「プチット・マドレーヌ」は越えたので許してほしい

読んだ本の感想を主に書きますが、日記のようでもある。

八月に入り『失われた時を求めて』を少し読み進める

2024年08月02日 | 日記と読書
 八月に入り猛暑が続いている。ちょうど前回のブログを書いてから、色々予定が重なり今後も年末に向けて忙しく、なかなか落ち着いて文章を書いている時間が取れず、八月に突入してしまった。時間がない時ほど、時間の使い方がまずくなる典型である。

 読書としては、井上究一郎訳『失われた時を求めて』がやっと7巻に突入した。「ソドムとゴモラⅡ」を読み進めている。『失われた時を求めて』を読んでいると、やはり「近代」の「底」、それも「無-底」を観させられている気がして、その「無-底」がプルーストの場合、マルクスでいうところの「下部構造」となっているように読める。どうしようもなさと言おうか、アルベルチーヌとのやり取りを見ても、グダグダとどうでもいいことが延々と描かれており、このグズグズが「近代」を形作っているのだろう、というモチベーションで、僕はこの「物語」をどうにかこうにか読んでいるという状態を保っていると言えそうだ。そしてそのグズグズの中に、「ドレフュス事件」への登場人物たちの距離が見えるようにも書かれている。これが印象的だと思う。前に「泡沫候補」について書いたが、もしこの小説?に別名を付けるとしたら、「泡沫候補」なのかもしれない。最初「泡沫」と書こうとしたが、そういう「はかなさ」が言いたいのではなく、民主主義や資本主義、近代の「無-底」を書いている小説という意味では、その「底」に没落して「根拠」をなすテクストという意味で、『失われた時を求めて」はまさしく、最早取り戻せぬ、「失われた時」の時代としての「底」の時間性を、ある種の遂行的次元でテクストにした小説といえるのかもしれない。とにかく、このブログ自体のタイトルのきっかけともなったテクストなので、終わりまで読んでいくのだが、まだ今からかなりの「長篇」を読むくらいの分量が残っている。

 「パリ・オリンピック」が開催されているようだが、テレビをほとんど見なくなった関係上、オリンピックの競技もほぼ見ていない。どこかの待合室でテレビが流れているときなどに見かけるだけで、その時に一部の競技の結果を知る程度だ。そのような中でネット上ではオリンピックにおける「トランス女性」についての意見が、様々出されていた。特にSNS上の議論というのは、昨今は特に深まらないばかりか、自分たちにとって「適切」か「不適切」かの意見の応酬になって、「プロセス」として議論する過程がほとんど失われている。そこでいろいろ議論してもしょうがないと思いつつ、昔、若い人に「トランス女性」が、「女性競技」に出たら「不公平」だという議論を投げかけられたことがあるのを思い出した。

 その時のやり取りを約めて言うと、トランスジェンダーの存在論的問題を、そのような「不公平」感に還元することは間違っているし、そもそも「トランス」とは、そのようなルールを「なんでもあり」にするという「越境-トランス」の問題ではなく、また流行りの「ハック」のようものでも当然ありえず、その〈あなた〉の抱く仮定上の「不公平」感でトランスジェンダーに憎悪を向けるのは間違っているという話をした。僕自身は昔ここでも書いたように、「性」というのはジャック・デリダのいう「差延」のことだと思っているので、「性」自体が常に既に「トランス」な存在であるわけで、「男女」という二元論的性差さえも、「トランス」という遂行的次元を前提にしなければ成り立たないと思っている。二元論的「男女」も一方の「性」がもう一方の「性」に「トランス」できる可能性を排除したら、存在しなくなるのだ。そしてこのような一方の性からもう一方へという比喩的な表現は本来は正確ではなく、「性」それ自体がその中に必ず「移行」それ自体の可能性を憑依させていることが重要なのである。

 さて、その時はデリダのことまでは説明し切れなかったので、ある程度相手の話を引き受けて、少し「経済的」な問題で逆に質問をしてみた。仮に君のいう「不公平」感にある程度の説得力が宿るとして、例えばオリンピックの場合は、経済的に不利な地域、資本主義的に力が弱い国家からオリンピックに出てきている国の選手のことを、どう考えるのかを聞いた。

