以前書いたアート評やら、アートにまつわる文章やら、けっこう在庫がある。
それらを、ドンドン載せる事にした。
2年前の展覧会の話だったりするが、オレの言いたいことは伝わると思う。
アートってなんだろう? 分かんないぞ~!
って事ばかり 書いてた気がするけど、 ・・・ それだけでもない。
横浜バンカートスクールで 「アートの綴り方」 教室 に参加し、書き始めた。
福住簾さんによる、「素人が素人なりに アート評を書いてやろうジャン」 という ゼミだ。
で、今回 載せるのは 最初に書いた展評。
福住さんの添削を受けて 何度か書き直し、出来上がった。
その後も少し、手を入れたかもしれない。・・・忘れた。
なにか展覧会を見に行くように言われ、
「束芋」が何者なのか、まったく知らずに品川まで行った。
それが もう 2年前の事・・・・・
********
展評/「ヨロヨロン ― 束芋」
原美術館 2006年6月3日(土)―8月27日(日)
原美術館には「傷口」が広がっていた。明らかに傷害事件である。ヨロヨロン。ヨロヨロの世論? 束芋が一枚一枚描き上げたアニメ版少女マンガ。館内のあちこちで映像がリピートし、蠢く浮世絵が瀕死の世相を映し出す。スクリーンはそれぞれ、空間の特性を活かして配置されている。
狭い部屋の片隅に掘立て小屋。ところが中に入ると、そこはマンション。台形に切り取られ、斜めに設置された畳の間。その奥にスクリーンが置かれている。アニメの中の台所。中年女性が包丁を片手に調理している。窓の外、高校生達がビルの屋上から次々と離陸する。だがここはジブリの世界ではない。彼らは失速し、路上にシンシンと降り積もる。鍋の中で「何か」が煮えている。
暗い空間に移動する。足の下2mほどの位置に立体感のないモノクロの海。なぜか懐かしい。胎内の記憶だろうか? 波頭が切り裂かれ「何か」が解放される。「何か」ってナンダ? 分からない。デフォルメされ、入れ子になった内と外。「おれ」はいったい、どこに立っているんだろう?
部屋を変える。広い公衆便所、女性用だ。「おれ」はこんな所にいて良いのだろうか? そこに束芋が何人もいた。彼女は、まるで束芋のようにたくさんいて、まるで束芋のように自傷行為を繰り返す。ギリギリギリ、視線の角度を強制的に変えられる。
カシャッ! 盗撮? いや、覗かれたのではない。接写して「傷口」を見せつけている。こんな世界、大嫌い! だが世界を渇望している。死んじゃいたい、、、のかもしれない。殺しちゃいたい、、、のかもしれない。でも、伝えたいのだ。ズキズキと、ヒリヒリと、、、私はここにいる! そのためのインスタレーション。
「傷口」を晒す。これは時代を生きる若い女性の身体性・感受性に依拠した、素直な内面の吐露だろう。だが、これはアートだろうか? ・・・ここで気付く。「おれ」が加害者だったのだ。世代・性別で人を切り取り、アートか否かを切り分けようとする。束芋を傷つけた、傲慢な世界に立っている。
束芋は単に「傷口」を並べているのではない。自身の「傷口」を研ぎ澄まし、包丁代わりにして「おれ」を切り刻んでいる。時空を切り裂き、世界を組替える。なんとも強引なパースペクティブ。鍋の中に新たな料理が生まれつつある。アートかもしれない。お味はほろ苦い。
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2008-05-18 14:33:11 up
それらを、ドンドン載せる事にした。
2年前の展覧会の話だったりするが、オレの言いたいことは伝わると思う。
アートってなんだろう? 分かんないぞ~!
って事ばかり 書いてた気がするけど、 ・・・ それだけでもない。
横浜バンカートスクールで 「アートの綴り方」 教室 に参加し、書き始めた。
福住簾さんによる、「素人が素人なりに アート評を書いてやろうジャン」 という ゼミだ。
で、今回 載せるのは 最初に書いた展評。
福住さんの添削を受けて 何度か書き直し、出来上がった。
その後も少し、手を入れたかもしれない。・・・忘れた。
なにか展覧会を見に行くように言われ、
「束芋」が何者なのか、まったく知らずに品川まで行った。
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展評/「ヨロヨロン ― 束芋」
原美術館 2006年6月3日(土)―8月27日(日)
原美術館には「傷口」が広がっていた。明らかに傷害事件である。ヨロヨロン。ヨロヨロの世論? 束芋が一枚一枚描き上げたアニメ版少女マンガ。館内のあちこちで映像がリピートし、蠢く浮世絵が瀕死の世相を映し出す。スクリーンはそれぞれ、空間の特性を活かして配置されている。
狭い部屋の片隅に掘立て小屋。ところが中に入ると、そこはマンション。台形に切り取られ、斜めに設置された畳の間。その奥にスクリーンが置かれている。アニメの中の台所。中年女性が包丁を片手に調理している。窓の外、高校生達がビルの屋上から次々と離陸する。だがここはジブリの世界ではない。彼らは失速し、路上にシンシンと降り積もる。鍋の中で「何か」が煮えている。
暗い空間に移動する。足の下2mほどの位置に立体感のないモノクロの海。なぜか懐かしい。胎内の記憶だろうか? 波頭が切り裂かれ「何か」が解放される。「何か」ってナンダ? 分からない。デフォルメされ、入れ子になった内と外。「おれ」はいったい、どこに立っているんだろう?
部屋を変える。広い公衆便所、女性用だ。「おれ」はこんな所にいて良いのだろうか? そこに束芋が何人もいた。彼女は、まるで束芋のようにたくさんいて、まるで束芋のように自傷行為を繰り返す。ギリギリギリ、視線の角度を強制的に変えられる。
カシャッ! 盗撮? いや、覗かれたのではない。接写して「傷口」を見せつけている。こんな世界、大嫌い! だが世界を渇望している。死んじゃいたい、、、のかもしれない。殺しちゃいたい、、、のかもしれない。でも、伝えたいのだ。ズキズキと、ヒリヒリと、、、私はここにいる! そのためのインスタレーション。
「傷口」を晒す。これは時代を生きる若い女性の身体性・感受性に依拠した、素直な内面の吐露だろう。だが、これはアートだろうか? ・・・ここで気付く。「おれ」が加害者だったのだ。世代・性別で人を切り取り、アートか否かを切り分けようとする。束芋を傷つけた、傲慢な世界に立っている。
束芋は単に「傷口」を並べているのではない。自身の「傷口」を研ぎ澄まし、包丁代わりにして「おれ」を切り刻んでいる。時空を切り裂き、世界を組替える。なんとも強引なパースペクティブ。鍋の中に新たな料理が生まれつつある。アートかもしれない。お味はほろ苦い。
2008-05-18 14:33:11 up