下記の記事は日経ビジネスオンラインからの借用(コピー)です。
「会社からはちょっとでも体調が悪いときは、絶対に休めって言われてるんだけど、休んだら給料減るわけだから。なかなか難しいですよね」
先日、タクシーで“事故現場”をたまたま通った際、運転手さんがこう嘆いた。
そこは東京都千代田区九段南。走行中のタクシーが自転車や歩行者をはね、73歳の女性が亡くなるという痛ましい事故が起きた場所だ。運転手の男性は64歳。捜査関係者によると、運転中にくも膜下出血を起こしたとされている。
「コロナ前」の生活に戻れる?
男性が所属する東京旅客個人タクシー協会によれば、男性は乗務歴25年のベテランで、年2回の健康診断を必ず受け、今年7月の健診でも異常はなかった。事故が起きたのは普段は休んでいた土曜日で、「コロナ禍で客が減り、休日返上で仕事に出ていたのではないか」という。
高齢化、低賃金、新型コロナウイルス感染拡大による追い打ち、そして生活苦……、そんな厳しい状況下で起きた事故に対し、冒頭の運転手さんは、「事故は絶対に起こしちゃいけないし、健康管理は徹底しなきゃです。でもね、ちょっと頭が痛い、ちょっと具合が悪い、ちょっと倦怠(けんたい)感があるからって休んでたら生活できないですわ」と、嘆いていたのである。
で、その日は帰りのタクシーの運転手さんとも、“厳しい話題”になった。
「今は週2回、たった2回しか乗務させてもらえない。そりゃあ、厳しいですよ。もともともらってる金が少ないのに、勤務がたったの週2ですからね。しかも、人が外に出て来ないことには、商売にならない。どうにもならんですわ。
若い奴らはトラックのほうが稼げるって、辞めていったけどね。60過ぎたらそれもできません。組合は副業を認めろって交渉してるけど、国から健康管理をうるさく言われてるから、会社は許しませんよ。この年になって、こんなに生活が苦しくなるなんて、考えてもみなかった。情けないねぇ」
運転手さんは笑って話してくれたけど、“あきらめ感”みたいなものが漂っていて。なんと返していいのか正直分からなかった。気の効いた言葉が浮かばないのだ。コロナ感染拡大が深刻化した当初から、「格差は広がる」と考えていたけど、コロナの影響は想像以上に長引いている。これだけ長くなると、「元に戻る」ということが、どういう状況なのかも想像もできない。
2020年11月に、渋谷区のバス停で野宿をしていた60代の女性が、40代の男に殺された事件を覚えているだろうか。女性は長年試食販売員として普通に生活していたのに、コロナで収入が途絶え、貯金も底をつき、家賃が払えなくなった。人目を避けるように、ひっそりとバス停のベンチで夜を明かしている中での事件だった。
炊き出しの列にごくごく普通の服装をしている人が並び、普通に生活できていた人が、「ああ、自分は低い立場の人間だったのか」とショックを受けている。生活費をバイトで賄っていた学生は収入が途絶え、「こうやってしょうゆ漬けにすると、長持ちするので」と生えていた野草を食材にしている(資料)。
コロナ以前は、私たちと同じ日常の中にいた“隣人”たちの生活が激変しているのだ。
上級と下級では勝負にならない
厚生労働省によれば、新型コロナウイルス感染症に起因する解雇等見込み労働者数は、21年7月9日時点で11万人を超え、11万326人。うち非正規雇用者は5万1167人。非正規だけでなく正規雇用(正社員)の人たちもコロナ失業している。また、日経新聞によれば(9月26日朝刊1面)、2020年度で約21万人の非正規雇用者、1万人強の正規雇用者が、上場企業から“消えている”とのことなので、実際には公表される数以上の人たちが仕事を失っていると考えられる。
そして、今後はさらに仕事を失う人が量産される可能性が極めて高い。
労働政策研究所の調査によると、21年5月の企業の売上額を「コロナ前」の2019年5月と比べた場合、52.1%の企業が「減少した」と答えたのに対し、約2割に当たる18.3%の企業が「上回っている」と回答。また、21年5月時点の売上額の水準が今後も継続する場合、「現状の雇用を維持できる期間」については、18.8%の企業が「1カ月~半年以内」、12.9%の企業が「1年以内」と回答。3分の1弱(31.7%)の企業で1年以内が雇用維持のリミットと考えていることが分かった。