 メダルの個数を競争し、喜々としてネットに日本のマスコミまでもが記事を張り付けているわけだが、それを見ると恐らく特定の競技以外は、アフリカ大陸の諸国はメダル獲得という意味での成績は振るわないはずだ。メダルを多く獲得しているのは、ほとんど「列強」としての「先進国」であろう。このような「出来レース」としての「不公平」をどう考えるのか、という質問をしてみた。もしこれが「不公平」ならば、オリンピックの競技は、「国民=国家」別の区分ではなく、「所得」区分で競技をし、「所得」に応じてハンディキャップを設定することで、その結果を是正すべきではないか。とにかく「先進国」が「出来レース」的にメダルを取り、それを当然だと考えていること自体の「不公平」に、君も含めた多くの人が抗議しないのはなぜなのか、と。この「不公平」に抗議しずらいのは、経済的格差は「経済的競技」として公正にでき上がった秩序だからだという偏見から来ているのであろう。アフリカ大陸の諸国が「所得」の関係上、オリンピック競技で不利になるのは、自由主義経済的には資本主義経済という「公正な競技」の中ででき上がったものであり、「自然」なものだと考えられているからである。一方、「性」の「トランス」は「不自然」のものとして、「不公正」と見做されてしまう。しかし、ここに働く判断の恣意性こそ問題だろう、と。

 このような話をすると、議論の相手は一応納得をした。したものの、結局はどういう意味で納得したのかを本当の意味では確認できない。また、こういうまぜっかえしのような議論は根本的な議論にはなり得ない。やはりきちんと、資本主義批判から、フェミニズムの問題もオリンピックの問題も考えざるを得ないのだ。そしてその議論のプロセスで結論が出なかったとしても、話し合う必要がある。基本的人権を毀損する「不公正」を自然化しているそのシステムとしての資本主義を批判することなしに、オリンピックなど見ても無駄だろう。「国民=国家」別のメダル獲得数で何位になったと言い合っている状況では、「トランス」に対する差別も、「所得」による差別も自然化されてしまい、全く見えなくなってしまう。

 それにしても、SNSを見ていても近頃は自分たちに「適切」か「不適切」かという基準で、バッサリ何事も裁断している意見をよく見る。コンプライアンスを批判している人や、相当に知識がある人も、同じように自分にとって「適切」か「不適切」かという基準で事態を判断しているように見える。最早そこには、これまで積み重ねられてきた「表象批判」などなかったかのようである。その意味では、「不適切」を主題にしたドラマは、時代的だったのかもしれない。

東京都知事選挙について

2024年07月14日 | 日記
 東京都知事選挙が終わり一週間がたった。前回職場近くの候補者ポスター掲示板の話をして、職場附近の千代田区の掲示板には、「大御心」のおかげか、外山恒一のポスターを見かけなかった、と書いた翌日に外山のポスターが貼られており、勿論偶然だがさすがの組織力だと思った。


 前回も書いた通り、「泡沫候補」というものは存在しない。例えそれが稚拙かつばかばかしいと思われる候補者であったとしても、それ自体は有名な現職の首長や代議士の中にも、もっと愚かで破廉恥なものは存在するわけで、「泡沫候補」だけが特にばかばかしいわけではない。また、民主主義の「底」を試すために、あらゆる手段で名乗りを上げるという意味では、〈代表=代行〉というrepresentationのシステムについて、それが無意識であったとしても「泡沫候補」はまじめに考えている側面は必ずあるものである。その意味において、「残念」なことに、僕は外山のポスターが言うような形では選挙制度というrepresentationの制度は壊れていないと思っている。それ故、外山の行為はむしろラディカルに民主主義の「無-底」を見出す行為という意味で、とてもまっとうな民主主義的な行為といえるだろう。本人はおそらくそのことも含んで行為していると思われる。そして、前にも書いたように、近代民主主義はヘーゲルの論理学がいっているように、「没落」それ自体を「根拠」としているわけで、その語源的な意味で、外山の「立候補〈なき〉立候補」という行為は、ラディカルに〈代表=代行〉のシステムそれ自体に触れている。そして、外山以外の「泡沫」と呼ばれる候補者たちも、その意図はどうあれ、「ラディカル」な側面を持っている。その意味で「泡沫」は肯定されなければならない。勿論その原則を守ることこそが民主主義の鉄則のはずである。多くの得票を得られそうだと予測できるような、有名な立候補者だけが「まとも」だと考えるほうが頽廃だといえよう。それは多数派に安心するという別の意味での「無根拠」に依拠することになってしまうだろう。そしてこれも民主主義の「底」ではあるのだが……

 しかし選挙戦自体には全く興味がわかなかった。選挙には行ったが、投票した候補者は当選せず、結局は現職の強みで三選ということだ。ただ、選挙後はネット上だけ?かもしれないが、支援者たち?の見苦しい応酬があったのを見る羽目になった。特に話題になったのは二位の得票を得た石丸伸二候補で、蓮舫候補に「勝った」ということも話題になっていた。特に石丸候補には「若者」の投票が集中したようで、ネットのある部分では、「若者」に対する批判があったと思う。勿論「若者」も批判されるべきだと思うが、それは「若者」の先行世代(もちろん僕も含む)も批判されるべきで、特に「若者」だけが批判されるべきではない。同じように他の世代も批判されるべきだろう。

