは何か。難しい質問です。私には大きすぎて答えられません。ただ、警察官だった立場から言わせてもらうと、私は正義のために仕事をしたことはありません。多くの警察官もそうだと思います。警察官の仕事は法の執行です。法律を順守し、いかに適切に執行するか。それが何よりも大切なことです。
最近の警察をみていると、正義を掲げながら、法的な根拠を欠く行為を堂々とやったり、権限の逸脱ではないかと思える動きを行ったり、そういう事例は目につきます。加えて言えば、私が現場で仕事をしていた時代と現在とを比較すると、警察官と市民との距離がいっそう遠のいたように思います。
警察官が徒歩でパトロールする姿は、ついぞ見かけません。交番のおまわりさんのパトロールもパトカーです。市民と声を交わすことはほとんどありません。犯罪捜査のやり方も随分変わりました。事件が起きれば、防犯カメラの映像探しが最優先です。地取り(事件現場周辺での聞き込み捜査)や聞き込みは二の次です。「現場百回」も死語になりました。「市民警察」も死語になったのかもしれません。
私の記者会見からすでに17年の歳月が流れました。しかし、最近になっても新聞社やテレビ局の取材を時折いただく。断りきれない講演もありました。今年も1月に北海道大学に留学中の先生から「警察の監視」に関するインタビューを受けました。ただ、私も83歳です。おそらく、このインタビューが公では最後の活動になると思います。
取材:フロントラインプレス(Frontline Press)
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