徳川家康が、江戸の水利を改善するため、利根川が江戸へむいて乱流していたものを、銚子に流出すべく流路をつけかえたのです。
すると、この印旛沼一帯は、大雨のつど、一手に水害を引き受けることになってしまった。
そういう徳川幕府の水利事業のつけを負担してきたのが、下総の印旛沼一帯でした。
そういうなかば宿命的なハンデを背負ってきたのが、この付近の農家。
いまでは、水利もずいぶん改善されて、落ち着いた農村になっています。
このあたりの農村には、そういう苦難の歴史があるのでした。
画題 西印旛の田園地帯
水彩画 ケイコ