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全奉準東学決戦の地ー牛禁崎(ウグムチ)から民乱が始まる

2010年11月13日 | 南域内情勢
全奉準東学決戦の地ー牛禁崎(ウグムチ)から民乱が始まる

文ソングン、2012年に向けて叫ぶ

10.11.13 10:48キム・サムウン

写真ー 3日午前ソウルで野党圏単一政党創出のため'百万本国民の命令'ムン・ソングン代表等が記者会見


歴史上民乱や革命は、ほとんど権力に対抗して起きる。 成功よりは失敗が多かったし、途方もない犠牲が伴った。しかし、鎮圧されたり敗北しても、その火種は生き残って人類の進歩と発展に寄与してきた。

11月13日(土)忠清道の公州市牛禁崎で開かれる'民乱'は、政権や支配勢力の打倒ではない。野5党に向けた民乱という珍しい決起だ。

"国民百万人が集まって、野5党に国民の海にもまれ新しい野党圏単一政党を作り出そうと訴える"運動だ。

王朝時代には暴君と悪徳官吏を変えることができなくて、革命や騒動を選ぶほかはなかったが、今は選挙を通じて投票で交替することができる。 ところが野党圏は、5個の政党に分裂してマンモス執権勢力に対抗しようとしている。闘いの前に勝敗は決まったも同然…。若し野5党の統一候補なら、民心は圧倒的に支持するとの世論調査の結果もある。
これがこの民乱の背景だ。


▲116年前甲午年(1894年) 11月8日から14日まで公州牛禁崎でチョン・ボンジュン率いる東学農民革命軍は、官軍を前面に出した日本軍の現代式兵器に相対し戦い、壮烈に敗北した。 東学軍は竹槍と農機具で武装したのに比べて、日本軍は英国から輸入した小銃と現代式兵器で武装した正規軍だった。 はじめから相手にならない戦いだった。

東学軍20~30万人が犠牲になった。朝鮮はその後、日帝の侵略で半世紀の残酷な植民地生活と分断・朝鮮戦争を体験する原初的背景になった。
牛禁崎戦闘は、まさに韓民族悲劇の戦場だった。 今も民衆のハン(恨)が宿るところだ。

まさにその歴史の現場で、野党に向かって起こす珍しい民乱がスタートする。

"今日は民乱と呼ぶが、明日は成功した市民革命として記録されるだろう"と主催側は語る。


★今日偶然オ-マイニュースで、記者の質問に応えるムンソングン代表のインタビュー動画に出会った。ほぼ1時間ほどの内容だが、見ていて胸の詰まる思いがした。俳優として主演男優賞を何度も受賞するほどの有名人、だが父文益煥牧師の血を受け継いだ彼が選択した道は「民乱」であった。
ソウルの街頭で一人ビラ配りをしている彼の姿も、他のサイトでやはり動画で見た。
今年の夏、智里山と南原を歩きながら目にした東学の痕跡が、ぼくの脳裏に甦る。今日11月13日、20万~30万だった農民軍が、最後に残った1000名ほどで日本軍と官軍に決戦を挑み全滅した。この日を、民乱のスタートにした。向かう先は野5党! 今、覚醒した民衆の力が試されようとしている。namsang

趙治勲二十五世本因坊、史上最多1362勝に並ぶ

2010年11月13日 | 管理人のつぶやき
 ★6歳で来日、木谷門下にて修行。はじめはやんちゃが酷く周囲を困らせたとの伝説?も。ぼくは一度だけ高田馬場の碁会所で見たことがある。テレビの彼は不潔?そうに見えるが、いかにも韓国男子、好青年であった。スパイスの効いたダジャレを連発しながら解説していた彼が…。まずは愛好者として、在日として「チュカハムニダ」と声をかけたい。namsang


