下記の記事はヤフーニュースからの借用(コピー)です
眞子さま、佳子さま、愛子さまら内親王を対象に、結婚で皇室を離れた女性皇族に「皇女」として公務を続けてもらおうという制度が急浮上している。あまりに時代に逆行する仕組みだ。AERA 2021年1月11日号から。 【写真】愛犬「由莉(ゆり)」と散歩する愛子さま
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三浦しをんさんの『きみはポラリス』は、2011年の文庫発売以来31刷と版を重ね、今も平積みになっている。帯には、こんな言葉。 <すべての恋愛は、普通じゃない。最強の恋愛小説集> 思わず手を伸ばしたのは、秋篠宮家の長女眞子さま(29)が文書で公表した「お気持ち」も大いに関係している。 「私たちにとっては、お互いこそが幸せな時も不幸せな時も寄り添い合えるかけがえのない存在であり、結婚は、私たちにとって自分たちの心を大切に守りながら生きていくために必要な選択です」 20年11月に公表された文書だ。眞子さまは一人の女性として、小室圭さん(29)を愛し、結婚を望んでいる。そのことがひしひしと伝わってきた。だが、一方で眞子さまは、「天皇の初孫」として生まれた宿命も背負っている。それゆえ、小室さんの母の「借金問題」などで結婚は延期されたままになっている。 ■女性皇族の役割とは 父である秋篠宮さまは「お気持ち」を受け、「結婚を認めるということです」と述べた。同月30日に55歳の誕生日を迎えるにあたって開かれた記者会見でのことだ。同時に「結婚と婚約は違いますから」とも述べていて、結局のところ眞子さまの恋の行方は不透明なままだ。 「すべての恋愛は、普通じゃない」のだとすれば、眞子さまのそれも、よくある恋愛の一つということになる。が、やはりそうとばかりは言えないから、「皇女」について書いていく。 「立皇嗣の礼」が終わって約2週間、11月24日に突如「政府内で検討」と報じられた。結婚で皇室を離れる女性皇族に「皇女」という呼称を贈り、公務を続けてもらう。皇族でなく特別職の国家公務員のような立場とする。そういう制度だそうだ。
17年に成立した退位特例法の付帯決議が「安定的な皇位継承を確保するための諸課題」と「女性宮家の創設等」を速やかに検討するよう政府に求めていた。背景にあるのは皇族数の減少と公務の担い手不足。が、それらについてどんな検討をしたのかはっきりしないまま、「皇女」が急浮上してきた。なぜ? 女性宮家の創設は、「男系男子による皇位継承」に強くこだわる保守派から「女系天皇」への道を開くと大反対されている。その点「皇女」は皇室の外に出てからの話だから、保守派の人々も賛成できるのだろう。保守派とは安倍晋三前首相のコアな支持層だから、菅義偉首相に代わってもおもんぱかられる存在なのだということがよくわかった。なのに、女性皇族は置いてきぼり。そう思えてならない。 そもそもから始めるなら、女性皇族は皇室典範で「天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる」と定められている。個人的にはこれを「結婚退職制度の明文化」だと思っていたから、「女性宮家」はその撤廃になる道だと期待していた。ただし「人手不足だから退職しないで」と求めるだけでなく、これを機に女性皇族の役割がきちんと検討される。そのことも願っていた。それなのにいきなり、結婚退職後も「皇女」として働く制度。なぜ? パートタイム勤務の明文化。そう思った。今どき、結婚→退職→パート勤務とする会社などあるだろうか。「なぜ」ばかり頭に浮かぶが、「期限がきたので、反対の少なそうな答案を出してみました」が答えだと思う。 20年2月、「安定的な皇位継承策」などへの検討状況を国会で質問され、当時の菅官房長官は「本格的な検討は立皇嗣の礼のあと」と答弁していた。4月の予定がコロナ禍で延期されたが、それも終わった。眞子さまの結婚への強い意志も示された。いくら何でも何かを示さねば、というタイミングで保守派の顔色を見ながら打ち出した。そう見える。 ■真面目さにつけ込んだ 女性皇族への甘えでは、と思ってしまう。「皇女にはなりません。自由にします」と言える女性皇族がいるだろうか。そこにつけ込んだ制度だと感じる。
報道によれば、政府が「皇女」と想定しているのは内親王で、眞子さま、佳子さま(26)、愛子さま(19)に加え、黒田清子さん(51)も含まれるという。それぞれのお気持ちを思うとき、参考になるのが清子さんの著書『ひと日を重ねて 紀宮さま御歌とお言葉集』。そこには、皇族としての務めを大切に考える「働く女性」の懸命な姿がある。そういう真面目さを、政府はきっと見越している。 その一方で、時代を思う。清子さんの生まれた昭和は、男子優先が当たり前だった。眞子さま、佳子さま、愛子さまが生まれたのは平成。男女の区別なく、自分を大切にする。そんな社会を模索したのが平成だったろう。 佳子さまは19年、眞子さまの結婚について尋ねられ、「私は、結婚においては当人の気持ちが重要であると考えています。ですので、姉の一個人としての希望がかなう形になってほしいと思っています」と文書で答えている。そう、佳子さまの表現を借りるなら、「一個人」の時代。女性皇族も、そこに生きている。 ■「ここではない、どこか」 佳子さまは幼少期にはアイススケート、長じてはダンスと「天皇家らしからぬ」ことを選んできた。率直な記者会見での回答からも、強い女性だと拝察している。そんな佳子さまだから、眞子さまの心をあのときすでに代弁していたのだと思う。 その心とはつまり、眞子さまの「お気持ち」文書に表れた小室さんへの愛。そしてもう一つ、「ここではない、どこか」を求める強い気持ちだと思う。誰もがもつ、人を成長させる感情。眞子さまにとって、そのための唯一の手段が結婚。だから、ますます駆り立てられる。文書を読み、そう思った。 あれこれ考えていくと、「男系男子による皇位継承」に行きついてしまう。皇室における女性は、生まれたときから「男性でない」存在だ。そういう場所に、平成生まれの女性皇族がいるという現実。一般論だが、「ここではない、どこか」への渇望の前提には、「今いる場所」への違和感がある。そんなふうに思う。 最後に、三浦しをんさんの話をもう一度。政治学者・原武史さんとの共著『皇室、小説、ふらふら鉄道のこと。』で、眞子さまの結婚について語っている。なぜ男性の経済力だけが問題になるのかと聞き、こう語る。 「内親王の結婚は『専業主婦になること』を基本的な前提としているのかなと。『売れないロックミュージシャンと結婚したい内親王』とかが出てきたら、どうするんでしょうか」 三浦さんは女性皇族を、「同性の一人」としてとらえている。働き、人を好きになり、結婚をする。そういう当たり前な人として、眞子さまも応援する。そんな三浦さんは「少数派」ではないということを、菅首相にテイクノートしてほしいと思う。「皇女」ありきではなく、「一個人」としての女性皇族を念頭に、生き方と制度を検討してほしい。 21年12月、愛子さまは二十歳になる。成年皇族としての愛子さまが、良き日々を過ごせる。そういう議論が進むことを願ってやまない。(コラムニスト・矢部万紀子) ※AERA 2021年1月11日号
https://news.yahoo.co.jp/articles/31082b510a87a657aa3b6bfdc67f550380b0ac92?page=1
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