
ゴッホ展に行ってきた。
前回来たときは行かなかったんだけど、コナンが赤ちゃんだったから
たぶん行けなかったんだろうな。
私自身別にゴッホが好きなわけではないんだけど、
なんだろうね、別に好きじゃなかったモディアリーニも、年を経て大人になって
その絵を見てみると、アーモンド型の目も別にそれほど怖くもなく
なんか下手くそな絵だな、みたいに思うこともなく。
絵は画家自身の心象風景が現れた作品だったりもするけど、見る側のそのときどきの
気持ちや年齢、自分を取り巻くさまざまな出来事の中で見え方も変わるのかな、と。
嫌いなものも好きにはならないまでも、受け入れられるようになっている自分のことを
成長だと言えるのか、成長ではなく何か別の表現…変化、うーんなんかいいのが思い浮かばないけど
とにかく心境の変化だったり、環境的変化だったり、
その中で同じ絵を見たとしても、見えてくるものが違うものだな~と思った。
シニアがやはり多く、夫婦であーでもないこーでもないっていいながら見ている人とか
油彩を習ってるのだろうと思われるおばちゃん仲間で見に来てたのかな?と思うグループとか
めずらしく若いカップルがデートで来てるのか!とか思える風景とか
さまざまな人に出会った。
とにかく混雑すごかった。
みんなの関心の高さがうかがえた。
サボさんは当然行かず。
「いたずら書きと何が違うのかわからない」っていつも言うのよね。
絵画はわかる、わからないの問題じゃないと思うわよ、私はね。
この間は大原美術館展見逃したから、これに行けてよかったわ。
風が強かったけど、癒される一日でしたとさ。
前回来たときは行かなかったんだけど、コナンが赤ちゃんだったから
たぶん行けなかったんだろうな。
私自身別にゴッホが好きなわけではないんだけど、
なんだろうね、別に好きじゃなかったモディアリーニも、年を経て大人になって
その絵を見てみると、アーモンド型の目も別にそれほど怖くもなく
なんか下手くそな絵だな、みたいに思うこともなく。
絵は画家自身の心象風景が現れた作品だったりもするけど、見る側のそのときどきの
気持ちや年齢、自分を取り巻くさまざまな出来事の中で見え方も変わるのかな、と。
嫌いなものも好きにはならないまでも、受け入れられるようになっている自分のことを
成長だと言えるのか、成長ではなく何か別の表現…変化、うーんなんかいいのが思い浮かばないけど
とにかく心境の変化だったり、環境的変化だったり、
その中で同じ絵を見たとしても、見えてくるものが違うものだな~と思った。
シニアがやはり多く、夫婦であーでもないこーでもないっていいながら見ている人とか
油彩を習ってるのだろうと思われるおばちゃん仲間で見に来てたのかな?と思うグループとか
めずらしく若いカップルがデートで来てるのか!とか思える風景とか
さまざまな人に出会った。
とにかく混雑すごかった。
みんなの関心の高さがうかがえた。
サボさんは当然行かず。
「いたずら書きと何が違うのかわからない」っていつも言うのよね。
絵画はわかる、わからないの問題じゃないと思うわよ、私はね。
この間は大原美術館展見逃したから、これに行けてよかったわ。
風が強かったけど、癒される一日でしたとさ。
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