美山たそがれメール

山村の四季情報や暮らしを発信します。

たそがれ世代のおばちゃんのブログです。

白菜漬け

2017年12月16日 | 日記
今日は曇り空だが久しぶりに暖かだった。家の中で編み物と紋次郎の介護。紋次郎は昼間は出たり入ったりで忙しい。夜は早くから寝てしまう。よく食べて元気そうだ。カラーだけは気に入らないようで、あちこちで衝突する。そのうちに壊すだろう。

夫が11月中旬八ヶ岳に行ったとき、道の駅で10株白菜を買って来てくれた。一緒に行った友人たちは「こんなところで白菜を買うなんて」と言っていたtらしい。道の駅でもう最後で10株しかなかったそうだ。友人たちにも分けて6株持って帰ってきた。私は白菜漬けにした。夫が漬け物好きで家で漬けたものを好む。私はこのごろ野菜はほとんど食べられない。83%の塩で下漬けして、10日後本も漬け物が漬けにした。我が家は昆布、煮干しを入れる。今年は柚子が高くて使えなかった。次男も漬け物が好きなので半分下漬けのまま持って帰った。今年は11月も12月も寒いので漬け物は美味しく漬かると思う。今晩出すと夫はぱくぱく食べていた。後は鰊漬けが楽しみだ。この間夫の知人たちが「あの白菜美味しかった」と言っていた。多分八ヶ岳の気温差と土が白菜やキャベツの栽培に適しているのだろう。

曇りのち晴れ

2017年12月15日 | 日記
久しぶりにお日様が出てきた。洗濯機を急遽回す。外で完全には乾かないが風で乾くこともある。冬季は洗濯物を乾かすのも一苦労である。夫がガレージ隅に薪ストーブを据えていて、毎日ほど焚いてくれるので、半乾き状態でそこで干す。紋次郎も夜はガレージで寝ている。

小浜の移動販売車の日だ。お正月用品が並びだした。数の子、イクラ。魚卵など。今年は鮭も筋子も魚卵も高いそうだ。私は魚卵を買って煮た。お正月前はもっと高くなるようだ。

佐々峠全面通行止め

2017年12月14日 | 日記
除雪車のエンジン音で目が覚めた。5時前。外を見ると15センチぐらいはありそうだ。
夫は8時半に帰ってきた。私も今日は行安掛けの仕出し屋さんにお寿司を取りに行くことになっていた。10時過ぎに公民館に行くとお年寄りたちが石鹸アートをしていた。私は雪道を走る。先の台風で山崩れが起きた道は川の中にう回路ができている。ゆっくり走って40分、お寿司を持って引き返す。お年寄りたちは私のお寿司を待っていた。味噌汁と手つくりのお漬物が並んだ。今年は何かと忙しく4回しかこの会を開くことができなかった。20年余り続いているが年年、人が減っていく。この12月で10名になってしまった。みんなよく食べよく話す。来年の1月の新年会の開催日を決めて散会。

生協のお姉ちゃんも急な雪で遅かった。午後から気温も少し上がってきたので
雨模様になってきた。佐々里峠は雪のため全面通行止めになった。本来は15日からなのだが今日の雪、峠の頂上付近は30センチはあるかもしれない。長い冬の始まりだ。

自助努力

2017年12月13日 | 日記
昨日から泊りの台湾の家族。雪を期待していたのに朝起きても雪は降ってなかった。帰るころ11時過ぎから雪が降ってきた。これから舞鶴方面に行くという。途中から雪になるだろう?

11時過ぎ夫の友人たち3名がやってきた。熊肉のすき焼きを食べるそうだ。熊肉と大根の千切りだけのすき焼き。私は鯖寿司と松花堂弁当を作った。4時までよく飲みよく話をしていた。台風の話になり自助努力について話し合った。大きな自然災害の時行政からの支援が届くのは大体3日目になるそうだ。その3日間は自分でできることをして自分で自分の命を守る努力をすることが大切だということだ。先の台風で陸の孤島になり、支援が届いたのは3日目であった。幸い集落に大きな被害が出てなかったので村人が騒ぐこともなかった。ただ山の崩落で通行止めになりストレスはたまった。特にインフレが止まると不安になる。冬季は大雪になり停電が予想されるので今のうちから対策が重要だ。

明日高齢者を集めたサロンを開く。自助努力について話すつもりだが、彼らが理解してくれるかはわからない。

除雪車スタンバイo,k 明日夫除雪開始日になるかなあ。

佐々里峠根雪になるかなあ?

