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複雑性PTSD」公表後も続く執拗な誹謗中傷…眞子さまと小室さんの「人権」はどこへ

2021-10-13 11:00:00 | 日記

下記の記事は現代ビジネスオンラインからの借用(コピー)です。

万葉集の時代、天皇や皇族は現代よりはるかに自由に恋愛をし、恋心を歌に詠んでいたのは、誰もが知るところである。
今の季節にぴったりな歌にこのようなものがある。これは大津皇子が石川郎女に贈った歌である。
あしひきの山のしづくに妹待つとわが立ち濡れぬ山のしづくに
(あなたを待っていると山を濡らす夜露に私もすっかり濡れてしまいました)
そして、石川郎女はこのように返歌している。
吾を待つと君が濡れけむあしひきの山のしづくにならましものを
(あなたが私を待ってくださっている間にすっかり夜露に濡れてしまったのですね。できればその夜露になってしまいたい)
二人の恋は忍ぶ恋であったと言われているが、その詳細は今となっては知る由もない。遠い万葉の時代、二人を隔てる山を仰ぎながら、使者を通してこのような歌を贈り合っていたのだろうか。
執拗な「ネットいじめ」と誹謗中傷
そして現代。現代の皇室では自由な恋愛も許されないようである。むしろ、現代のほうがよほど生きづらく、息の詰まるような時代になってしまったようだ。
眞子さまの結婚をめぐって、小室さんの親の借金がどうとか、説明の仕方が悪いとか、国中からさんざんな批判や誹謗中傷を受け、果ては髪の毛の長さにまで文句を言われ続けている。ネット上は、さながら「ネットいじめ」の様相を呈していると外国でも報じられている始末である。
レポーターは、ニューヨークで小室さんを追いかけ回した挙句、職場にまで用もないのに電話をし、これが手柄だといわんばかりに繰り返しテレビで映像や音声を垂れ流す。その際に無言であったとか、ポケットに手を入れていたなどということもまた細かく文句を言われている。しかし、いきなりカメラやマイクを突き付けられて愛想良くしろというほうが無理だろう。
成城大学の森暢平教授によれば(日刊ゲンダイDigital「眞子さま「複雑性PTSD」公表後のTV局解説委員長の無責任な批判を問う」)、テレビ番組で読売テレビの解説委員長である高岡達之氏は、「(ここは)日本です。…例えば、銀行におうち買うお金の相談とか、ポニーテールの行員が並んでる銀行で金借りまっか?」「もうニューヨーク散髪屋開いてますよ。行ったらいいじゃないですか!」と批判を繰り返していたという。
森教授は、こうした言動とそれを放映するテレビ局に対し、「無責任な放送は、無責任な世論を形成する一因となる」と厳しく批判しているが、私もまったく同感である。
別に銀行員がポニーテールであっても金を貸してくれるのであれば喜んで借りる人もいるだろうし、散髪しようがしまいが本人の自由だ。この人の価値観を押し付けられるいわれは誰にもないし、これは明らかな容姿に基づく偏見である。多様性の時代とかいう言葉はどこに行ってしまったのだろうか。
今年のノーベル物理学賞を受賞した真鍋淑郎先生が、日本に帰りたくない理由を問われ、日本では周囲との「同調」が求められるのに対し、米国では周りを気にせずやりたいことができるからと答えたことが報じられた。まさに、上に挙げたような偏狭な価値観の押し付けが日本を息苦しくしている。
複雑性PTSDの公表
相次ぐ誹謗中傷を気に病んだ眞子さまが「複雑性PTSD」を公表した。するとすぐさま、本人に会ったこともない医師が「この診断は勇み足だ」「適応障害が適切だ」と批判をした。
「適応障害」というのは、PTSD(心的外傷後ストレス障害)と同じくストレスに起因する障害であるが、PTSDやうつ病などの診断基準を満たさないものを放り込んでいた「ゴミ箱」診断的なものであった。そのあいまいさが批判を受け、世界保健機関(WHO)の国際疾病分類(ICD-11)において定義が整理されたという経緯がある。1)
そしてその議論と関連して、同じストレス関連障害である複雑性PTSDが提唱された。複雑性PTSDとは、ICD-11によれば、逃げるのが困難な長期的なストレス体験(拷問、虐待、DVなど)の後に、ストレス体験の再体験症状(いわゆるフラッシュバック)、回避症状(トラウマを思い出すものを避ける)、過覚醒(イライラ、不眠、感覚過敏など)、持続的空虚感、無力感、対人関係上の困難(不信、孤立など)、感情制御の困難(怒りの爆発など)などが生じるものだと定義されている。
古典的なPTSDは、生命を脅かすような恐怖体験をした後に、上述のような症状が発現するものである(トラウマは必ずしも長期的体験ではなく、1回きりのものであることが多い)。事件事故の被害者、戦争や紛争のサバイバー、大災害の被災者などがこうした状態に陥ることがよくある。
