NPO法人 三千里鐵道 

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ノ・ムヒョン大統領、キム・デジュン大統領の遺志を継ぐために

2010年11月19日 | 管理人のつぶやき
写真ームンソングン氏

★三千里鐡道の事務所には夢切符の原画が飾られている。「平壌行きの切符をくれ!」と叫ぶムン牧師は、今も我々に語りかけているようだ。
その息子が、映画界でアンソンギと共に称されるほどの名優の名を捨て、自ら民乱の首魁を買って出た。そして、以下のインタビューまでの75日間、ほぼ一人で48日の街頭ビラ配りと20回を越えるインタビューに臨み、彼は訴え続けた。
主に進歩陣営に向けて、2012年ハンナラ党と一対一の構図を作ろう、そのために既成政党は「100万本国民命令」に従え、と。
彼はノムヒョンの人だ。でも国民参与党には参画しなかった。群立する野党に危機感すら感じたと、あるインタビューで応えていた。そして、今回のこの決起だ。
父の遺志を、そして二人の大統領から託された遺志を、ムンソングンは全身全霊で受け止めた。Namsang

※以下ノムヒョン財団でのインタビューの一部

ノ・ムヒョン大統領、キム・デジュン大統領の遺志を継ぐために


今なぜムン・ソングンなのか?

精神科専門医チョン・ヘシン博士談ー
“韓国映画でアン・ソンギとムン・ソングンはスターパワー”と評した俳優だ。世俗的な意味での政治的野心は‘少しもない’ことを証明してきた彼が、なぜノ・ムヒョンとキム・デジュン大統領の遺志を重く受け止め、渾身の力で‘政治的民乱’の先鋒に立つようになったのか。
これは彼の父ムン・イクファン牧師無しには語れない。

ムンソングンは語る

“現場で時には市民から冷淡で敵対的な言葉を浴びせられ傷ついたこともある。 一度は道行く人から‘お前の父から嫌いだ。そのパルゲンイセキ!’と。”

そうだ。 ムン・ソングンは、この時代の統一運動における思想家であったムン・イクファン牧師の息子である。

“ムン牧師は父として私にとって大切な方でした。 … 生涯最後の17年間の12年3ヶ月を監獄にいました。”

彼は父の裁判中、判事が父の発言を制止するや大声を出して抗議し、逮捕拘束され父と同じ刑務所にいたことがある。
当時父と自分を隔てた3mの壁を乗り越え父の監房に潜入したことがある。獄中、横になって微動もせず危うく呼吸する父をみて、このまま誰にも看取られず逝くのではとの思いで、彼は泣いた。

”多くの人が“ムン・ソングンはお父さんに似てきた”と言う。 ムン牧師の精神が今息子に乗り移っている。

インタビューを終わらせながら彼は
“人の尻に付いて行くことはあったが、私が率先して事を起こすのは初めて”といった。 自らの未熟を知りつつ、それでも時代が求めるのであれば今後も必死に努力する、手を貸して下さい、と謙虚に話す。


主人公が訴えるーマダン劇の一場面

2010年11月19日 | 管理人のつぶやき
写真ーマダン劇の一場面

先週の土曜日(13日)忠清南道の公州市郊外のウグムチで民乱の決起集会があった。東学農民軍がソウルに向けて進軍、迎え撃つ日本軍精鋭、官軍との決戦場であった。
農民軍は全滅、その後も続いた掃蕩作戦で一帯は地獄絵さながらに。

集会で演じられたマダン劇の終わり部分。累々と積み上がった屍をかき分け、すーっと立ちあがった主人公全奉準が、観衆に語る。

100年前も今も同じ、座して屈するか、立ち上がるべきか…。同志たちの志を受け継いで欲しい! 受け継いでほしい!…

※ウグムチとは漢字で「牛禁崎」。昔この峠を越えるとき、盗族が出没し牛や財物を略奪されたことから、この峠を越えるときは牛を禁じる、という経緯からついた名称。