2017年12月12日 | 日記
11時過ぎ峠の向こうの友人からメールが入る。「鹿肉取りに来ない?」と。紋次郎が好きなのですぐに向かった。今日の天気予報では雪が積もると言っている。数年前、友人の喫茶店でコーヒーを飲んでゆっくりしていたら、雪が一気に積もり峠の頂上で右往左往したことがある。鹿の足の肉をもらい昼食を食べて一目散で帰ってきた。峠の頂上付近では数日前の雪が残り凍てていた。ひょっとして、これが根雪になるのではと思った。

夕方台湾からのお客さんがやってきた。雪が見たいとのことだが今夜降るだろうか?寒いのは寒い。ストーブを点けても18度になかなかならない。私は18度から20度を設定温度にしているのだが、今日はほんとうに上がらない。外に出ると痛いと感じる寒さである。まだ12月なのに。

雪空

2017年12月11日 | 日記
晴れたり曇ったり雨がふったりの、ややこしい天気だったが午後から雪空になってきた。明日から冬型の気圧配置で雪が降るという。雪はあまりにも気温が下がると降らない。今日はそんなに寒くない。今晩から雨が降り明け方には雪になるのだろうか?明日の夜は台湾からのお客さんの予約が入っている。彼らは雪が見たいと言うが、寒さには驚く。母屋の雪囲いが完成した。3月下旬まで母屋はビニール板で覆われる。3時過ぎ晴れているのにあられが音をたてて降ってきた。

紋次郎と私は今日も家の中。紋次郎は時々表に出たがるがカラーが邪魔で自由に走れないのですぐに入ってくる。出たり入ったりするので居間はそんなに暖かくならない。私は今日も袖を編んでいる。二目ゴム編みで輪にして編んでいるのだがなかなか編めない。今月中に仕上げたいのだが、っどうなることやら。

友人がクリスマスプレゼントを贈ってきてくれた。高島屋から届いたので驚いた。この頃は
同居していない孫たちにクリスマスプレゼントとお年玉を送るのが、12月のならわしになっている。

やっぱり寒いなあ。

2017年12月10日 | 日記
今日は晴れているのに、やっぱり寒いです。路面は熔けたけれど茅葺きの屋根には雪が残っています。夫たちは朝から夕方まで雪囲い作りです。結構時間がかかっていました。表で火を焚きながらの作業でした。これで母屋も少しは暖かくなると思います。

紋次郎と私は家の中にいます。私は雪を見るとほとんど外に出ません。ストーブにあたり炬燵に足を入れて編み物をしています。紋次郎は少し熱さを感じると表に出たがります。足も痛いようで引きずっています。家の中で横になるのが自由にできないらしく、何度も座り方に挑戦しています。元気な紋次郎しか知らない私にとって毎日の変化に驚かずにはいられません、多分、そのうちに歩けなくなるような気がします。ここ一カ月は薬だけですが、本当に薬が効いているのかもわかりません。

カラーを取ってやりたいのですが、腫瘍を舐めるのでしたままです。

雪晴れの一日

2017年12月09日 | 日記
朝起きて窓の外を見ると一面の銀世界。一晩で5センチほど積もった。日中の気温も上がらず冷蔵庫状態。でもお日様は照り青空が広がっている。民宿の予約で外で花火や焼き芋をしたいとの希望があるがお断りしている。この寒さで外で何かをすことなどできない。一日中ストーブを点けて炬燵に入っていても寒いのだ。「雪はきれいでしょう。雪で遊びたい」とも言われるが私たちには雪は邪魔者でしかない。でも今日の初雪はすぐに溶けるだろう。根雪もないし、零下の日も続いていないから。せめて12月中は多くの積雪はいらない。

紋次郎がおとなしくなってきている。今日は雪の影響もあるかもしれないが外に出ない。ストーブの前の自分の毛布の上で寝ている。時々外に出るぐらいだ。腫瘍の出血は今日はない。食欲はあるようなので夕食には豚肉のこま切れを上げよう。薬も嫌がらず飲んでいる。20年近く一緒にいると自分の子供用で気にかかる。

