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韓国問題-歴史編 第3部「お家の事情」の歴史観 :3-1 韓国製トンデモ日本史

2014-04-27 10:57:54 | 政治

■■■ Japan On the Globe ■■■ 国際派日本人養成講座 ■■■

韓国問題-歴史編 第3部「お家の事情」の歴史観
3-1 韓国製トンデモ日本史

 日本は百済の残党が土着原住民を制圧して作った国?!
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■1.「日本海」が消える!?■

 韓国は「日本海」を「東海」という名称に改めさせようと国際的な運動を続けている。事の起こりはもう10年も前の1992 (平成4)年、韓国と北朝鮮が国連地名標準化委員会に共同で「日本海」という地名表記の是正を求める提案を行ったことである。[1]  

 平成14(2002)念8月に海図の名称を標準化する国際水路機関が作成した指針案では、韓国側の働きかけが通って「日本海」の名称が消えていた。外務省は慌てて高官を派遣して抗議し、日本の立場を支持する他の加盟国の批判もあって、この指針案を撤回することとなり、「日本海」の名称はかろうじて残された。[2]

 しかし、韓国側の執拗な運動で、百科事典エンサイクロペディア・ブリタニカ、米国の大手地図製作社であるランド・マクナリー社、新聞のワシントン・タイムズなどが「東海」の表記を併用したという。

 さらに各国の政府や民間のホームページ約8百件に「訂正要求」を行い、うち英BBC放送や英外務省など約90件のサイトに「東海」を認めさせることに成功したとしている[3]。ここまで執拗に地名を改めさせようという動きには、日本人にはなにか空恐ろしい執念を感じさせる。

 韓国側はその主張の裏付けとして、日本海は昔から「東海」と呼ばれてきており、「日本海」に変更されたのは日本が植民地統治をしていたからである、という「歴史事実」があるとしている。こんな「歴史事実」を持ち出されると、日本人はビックリしてしまう。しかし、これが簡単に反論可能な事実無視の主張だと知れば、国際社会はそんなに簡単に騙されるのかと、もう一度ビックリするだろう。


■2.日帝に奪われた地名!?■

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 この海は元々「東海」または「韓国海」であった。我々には東側の海であるから「東海」であり、世界人、特にヨーロッパ人にはアジアの東側にあるから東海であり、この海の東側は「太平洋」であった。よって「東海」や「韓国海」という名称は初めから韓国だけで用いられてきたのではなくて、国際的な公認表記だったのである。
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「日帝(日本帝国主義)に奪われた地名を探して」(金ギビン)という、タイトルからして、いかにも気張った本の一節である。金氏はこういう根拠として朝鮮日報(92年11月12日付け)の「研究結果」を引用している。

 そこには、1615年、コディンホ・デ・ヘレディアによるアジア地図に「MAR CORIA (韓国海)」と表記があった事を始めとして、11の地図で同様の表記をしているという年表をつけている。その中には、日本人が「朝鮮海」と呼んでいる例も3つある。

 この記事では「日本海」という表記が最初に現れた地図としてはマテオ・リッチが1602年に描いた「坤輿(こんよ)万国全図」があるが、その後200年間は、「日本海」という表記が使われなかった、と述べる。そして次のように結論を下す。

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 東海が「日本海」として呼ばれる傾向が強まったのは、はるか後である1904年日露戦争、そして1910年以後というのが我が学界の通説である。事態がこのようになってみると、世界に通用している「日本海」を除去することは韓国としてみれば「奪われた名前の取り戻し」となって、国際的には太平洋戦争を引き起こした日本軍国主義に対する最後の「終戦作業」の1つとなるわけである。
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■3.トンデモない嘘■

 こうまで書かれると、素人はたじたじとなってしまうが、さすがに我が国には、歴史事実をきちんと調べてくれる専門家がいる。その一人、青山宏夫氏の調査によれば、「日本海」という名称が現れる地図は「坤輿万国全図」以降、1800年までに16種を数える。したがって、「200年間は、『日本海』という表記が使われなかった」というのはトンデモない嘘である。

 日本で作られた3つの地図の一部に、「朝鮮海」と評価されているのは事実だが、これらは太平洋を「大日本海」とし、それとの対で「朝鮮海」が使用されたのである。西洋図では19世紀には、「日本海」という呼称が広く用いられており、19世紀後半は圧倒的に「日本海」が多い。

 韓国併合は1910年、20世紀に入ってからなので、日本が植民地支配によって「東海」という名称を無理矢理「日本海」に変えたという主張も事実ではない。

 これだけ明白な事実があるのだから、韓国がトンデモない主張をし始めた時から、いちいちきちんと反論していれば、国際水路機関の指針案から「日本海」が消えるような恐れはなかったはずだ。

 韓国が「東海」を主張し始めたとき、外務省もまさか、そんな嘘が国際社会で通用するはずがない、と思ったのではないか。その油断が外務省の怠慢を呼んだのだろう。国際社会でのプロパガンダ戦には、何でもあり、という基本を国際派日本人は知らなければならない。


