史書から読み解く日本史

歴史に謎なんてない。全て史書に書いてある。

欠史八代(続)

2020-07-19 | 古代日本史
足利氏の家史から読み解く欠史もう一つの事例として、室町幕府の足利将軍家を見てみると、もともと下野国足利郡を本貫とする足利氏は、第五十六代清和帝の流れを汲む清和源氏の一派で、その系譜は清和帝の孫の経基が賜姓降下したことに始まります(尤も当人は皇籍を外されたことに憤慨していたとも言われますが)。やがて経基は受領として関東に赴任した折、任国の郡司と揉めて平将門の介入を招くなど、承平天慶の乱の一役を担う形 . . . 本文を読む

欠史八代

2020-07-03 | 古代日本史
皇紀と欠史欠史八代という言葉があります。史書上に諡号や系図等は伝えられていても、その業績を見出せない天皇の治世を表したもので、第二代綏靖帝から九代開化帝までがこれに当たります。そもそも日向に兵を挙げて東征を唱え、北九州から瀬戸内海を渡って畿内へ攻め入り、同じく天神の子を称して奈良盆地を支配していた饒速日命を従えて、両統合一を果たしたのは初代神武帝の業績としながら、第十代崇神帝が現れるまでそれに続く . . . 本文を読む

東征の完了

2020-06-16 | 古代日本史
磯城攻略中洲(奈良盆地)討入りの前哨戦で宇陀を平定した神武帝は、次いで磯城に兵を進めようとしました。宇陀の西側に隣接する磯城は、奈良盆地の南東側の入口に当たり、中洲攻略のためには避けて通れない土地です。しかし『日本書紀』によると、神武帝が宇陀の高倉山の頂から国中を眺めてみると、国見丘の上に八十梟帥(やそたける)がおり、男坂には男軍を置き、女坂には女軍を置き、墨坂にはおこし炭を置いていました。また磯 . . . 本文を読む

熊野越え

2020-05-23 | 古代日本史
熊野への道日向から遠路関西まで遠征して、敵陣まであと一歩と迫りながら、全軍を紀伊半島南部に移動させた神武帝は、熊野から吉野を越えて内州(大和)へ攻め入る作戦を敢行しました。この熊野越えは東征の集大成とも言うべきものなので、当然ながら熊野出立から大和討入りまでの行軍については、記紀共にかなりの文字数を割いて事細かに記述しています。ただ実のところ(正史の書紀でさえ)そこに語られている内容は、史実と言う . . . 本文を読む

続:東征

2020-05-07 | 古代日本史
吉備から河内へさて『日本書紀』を先へ読み進めると、吉備で軍備を整えた神武帝は、戊午の年の春二月に東へ向けて出港しました。但しこれが漢歴の何年に当たるのかは不明です。船団を連ねて難波碕に着こうとする時、速い潮流にあって甚だ早急に着きました。よって同地を浪速国と名付け、または浪花とも言い、難波というのはこれが訛ったものだといいます。因みにこの後も東征記では、記紀共に地名の由来にまつわる話をいくつも載せ . . . 本文を読む