私は休み休みロングコートの袖を編んでいます。

雪になりました。

2017年12月08日 | 日記
午前中は雨が降ったり止んだりしていたが、3時過ぎから雪になった。あっという間に一面真っ白になった。今晩は積もるだろう。根雪にはまだならないと思うが、この時期の雪は例年に比べて早い。大体クリスマス寒波では根雪になるのだが。まあこれから長い冬の始まりではある。

紋次郎がやはりおかしい。あちこちから出血もする。足首の腫瘍は小さくなったのだが他のところにも小さいしこりがある。痛いとも言わないのなんともわからない。どうすればいいのかなあ?

一か月前に亡くなったおばさんを偲んでNさんと相談して花を手向けることにした。亡くなった人のことを忘れるのも早い。いつもストーブの前に座りジュースを飲み昔話をよく喋っていた。病むこともなく、河原に落ちて命を落とすという死にかただった。何の言葉も残さなくあっけなく目の前から消えたのだ。生まれてくるときは、ある程度予想できるが死だけは予想もできない。私の妹も植物状態で7年も生きている。私は可哀そうに思う。特に91歳の母はその現実を認めがたいようである。

黒のセーター

2017年12月07日 | 日記
朝の気温マイナス2度。超寒かった。紋次郎はガレージに寝させたので一度も起こされることもなく熟睡できた。9時半から友人のKさんの家にお悔やみに行く。下のNさんも行くというので一緒に行った。あまりにも寒いので黒のセーターを出してきた。このセーターは去年編んだ。ここ数年冬に亡くなられるお年寄りが多く喪服だけでは寒いので編むことにした。時間がかかり手間取ったが、自分に合わせて編んでいるのでぴたっとする。叔父の葬儀の時にも着た。友人の家に行き亡くなったHさんの祭壇のお参りをする。彼は71歳、奥さんである友人も71歳、私の夫も71歳である。共通の友人であったので、驚かされた。心筋梗塞であったそうだ。でも彼女がもっと憔悴しているかと気がかりだったが、気丈にふるまっていた。少し話をして帰路に着いた。歳の近い人の死は私にも応える。100歳まで生きると豪語している夫が、やけにおとなしくなった。彼も答えているのだろう?

帰りにバッテラとてんぷらそばを食べた。

とんぼ帰り

2017年12月06日 | 日記
昼食時、3時過ぎから紋次郎を動物病院に連れて行くことに急遽決まる。2週間経ってどれぐらい進んでいるのか後の治療はどうすればいいかも相談することにした。佐々里峠を越えて4時過ぎに着いた。すぐに診てもらった。先生は紋次郎の足首の腫瘍を触ってびっくりされた。初診時、今にも壊れそうになっていた腫瘍が小さくなり堅くなっていたのだ。先生は「薬が良く効いているようです。このぐらいの大きさなら腫瘍だけ切除できます。薬が切れたらまた大きくなることもあります。紋ちゃんの年齢も考えて決めてください
」と言われた。当面は20日分の薬を飲ませ年明けに手術するかどうかを返事することにした。紋次郎は薬の影響もあってか、よく食べるようにもなった。カラーも時々外してもいいですとも言われた。紋次郎はどんなに喜ぶだろう?

それから近くの王将に行って夕食にした。夫は王将が大好きだ。あんかけ麺とギョウーザを頼んでいた。私は天津飯セットを頼んだが、半分以上残した。量が多すぎた。
鞍馬峠と佐々里峠を越えて6時過ぎに家に戻ってきた。とんぼ帰りの京都行きです。
最初に紋次郎のカラーをはずしてやった。紐も放したので大喜びで走り回っていた。

おお寒む。

2017年12月05日 | 日記
今朝もよく冷え込んだ。香港と台湾のお客さん「寒い。寒い」と言いながら、10時前に帰って行かれた。でも喜んでくれたので一安心した。それからいつものとおシーツ、枕カバーの洗濯。夕方までに乾いた。

昼前に丸大根を洗い、粗く刻み3%の塩で下漬けをした。水が早く上がればいいのだが。私の勘では12月が寒いので、おいしく漬かると思っているが。身欠き鰊は買った。あとは麹だけ買わなければならない。