趙治勲二十五世本因坊、史上最多1362勝に並ぶ


囲碁の趙治勲二十五世本因坊(54)が11日、王座戦予選Aの1回戦で勝ち、公式戦通算1362勝(729敗3持碁4無勝負)を挙げて、この日、別の対局で敗れた林海峰名誉天元(68)=840敗1持碁2無勝負=の持つ史上最多勝ち星に並んだ。

 趙二十五世本因坊は韓国・釜山市生まれ。6歳のとき来日し木谷実九段に入門。11歳で日本棋院の棋士になった。1980年、24歳のときに名人となり5連覇、96~99年にも名人を4連覇した。本因坊10連覇(通算12期獲得)、棋聖8期獲得など数々の実績を持ち、史上最多となる71のタイトルを獲得している。

★関連記事ー韓国京郷サイトから抜粋

1971年5段に昇段した趙治勲に日本記者らが“おめでとう”と話した。するとすぐに15才のプロ棋士の口から“5段になるために日本にきたのではない”という返事が帰ってきた。 …この抱負どおり趙治勲は、以後各種記録を塗り替えて日本囲碁界で不動の地位を確立した。

75年プロ10傑戦優勝で初めての公式タイトル獲得。翌年王座戦で優勝、当時最年少7代タイトル獲得記録(20才5ヶ月)をたてた。

日本の7代タイトルを1回以上占めるグランドスラムを最初に達成したのも彼であった。 現在日本棋界でグランドスラムを記録したことは張翔9段と彼だけ。

特に日本3代棋戦の棋聖、名人、本因坊タイトルを同じ年に同時に保有する‘大三冠’は、趙治勲が唯一だ。 棋聖8回、名人9回、本因坊12回の優勝記録を持ち、特に本因坊は89年から10連覇の偉業をたて‘25世s本因坊’の称号まで得た。

獲得タイトル数最多記録(71回)も彼だ。 去る2月藤沢秀行(逝去)の孫娘藤沢リナが11才6ヶ月で入団する前まで、最年少入団記録を持っていのも趙治勲(11才9ヶ月)だった

G20閉幕、米の評価?

2010年11月13日 | 東北アジアの平和
★得意満面でソウル宣言を発表するMB、青瓦台は歴史的宣言、大成功と自画自賛した。だが国内でも「空の馬車はやかましい」と揶揄する。美辞麗句を並べただけ、実質合意はなされないまま、次回のパリに預けた格好と批判する言論も。
より手厳しいのはアメリカの反応だ。
以下いくつかを拾ってみた。


 ●1年ぶりにがらりと変わったオバマへの対応


1年前オバマの関心を引こうとした各国首脳ら、今回は背を向け

(ワシントン=聯合ニュース)

「ホームランではないが安打は打った」

ソウル主要20ヶ国(G20)首脳会議を決算しながらバラク・オバマ米国大統領がした寸評だ。

しかしオバマが重要だと感じたヒットが、点数につながらなかった。 ヒットが点数につながらなければ負けたのだ、というのが米国言論の冷静な批判だ。

AP通信などはソウルG20首脳会議閉幕に関する総合記事で
"手ぶらで離れることになったオバマ",
"G20,為替レート問題をオバマに返品"
等を題名とした。

オバマを今回の首脳会議最大の敗北者と描写した感じだ。


●米専門家
G20,"準備に賛辞、成果には失望

(ワシントン=聯合ニュース)
ファン・ジェフン特派員=
マクス ノーランド米国ピーターソン経済研究所(PIEE)副所長兼専任研究員は,
12日ソウルで開かれたG20(主要20ヶ国)首脳会議準備のための韓国の努力に賛辞を送りながらも、今回の会議を通じて出た結果に対しては残念だという評価を出した。

ノーランド副所長はこの日聯合ニュースとのインタビューで、韓国が首脳会議準備に莫大な費用を投じて成功的な会議開催を準備した。だが、彼は今回の会議結果と成果に関連、"具体的に、首脳宣言文は残念だ"と話した。