■4.黄河文明もメソポタミア文明も朝鮮民族が作った!?■

 この「東海」のような、日本人があっと驚くようなトンデモ史観が韓国には多い。そしてそれは多分に日本にも関わったものだ。韓国の大手・東亜出版社は94年に「大朝鮮帝国史」という本を出版した。そこで描かれた朝鮮民族の発祥を要約すると、次のようなストーリーになるという。

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 古朝鮮の領土は北はバイカル湖から南は揚子江まで、西はモンゴル砂漠から東は日本にいたる広大なものだった。紀元前9000年前、東夷族である桓因はパミール高原の下に桓国を立て、その後バイカル湖の付近に移った。紀元前7000年前に韓国人の祖先はバイカル湖付近から分かれ、世界各地に散らばっていった。

 紀元前4500年には中国東北部に紅山文明ひいては黄江文明を打ち立てた。紀元前3500年頃には西に向かつた一部が、メソポタミア一帯にシュメール文明を築き、紀元前2700年ごろには中国南部に進出した一部がチベットまで征服し、8O0年問統治した。また西に向かった一部はフィンランドの北側に定着し、東北に向かつた一部はべーリング海を渡つてアメりカに入りインディアンの祖先になったという。

東に向かつた一部はサハリンを伝って日本列島に入り、日本に定着し、これが「倭」の祖先となった。紀元前2173年には朝鮮族は海を渡ってこの「倭」を征伐した。よって日本族の94%は我が同族〈朝鮮族〉である。
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 同様の内容が、韓国陸軍の「民族史教育」で教えられており、もちろん正規の歴史学者からは「考古学的な裏付けがない仮説を全軍に事実かのように教育するのは性急なこと」と批判されている。これに比べたら、我が国での「邪馬台国は九州か、近畿か」という論争など、はるかに地味でつつましいものに見えてくる。


■5.日本は朝鮮民族が作った国!?■

 韓国製トンデモ日本史はまだまだ続く。玄ギョンビンの「韓国人は偉大な韓国を望む」(1992)は、日本の古代から近世までの歴史を次のように説明する。

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 日本は7世紀未から国家形成期に入った。それ以前の日本は三韓・伽や(ニンベンに椰のつくりの部分)・百済などが自分の領土の一部として統治してきた。しかし660年、百済が滅亡し、その後裔らが続けて行った〈百済〉復興運動が失敗するや日本列島は自らの歴史期に入ったのだ。

夫餘氏家門が日王家〔天皇家―引用者注)を形成し、新羅系・百済系・高句麗系が武力で王族や貴族集団を構築した。彼らは新しい文化や伝統を普及させる一方で、土着原住民を制圧し、列島全域へと勢力を広げ、支配力を確保して日本を建設した。
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 この歴史観なら、日韓併合も、分家と本家が再合併したようなものだから、非難されるいわれはないのだが、それはまた別の話らしい。


■6.皇室のルーツは百済!?■

 日本は百済系の旧支配層が作ったというトンデモ史観では、当然、皇室のルーツも朝鮮でなければならない。

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 最初に日本を支配した天皇は、百済人の末裔である15代・応神天皇(4世紀)と仁徳天皇(5世紀)父子であった。(中略)6世紀に百済の武寧王の弟が26代・継体天皇になった以後、百済の王族が7世紀末まで即位した。

百済の聖王もやはり日本の天皇であるという主張がある。百済の聖王が540年に高句麗を攻撃して失敗し、540年に日本に渡って29代・欽明天皇になったというもの。33代・推古天皇(6世紀末~7世紀初)は、百済の王族の純粋な血統を引く日本最初の正式な女王である。その夫・敏達天皇(6世紀)も百済人王族である。
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 これは平成13年12月23日に、天皇陛下が「私自身としては桓武天皇の生母が武寧王の子孫であると、続日本記(しょくにほんぎ)に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています。」と述べられた御言葉を、東亜日報が報道した記事の一節である。

 天皇は、「桓武天皇の生母が武寧王の子孫」という歴史的文献に記載された事をそのまま述べられただけなのだが、これが韓国マスコミでは、「皇室の起源は韓国」というトンデモ史観にすり替えられて大々的に報道された。なかには、「強い衝撃/日本マスコミ、百済部分省き報道」などと、日本のマスコミがこの「真実」を隠そうとしたと報道した韓国紙まであった。

 日本の皇室のルーツが朝鮮にあった、というトンデモ史観は、韓国内で広く信じ込まれているそうな。ついにそれを「日王家」自身が認めた、やっぱり、という事なのだろう。本当にそう信じるなら、皇室は朝鮮民族最古の王族家系なのだから、「偉大なる朝鮮民族の象徴」として尊崇してしかるべきだろう。

 もちろん韓国の学界では、こんなトンデモ史観はほとんど支持されていない。韓国での日本古代史の権威・高麗大学の金鉉球教授は、「日本の天皇家の百済起源説を主張する本も出てきているが、史料の恣意的な解釈など歴史研究者の立場から見るとき学問的成果として受け入れられない」と述べている。


