遥か昔の、昭和49、50年と静岡で仕事をした。
22才、独身。静岡市の西のはずれ、とろろ汁で有名な東海道丸子宿の独身寮で、
青春時代を送った。
縁もゆかりもない土地で、娯楽も少ない時代、会社のクラブの軟式テニス部に入れて
もらい、ひたすら汗を流した。
その時のキャプテンのKさん、ペアを組んだMさんなど、みんなに優しく接してもらい、
仕事、恋愛、家族の悩みなど徹夜で麻雀をしながら、酒を酌み交わしながら、夜明けまで
語りあったものである。
転勤で静岡を離れてからも、年賀状のやりとりで互いの近況報告を交わしていたが、
その中間のMさんが50代の若さで現役で亡くなったとの知らせを聞き、いつか墓参りでも
したいと考えていた。
それが、中間のある人とラインを始めたのがきっかけで、テニス部有志の飲み会と、
故Mさんの墓参りが実現したのである。
参加者は、全員65~68才の準高齢者。しかし、会話は一気にタイムスリップして、
懐かしい独身寮のテニスコートでの練習、ゲームでの勝敗。付き合っていた彼女の消息
など尽きることなく続いた。
故Mさんのお墓の前でのスナップ。
22才、独身。静岡市の西のはずれ、とろろ汁で有名な東海道丸子宿の独身寮で、
青春時代を送った。
縁もゆかりもない土地で、娯楽も少ない時代、会社のクラブの軟式テニス部に入れて
もらい、ひたすら汗を流した。
その時のキャプテンのKさん、ペアを組んだMさんなど、みんなに優しく接してもらい、
仕事、恋愛、家族の悩みなど徹夜で麻雀をしながら、酒を酌み交わしながら、夜明けまで
語りあったものである。
転勤で静岡を離れてからも、年賀状のやりとりで互いの近況報告を交わしていたが、
その中間のMさんが50代の若さで現役で亡くなったとの知らせを聞き、いつか墓参りでも
したいと考えていた。
それが、中間のある人とラインを始めたのがきっかけで、テニス部有志の飲み会と、
故Mさんの墓参りが実現したのである。
参加者は、全員65~68才の準高齢者。しかし、会話は一気にタイムスリップして、
懐かしい独身寮のテニスコートでの練習、ゲームでの勝敗。付き合っていた彼女の消息
など尽きることなく続いた。
故Mさんのお墓の前でのスナップ。