実際に診断を下した精神科医の秋山剛・NTT東日本関東病院品質保証室長は、「「複雑性PTSD」は、言葉の暴力、例えば、ネット上の攻撃、いじめ、ハラスメントなどでも起こります。こういったトラウマを体験すると、どなたでも「複雑性PTSD」になる可能性があります。ネット上の攻撃、いじめ、ハラスメントなどのために、尊い生命が失われていることは、みなさまよくご存じの通りです」などと述べている。そして、眞子さまには上に挙げたような症状がいくつも当てはまることを指摘している。
ただし、この診断を幅広く当てはめすぎて「過剰診断」にならないようにすることは注意を要する点である。
メディアからのさらなる誹謗中傷
複雑性PTSDの診断公表後、メディアはさらに誹謗中傷を加えている。たとえば、デイリー新潮は「国民の声を“誹謗中傷”呼ばわり」と題し、「小室さんが眞子さまをマインドコントロールしている」などと報じている。
メディアやSNSがこれほどまで眞子さまを追い詰めたと知ったのならば、それに同情したり、行き過ぎを反省したりするのが自然な人間的反応である。人間には元来、相手の表情やリアクションを見て、「攻撃」のスイッチがオフになるという神経的装置が備わっているからだ。しかし、なおも攻撃を続けるような人々は、その装置が壊れているのかもしれない。
ジャーナリストの青沼陽一郎氏も、病名の公表に「強烈な違和感を覚える」と述べ、「体のいい言論封殺だ」「小室家の借金トラブルがなければ世論もこんなに騒然としない」「国民の反発は「故なき批判」ではない」などと述べている(JBPress「眞子さまの複雑性PTSD公表、狙いが「批判封殺」なら逆効果に」)。
まず、そもそも「批判」とそれを逸脱した「誹謗中傷」とはまったく違う。現時点では明確な線引きがあるわけではないかもしれないが、言論に携わる人がこの2つを雑に一緒にして論じるのは問題だ。「誹謗中傷」を「批判」であるというのなら、言論の自由を持ち出せば何を言ってもいいことになってしまう。誹謗中傷に対抗することを「言論封殺だ」と言うのは、まさに今、国を挙げてネット上の誹謗中傷対策を講じようとしていることに逆行する主張である。
また、相手に落ち度があれば何を言ってもいいと言わんばかりの主張には、憤りすら覚える。これは「いじめられるほうにも問題がある」と言っているのと同じである。借金問題があろうと、髪の毛が多少長かろうと、何を言ってもいいわけがない。
タレントのスマイリーキクチさんが、Twitterで「メディアもネットも、この人は“叩いてもいい”と決めつけると、集団で吊し上げる。批判する人達は「叩かれる理由がある」と開き直る。一億総いじめっ子時代か…」とつぶやいているが、まさにそのとおりである。
青沼氏はまた、小室氏に対して「それで嫁を幸せにできるのか、それも誕生から生育を見守ってきた皇室のお姫さまが嫁ぐだけに、国民も無視はできない」と述べ、時代錯誤の家父長的なパターナリズムを開陳している。
眞子さまは、一個の人格を備えた大人である。本人の生き方は本人が決めればよい。幸せになることもあろうが、傷つくこともあろう。それも人生であり、自由である。心配だからと言って、それを言い訳にして一挙手一投足あげつらうような小姑的な言動をすることは、本人からすると迷惑この上ないだろう。これは、相手を一人の人間として見ていないからで、まさに人権軽視が露呈している。
これは深刻な人権問題である
つまるところ、一連の問題は一言で言えば、深刻な人権問題なのである。
皇族はどんなに批判を受けても、誹謗中傷されても、そもそも反論したり、訴訟を起こしたりすることができない立場である。それを知っていて言いたい放題という状況は、卑怯というほかない。もちろん、どんな意見を持つもの自由であるし、戦前のような「不敬罪」があるわけではないのだから、自由に意見を述べることはできる。
その一方で、これまでも特に女性皇族は頻繁に誹謗中傷の的となっており、それを原因としてメンタル不調に陥った例はたくさんある。このような状況をいつまで放置しているのだろうか。早急に効果的な対策を講じる必要がある。皇族の人権問題について、これまで国民も政府も明確な議論を避けてきた。しかし、一連のいきさつを見るにつけ、やはりきちんとした議論が必要であることを痛感する。
そして、まるで日本から逃げるように、一時金も辞退して異国で新生活を送ろうとしている二人には、心安らぐ場所を見つけ幸せになってほしいと心から願わずにはいられない。

筑波大学教授
原田 隆之
TAKAYUKI HARADA
1964年生まれ。一橋大学社会学部卒業。同大学院社会学研究科博士前期課程、カリフォルニア州立大学心理学研究科修士課程修了。東京大学大学院医学系研究科でPhD取得。法務省、国連薬物犯罪事務所(ウィーン本部)、目白大学人間学部教授等を経て、現在筑波大学人間系教授、東京大学大学院医学系研究科客員研究員。専門は、臨床心理学、犯罪心理学。



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