■7.万葉集は朝鮮語で書かれている!?■

 古代日本は朝鮮人が作ったというトンデモ史観で、一番苦しいのは、朝鮮語で書かれた文献が皆無である、という点である。しかし韓国の逞しいトンデモ歴史家たちは、その程度ではへこたれない。作家・李寧熙は、「もう一つの万葉集」で、万葉集の歌が朝鮮語で解読できるという「学説」をうちだした。

 たとえば、額田王(ぬかたのおおきみ)の歌に次のようなものがある。

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金野乃 美草苅葺 屋杼礼里之 兎道乃宮子能 借五百礒所念

 秋の野のみ草刈(か)り葺(ふ)き宿(やど)れりし宇治(うじ)の宮処(みやこ)の仮廬(かりいほ)し思(おも)ほゆ(秋の野のみ草を刈って屋根を葺いて、泊まった宇治の宮処の仮の宿のことが思い出される。)
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 これが李寧熙にかかると、朝鮮語で次のような意味になるという。
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新羅よ 刀研いで注ぎ 締め苦しむなかれ
お上の都は 刀が 来るから来襲に備えよ
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 これは百済人である舒明天皇が、新羅の攻撃に備えよと百済に警告するために、額田王に作らせた歌であったという。どうしてこんな訳が出てくるのか、第2句「美草苅葺」のみ見てみると:

「美」は朝鮮語音読で「ミ」、「草」は「セ」で「ミセ」は「ムセ」に通じ「鋳物の鉄」を意味する。「苅」は日本語訓読で「カリ」。これは朝鮮語「カルダ」(磨く)の語幹「カル」。「葺」は日本語訓読で「フキ」。これは朝鮮語「ブッキ(注ぐ)」を表す、、、。

 朝鮮語と日本語の音訓を見境なく持ち出して、それを適当に変形して朝鮮語にこじつけている。それも「葺」は別の歌では語尾「ジ」を意味する、などと一貫性がない。李寧熙のトンデモ「学説」は日韓の学界ではまったく相手にされていないが、以後、このアイデアを真似て、万葉集や日本書紀を朝鮮語で解読しようとするトンデモ歴史家が後を絶たず、半ば「定説化」してしまったという。


■8.トンデモ史観と歴史観共有!?■

 以上、韓国での「トンデモ史観」を紹介した。ここで注意しなければならないのは、こういうトンデモ史観が流行るのは韓国だけでなく、日本も同じだということである。それは李寧熙の「万葉集=韓国語」説が日本でベストセラーとなり、それが韓国に輸出された事からも窺える。日韓の違いは、同じトンデモ史観でも日本は自虐的であり、韓国側が夜郎自大的である事だ。だから両者は結びつきやすい。

 どこの国でも、こういう専門家なら相手にしないトンデモ歴史家がいて、正規の歴史研究者とトンデモ学者の距離はきわめて大きい、という事を認識すれば、近年の近隣諸国との歴史問題にどう対応するか、という問題に対するヒントが得られる。(ただし、日本にはマルクス主義流トンデモ史観が専門家の間でも残留しているが、この問題は今回は触れない。)

「歴史観の共有」はまず韓国内の専門研究者とトンデモ歴史家の間でやってもらわねばならない。慰安婦問題にしても、韓国人元慰安婦が3年間で貯めた貯金が現在の貨幣価値で4,5千万円だったという事実が残っている[a]。「残虐な日本統治」時代に朝鮮の人口は32年間で2.5倍に急成長した[b]。

 本稿で紹介したような韓国の専門研究者の意見なら、日本でもごくスムーズに受け入れられるものだ。しかし、韓国で専門研究者とトンデモ史観の乖離がこれほどあっては、日韓の専門研究者どうしの内輪の「歴史観共有」では、トンデモ史観に馴らされた韓国一般国民を納得させるのは難しく、問題の真の解決にはならない。また日韓のトンデモ歴史家どうしの「トンデモ歴史観の共有」では問題は悪化するだけである。

 これから日韓の民間交流がますます盛んになるにつれて、本稿で紹介したような韓国人のトンデモ史観に日本人が面食らう場面がますます増えてくるだろう。まずはこういうトンデモ史観が韓国内で定着しているという事を、よく知っておくことだ。
(文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(106) 「従軍慰安婦」問題(上)
 日韓友好に打ち込まれた楔。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog106.html

JOG(107) 「従軍慰安婦」問題(下)
 仕掛けられた情報戦争。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog107.html

b. JOG(056) 忘れられた国土開発
 日本統治下の朝鮮では30年で内地(日本)の生活水準に追いつく事を目標に、農村植林、水田開拓などの積極的な国土開発が図られた。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_2/jog056.html


■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
1. 野平俊水、「韓国人の日本偽史」★★★、小学館文庫、H14
2. 産経新聞、「日本海」呼称残る IHO、削除案を撤回」、
H14.09.21、東京朝刊、2頁
3. 産経新聞、「『日本海名称』で韓国 『東海』浸透度を発表
H14.09.27、東京朝刊、6頁