午後は小浜の移動販売車の日で1時過ぎから4時前までコーヒータイム。一人減り二人減りで少しずつ寂しくなっていく。また勢子ガニを買う。私は上手に食べないので夫は「下手やなあ」というが、それもしやないなあ。寒いので実だくさんの豚汁も作った。紋次郎は7時過ぎからガレージの自分の部屋に帰った。今晩は熟睡できるかも。夜になってお月さんと星がまたたいている。明朝も冷え込みそうだ。

雪囲いまだできていません。母屋の半分くらいできたかなあ?

寒くなってきました。

2017年12月04日 | 日記
今朝もよく冷え込んだ。一日中家の中にいた。紋次郎もおとなしく寝ている。何も言わないのでわからないが、包帯をけるときだけ声を出す。今週末にももう一度病院に連れて行こう。

待っていてもお客さんが来ない。7時前にやっと来た。二家族5名でレンタカーでやってきた。大急ぎですき焼きと鶏の水炊きの準備をする。美味しいと言われて全部平らげてくださった。遅かった理由を尋ねると与謝郡伊根町まで行っていて、ここまでが遠く道も狭く鹿にも数頭あって怖かったとも言っていたが、いい家族のように見えた。明日は茅葺きの里を見学して京都で2泊するようだ。明日の朝食は8時半なので、あまり」せわしくない。

明日は鰊漬けの下漬けをしよう。あまり大きくなっていない丸大根を使う。私が食べないのであまり作りたくないが、私が小さい頃からお正月のお漬物は鰊漬けと決まっていた。亡くなった父の好物で、お正月の酒のあてにもなっていた。身欠き鰊と麹を使う。

今日の写真は池の上の柿の木です。これからは烏の餌に

雪囲い

2017年12月03日 | 日記
今朝はよく冷えた。氷も張っていたのでマイナス以下だったのでは。10時過ぎから茅葺きの母屋の雪囲いを夫が始めた。雪が降ってからでは、かえって手間がかかるので今日みたいにいい天気でやれば、はかどる。毎年1メートル近くの雪になるが、依然とくらべれば年々少なくなってきている。しかし雪囲いをしていないと茅葺き屋根から一気に落ちた雪はガラス窓や戸を壊してしまうほどの勢いがある。雪囲いさえしておけば、そこで止まる。落ち着いてから除雪すればいいのだ。屋根に積もった雪の重量はとてつもなく大きくなる。

私は数十年前に屋根から落ちてきた雪の下敷きになり、足が出せなくて足首を骨折した。複雑骨折で2カ月入院した。その時整形外科の先生が屋根の雪がお相撲三ぐらいの重量になると言われたのだ。足を抜こうとしても雪の重みで抜けなくて、子供たちに足の周囲の雪をのけてもらい足をだしたが、もう歩くことができなかった。それ以来私は雪は恐ろしいともおもっている。初雪のときでも、喜んで歩いて転び骨を骨折することが多いそうだ。

峠の10月桜

2017年12月02日 | 日記
なんとなく冬型の天気だ。昼前から佐々里峠に行く。雪が降ればすぐにこの峠は通行止めになる。標高700メートル近くあるので麓で5センチの時でも数10センチになる。原則として3月15日まで通れない。峠の頂上に1本の10月桜がある。雪で折れたり風で裂けたりしているが40年たっても咲いている。この40年は私の歴史と重なる。31歳で甲状腺癌になりそのご闘病生活がは始まった。毎月通院に通うときにこの桜は私に勇気をくれた。毎年11月ごろから寒風や雪の中で凛と咲く桜はすごいと思った。3月にももう一度咲くので3月下旬に会うと「よう、頑張ったなあ」と声をかけずにいられなく、自分も生きていることを再確認した。もう老木になり痛々しい姿ではあったが、今年も枝先に一杯花をつけてくれた。私はこの3月で70歳になる。この桜が先に倒れるか私が先かはわからない。ただ残り少ない人生を精一杯に生きなければと思い知らされた。

峠を越えて京都市になる友人家でテイタイム。もう春まで会えないかもと言ってきた。山はもう冬木立になっていた。