一方、4割の企業が「雇用削減の必要はない」とした。ただし、既に雇用削減をした企業もあるので、正確には「これ以上の削減の必要はない」と解釈できるであろう(資料)。
つまり、22年のゴールデンウイークまでに「コロナ前」の状態に戻れないと、大量の人員削減が行われる可能性が極めて高い。個人的にリサーチした結果でも、飲食業や宿泊業、小売店の経営者の中には「借金が増えるだけ。これ以上、モチベーションが持たない」と嘆く人が多かった。
「勝ち組負け組って言っていた時代は、まだよかった。今は上級と下級で勝負にならない」
「ぜいたくもせず、真面目に生きていたんですけど、世間からは努力が足りないっていわれるのかね」
……ギリギリの生活でなんとか耐えている人たちからは、冒頭の運転手さんたち同様、あきらめ感が漂い、
「コロナで家庭訪問もできなくなってしまいました。私が勤めている学区は、あまり経済的に豊かじゃない地域なので……」
と子どもの生活を心配する小学校の先生もいた。
街ですれ違うだけでは分からない「格差」が固定化しているのだ。
テレビの街頭インタビューで「外出できないからお金がたまった」「外食ができないので、家飲みです」とカメラに笑いかける人たちがいる一方で、そのカメラが決して捉えることのない人たちがいる。
年収中央値は370万
貧困は目に見えない。「目に見えない貧困」に拍車がかかっている。街ですれ違う人、電車で乗り合わせた人、コンビニのレジに一緒に並んでいる人の中にも、不安を通り越して恐怖に押し潰されそうになっている人たちがいる。
日本には何年も前から「貧困」問題が存在していたのに、「貧困」という2文字を、いったいどれだけの人が「自分たちの問題」として考えてきただろうか。多くの人たちが“肌”で感じている通り、「富裕層」(純金融資産保有額が1億円以上5億円未満)、「超富裕層」(同5億円以上)の割合は、「アベノミクス」が始まった後の2013年以降、一貫して増え続けている(資料)。
経済協力開発機構(OECD)の分析によると、2000年を100とした場合、主要7カ国(G7)で日本だけがマイナス、すなわち2000年の賃金水準を下回っている。なのに、日本の超富裕層(純資産5000万米ドル超)は世界最大の伸び率を記録したのだ(クレディ・スイス「2016年度グローバル・ウェルス・リポート」)。
令和元年分の国税庁「民間給与実態統計調査」によれば、1年を通じて勤務した給与所得者の1人当たりの平均給与は436万円(前年比1.0%減)、男性540万円、女性296万円。
正規・非正規別では、正規503万円に対し、非正規はたったの175万円だ。
給与階級別分布を見ると、最も多いのが「300万円超400万円以下」(17.0%)。次いで「200万円超300万円以下」(14.9%)。
また、厚生労働省の「賃金構造基本統計調査」(令和元年)を基に年収中央値を算出すると、370万円程度。たったの「370万円」だ。平均だと高い人に引っ張られてしまうので、こちらのほうがよりリアルな実態を捉えている。
静岡県立大学短期大学部の中澤秀一准教授の試算によれば、「最低賃金は全国一律で1500円は最低限必要」とされている。モデルにしたのは、単身で健康な20代男性で、住む場所は、都内ではなく地方。車を持つ場合は、7年落ちの軽自動車を中古で購入し、6年以上使う。しかも1500円では、家庭を持ったり親の介護を補助したりする金銭的な余裕はないとした。
時給1500円で1日8時間労働、月20日勤務した場合、年収は288万円。
現在の年収の中央値は「370万円」――。貯金などできるわけがない。
日本は……本当に貧しい国に成り下がってしまったのだなあと、つくづく思う。
「私」たちはずっと譲歩し続けてきた。ずっとずっと譲歩し続けてきた。
ある程度は、仕方がない部分もあったかもしれない。
