下記の記事はデイリー新潮オンラインからの借用(コピー)です
眞子さまと小室さんの婚約に関するニュースはネットを中心に頻繁に伝えられる。その際、寄せられるコメントは、結婚に対して批判的なものが目立つ。
伝えられるさまざまなトラブルは、小室さん側の代理人からすれば法的な問題をクリアしているという。また、そもそも結婚は当事者の合意で決められるのも言うまでもない。
にもかかわらず、歓迎コメントが少ないのはなぜか。
「日本国民統合の象徴」である天皇陛下とそのご家族に、国民が抱く、あるいは期待するイメージと、「法的にはクリア」といったスタンスとのギャップが理由の一つとして挙げられるだろう。
昭和天皇の姿勢に感動したマッカーサー元帥
昭和天皇とマッカーサーの会談(1945年9月27日フェレイス撮影3枚中の1枚)(U.S. Army photographer Lt. Gaetano Faillace / Public domain/ wikimedia)(他の写真を見る)
多くの国民が、皇室にまつわるエピソードで心打たれたものに共通するのは「利他的精神」だ。
昭和天皇が敗戦直後、マッカーサー元帥と会った時のエピソードは有名だ。戦勝国であるアメリカ側では、天皇を戦争の最高責任者と見て、戦犯として裁くべきだという声は強かった。実際には軍部が独走した面が強いのだが、アメリカ本国での世論では圧倒的に「天皇は戦犯だ」が多数を占めていたのだ。
しかし、マッカーサーと面会した際に昭和天皇は、責任逃れのようなことは一切口にせず、自分の身はどうなってもいいので、国民が生活に困らぬよう連合国に援助をお願いしたい、と訴えた。
この姿勢にマッカーサーは感動したと伝えられている。
“膝をつき、目線を合わせる”
沖縄を訪れ献花される天皇、皇后両陛下(当時)(2014年)(他の写真を見る)
平成ではどうだったか。災害の時代ともいうべき平成において、天皇陛下(現・上皇)は数多くの被災地を訪れ、被災者を見舞っている。現代の日本人は、跪(ひざまず)いて被災者と目の高さを同じくしながら向き合う姿にもはや違和感を持たない。
しかし、かつて「現人神」とまでされた天皇のそうした姿は、昭和を知る人にとっては衝撃的だった。評論家の江藤淳はじめ、不満を表明した人も少なくなかったのである。
ノンフィクション作家、奥野修司さんの著書『天皇の憂鬱』には、「陛下はなぜ跪かれるのか」という章がある。その中では、天皇陛下が跪くことについてのこんなエピソードが紹介されている。
国民がなかなか知ることができないその内面に、大宅賞作家が徹底した取材で深く迫っていく。終戦の日、まだ少年だった上皇陛下は何を思われたのか。「終活」はいつから始められたのか。いま浮かび上がる皇室の「光と陰」
天皇陛下が雲仙にお見舞いに出向かれたのは、平成3年7月のこと。まだ噴火も静まっていなかった頃だ。当時の長崎県知事、高田勇氏(故人)は、奥野氏にこう語っている(以下、引用は同書より)。
「体育館に400人ほどの避難者がいましたが、両陛下は一人ひとりに跪いてお声をかけ、いったん立ち上がってからまた跪かれる。膝をついたまま横にずれるのではないんですよ。お声をかけ終えると、いったんお立ちになってから、また膝をつかれるんです。これは僕らにはとてもできません。びっくりしました。それも40分の予定が2時間もおられるなんて、想像もしませんでした。その後に海部(かいふ)(俊樹)総理(当時)が来られたんですが、その時は入り口のところで挨拶されただけで帰りました(笑)。でも普通はみなさんそうされるんです。ところが両陛下は違った。一人ひとり、同じ目の高さに合わせて『いかがですか』と話されるのですから。余人には真似できないと思います。僕が横に座っててまいっちゃったぐらいで(笑)。みなさんは感激を通り越して驚いておりました。
そうそう、皇后さまがね、ふっと戻られて『こちらの方にお見舞いするのを忘れた』ともと来たほうへ戻られたんです。そしてそこからまた膝をついて声をかけられるのでびっくりしました。僕はあのことは忘れられないです。
あの日はとても暑くてね。陛下は腕まくりをされておられました。まだ噴火の最中でしたから、陛下が窓から見て『あ、また噴きましたね』と皇后さまにおっしゃっていたのをよく覚えています」
他者に「心を寄せる」姿勢を貫かれた陛下
葉山御用邸付近の海岸を散策される天皇、皇后両陛下(当時)(2018年)(他の写真を見る)
このように被災者の前で跪く姿勢については、当初は宮中でも否定的な意見があったという。同書では、当時の宮中には「スリッパも履かないで膝をつくなんて、天皇ではないだろう」という声があった、という宮内庁関係者の証言も掲載されている。
しかしながら、この姿勢を天皇陛下は貫いた。ご高齢になったあとも、被災地を積極的に訪問なさるなど激務をこなしていたのは誰もが知るところである。
言うまでもないが、天皇には被災地を見舞う法的な「義務」などはない。ましてや全員と跪いてお話をする「必要」もない。
それでも「障害者や高齢者、災害を受けた人々、あるいは社会や人々のために尽くしている人々に心を寄せていくことは、私どもの大切な務めであると思います」(平成11年)というお考えから、全国各地を訪れていたのである。こうした姿勢が多くの国民の尊敬を集め、共感を呼んでいたのは言うまでもない。
そして、こうした他者に「心を寄せる」天皇陛下の姿勢と、近年よく目にする小室さん側の「金銭トラブルは解決済み」といったクールにも見えるスタンスには、どこか大きなギャップがあるように感じる人がいても不思議はないだろう。
眞子さまは先の“結婚宣言”で、「さまざまな理由からこの結婚について否定的に考えている方がいらっしゃることも承知しております。しかし、私たちにとっては、お互いこそが幸せな時も不幸せな時も寄り添い合えるかけがえのない存在であり、結婚は、私たちにとって自分たちの心を大切に守りながら生きていくために必要な選択です」と綴られている。
皇室の方々にも両性の合意に基づく婚姻の自由は当然ある。秋篠宮さまがお二人の結婚に対する「確固たる意思」を尊重すべきというお考えも当然だろう。ただこうした「自分たちの心を大切に守」るために「必要な選択」といったお気持ちの表明について、これまで皇室に心を動かされ、また親しんできた国民の中には、別の受け取め方をしたり、違和感を抱いたりした人がいるのも想像に難くない。
こうした状況の下では、小室さんの代理人などが法律を根拠にして、論理的に正当性を主張すればするほど、むしろ反発を招いてしまうリスクがあるのかもしれない。
デイリー新潮編集部
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