史書から読み解く日本史

歴史に謎なんてない。全て史書に書いてある。

魏志:倭国大乱

2019-08-14 | 魏志倭人伝
「一女子」とあるのを読み違えて、それに続く鬼道云々と合わせて小説化する者も後を絶ちませんが、文章の前後の流れからすれば明らかに先王の娘ですし、それ以外に解釈の仕様がありません。「名づけて卑弥呼と曰う。鬼道に事え能く衆を惑わす。年已に長大なるも夫婿なく」とある文を読めば、これが結婚をせずに巫女となった王女であることは、その後の『古事記』や『日本書紀』の同例を見ても疑いの余地がないでしょう。古来日本では、女性が巫師や祈祷師となる場合、専ら皇女をその任に当てることが多く、神功皇后の逸話に見られるように、皇后(皇族から選ばれる)がその大役を担うこともありました。 . . . 本文を読む

魏志:倭の風景(二)

2019-08-10 | 魏志倭人伝
この倭人即ち日本人の風習は、その後も殆ど変らなかったようで、江戸時代後半に日本を訪れ、長崎の出島から江戸まで赴いたとある西洋人の学者は、清や朝鮮では女性は奴隷同然の扱いであるのに、日本ではどこへ行っても男女が同席し、女性が当然のように大路や街道を往来していることに驚いています。因みに「酒好き」という性癖についても後年外国人から度々指摘されることになるのですが。身分に上下の差がある者同士の対応などは、そのままこれを宣教師が見た戦国時代の日本の風景と言われても何ら違和感を覚えないもので、これもまた千年以上の時を超えてなお変らぬ日本人の姿と言えるでしょう。 . . . 本文を読む

魏志:倭の風景(一)

2019-08-08 | 魏志倭人伝
ただ日本は河北や朝鮮半島に比べれば温暖とは言え、年間を通して布一枚で過ごせるような気候ではないので、恐らく大陸の寒気に不慣れな倭人が、薄着でも活動しやすい時期を選んで渡航していたのと、同じく漢人もまた冬場を避けて倭国との間を往来していたことが、このような偏見を生む要因になったものと思われます。加えて江南地方や更にその南方の人々と倭人との共通性が、現実以上に倭国を南方系と同一視させてしまっている観は否めず、それが故意か否かは別として、倭人伝全般を通して倭人の描写にはかなりの脚色があると見てよいでしょう。 . . . 本文を読む