親の貧困は子どもの貧困
しかし、本来、働くという行為は、人の尊厳を守るための行為だ。人は生きるために働いている。働くことは人生を豊かにする最良の手段だ。なのに、今の働き方に「尊厳」はない。働くことへの「報い」が、あまりにも、あまりにも、本当に、あまりにもひど過ぎる。
“落ちる”リスクばかりが高まり、“抜け出す”機会が、ほぼ、ない。
ごく一部の人たち以外は、細い綱の上を歩かされていて、風が吹くだけでぐらつき、突風が吹けば振り落とされる不安を抱えながら生きている。「落ちたら、ためらわずに相談してね!」と張られたセーフティーネットは隙間だらけで、一度落ちたら足を引っ張り上げる余力はない。
「日本には貧しさなんてない」などとのたまう人がいるけど、日本の貧困層は働けど働けど楽にならない「ワーキングプア」が9割を占める。これは世界的に見ても極めて珍しい現象で、低賃金問題を“放置”してきたこと意味している。
大学院を出ても稼げない「高学歴ワーキングプア」、年金が少な過ぎて80歳を過ぎても働かざるを得ない「高齢者ワーキングプア」などのワーキングプア世帯は推計247万世帯(2017年)で、「北海道の全世帯数に相当する」との試算もあるほどだ(「中高年ワーキングプアの現状と課題 ─キャリアアップ・就労支援制度に新しい視点を─」)。リーマン・ショックが起きた2008年の年末に、東京・日比谷公園に開設された年越し派遣村は、「貧困を見える化」し、多くの人たちが「ワーキングプア」という存在に注目したのだけど、もはやワーキングプアは少数派ではない。
そして、忘れてならないのは、親の貧困問題は、すなわち「子どもの貧困」問題であるってこと。
くしくも、自民党の総裁選で「こども庁」の設立が議論されているけど、「子どもの自殺、虐待死そして子どもの貧困ゼロ」を目指すには、親の貧困問題に手を付けなくては根本的な解決にはならない。
子どもの自殺問題になると「いじめ」ばかりが注目されるけど、文部科学省が2011年から14年までに自殺した国公私立の小中高校、特別支援学校の児童生徒約500人について実態を調査したところ、「経済的困難」で将来を悲観した自殺が5%程度で、「いじめ」の2%を上回っていたのだ(資料)。
「家ではお魚やお肉を食べられない」
「努力すればなんとかなる」「自分で稼ぐ方法を考えて、努力する時代なんだよ」と自己責任論に終始する人たちは「努力する能力はすべての人に宿っている」ことを前提にするけど、努力する能力でさえ経済的要因に左右される。「『子どもは親を選べない』親のカネがコロナ格差広げる理不尽」に書いた通り、だ。
経済、経済、経済って、大人たちは皆、言う。
しかし、その「経済」は、果たして人を幸せにしているのだろうか。
貧困問題で、いつも思い出すのは経済学者の下村治さんの言葉だ。
「本当の意味での国民経済とは何であろうか。それは、日本でいうと、この日本列島で生活している1億2000万人が、どうやって食べどうやって生きていくかという問題である。(中略)その1億2000万人が、どうやって雇用を確保し、所得水準を上げ、生活の安定を享受するか、これが国民経済である」(『日本は悪くない―悪いのはアメリカだ』より抜粋)――。
結局、働くこと、それにどう報いるのか? ということが、国民経済であり、その国の本質的な「人」への考え方、価値観を物語っている。
子ども食堂に来た子どもが、「家では魚やお肉をたべられないので、たべられてうれしかったです」「お肉やお魚をお母さんも食べてうれしそうだった」といった感想を書く社会って、いったいどこの国なんだ。
非正規雇用のあり方、世界最低の最低賃金の議論、さらには、ベーシックインカム。議論すべきことは山ほどある。これまでその都度、何度も書いてきた通りだ。
日本は「何で食っていく国」を目指すのか? ふわふわしたものじゃなく、具体的に議論してほしい。
河合 薫
健康社会学者(Ph.D.)
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