 小池百合子東京都知事は、関東大震災当時(1923年)の日本統治下の「朝鮮人」の「虐殺」を否認し、関東大震災で罹災した死者の追悼式典に「虐殺」に対する「追悼文」を知事として送ってこなかった。これは小池都知事だけの責任ではなく、2000年代初頭からの「自虐史観」や「反日」への忌避から、日本の歴史の「負」の側面を否認し、それを修正主義的に改変しようとする力が働いてきたことと、セットで考える必要がある。歴史という「解釈」の問題を逆手にとって、「保守派」(保守ではなく保守が批判すべき単なる資本主義者だと思うが)の議員たちの力を借りながら、10数年かけて関東大震災での「虐殺」をめぐる日本政府の歴史的責任の問題を曖昧にしてしまったのだ。問題なのは、それまで地道な聞き取り調査や実証的検証を積み重ねてきた多くの人々の「記録」と「記憶」によって支えられてきた「虐殺」という言葉を、言いにくくさせる、あるいは「虐殺」と発言することを憚らせるような「圧力」と、それに伴う「空気」を目に見える形で醸成してきたことだろう。このようなここ10数年間で醸成されてきた「圧力」と「空気」の余勢を駆って、小池東京都知事は「虐殺」を否認し、「追悼文」を送らないわけで、そのような「圧力」と「空気」による歴史改変を下支えしてきた世代が、「若者」を批判することはできない。このような10数年間にわたる不誠実な行為が歴史教育にも流れ込んでおり、そんな「歴史」を教わってきた「若者」も、本当はたまったものではないはずだ。一部を除けば、所謂「若者」はある程度教育が進むまでは、自分で歴史観やその学び方を選択できないのだから。そういう意味で、今回の選挙結果で「若者」だけを批判することはできない。批判されるとすれば、「若者」もその先行世代も同じく批判されるべきだろう。このような歴史の改変と、その他これまでの数々の政治家による文書の改竄や不法な破棄の中で、自己責任と競争と、服従という意味での新自由主義的コンプライアンスを刷り込まれれば、「若者」の投票行動も含めて、選挙の結果などこうなるに決まっているのである。そして、蓮舫候補を支持するか支持しないかに拘わらずここに付け加えるならば、小池東京都知事の関東大震災の「朝鮮人」への「虐殺」の否認という「圧力」と「空気」の問題は、主にネット上で目につく、蓮舫候補に対する「国籍」や「女性」としてのジェンダー・セクシュアリティに関わる差別的発言と無関係ではないと思っている。

 今回の選挙で蓮舫候補は、「リベラル」という形で支持されているようだが、それは「ネオリベラル」と区別できない形での「リベラル」と言える。ただ、より「まし」な「リベラル」として蓮舫候補を推すのは理解はできる。だが、それはあくまで資本主義のブルジョワ選挙という制限の内での「まし」である。やはり、資本主義批判と天皇制としての身分制批判、そういった民主主義の原則を明確に表明、明言する候補者や政治家が出なければ、結局はだれに投票しても同じとしかいえなくなる。政治や選挙は、勝負なんだから勝たなくては何も言えないというのは、ある一面の真理ではあるが、それでは結局有力者や多数派の方法を真似るしかないのであり、それだったら選挙など最早なくてもいいだろう。多数派が投票する選挙では多数派が勝つに決まっているからだ。そうなら、外山を含む「泡沫候補」の方が、民主主義の「無-底」、「没落」それ自体をラディカルになぞろうとするだけ「まし」であり、むしろ彼ら彼女らの方が、民主主義の限界を様々に見極めようとしているという意味で、一貫性があり誠実だといえる。ネットで見かけた意見で、選挙で当選するために有権者に好かれる必要があるというのがあったが、それでは民主主義は壊れるだろうし、結局は「圧力」や「空気」に服従するということになるだろう。選挙自体の意味がなくなるのである。だとすれば、むしろ「泡沫候補」こそが、逆説的にそのような多数派の不正に抗して選挙を守っているといえるのではないか。

「歴史修正映画『ゲバルトの杜』を徹底批判する」シンポジウムに行って来た

2024年07月08日 | 日記
 7月6日に「歴史修正映画『ゲバルトの杜』を徹底批判する」のシンポジウムに行って来た。新宿区角筈地域センターレクリエーションホールにおいて、14時半から19時まで、30分の休憩をはさみながら登壇者(絓秀実・菅孝行・大野左紀子・照山もみじ(金子亜由美))の議論と、会場の参加者との意見交換もあった。会場までは新宿駅から徒歩15分ほどの道のりで、茹だるような暑さであったが、シンポジウムが始まって二時間ほどたったところで、今度は会場内のマイクの声が聞こえないほどの雷雨となり、その激しい天候の移り変わりからも記憶に残る一日になったといえる。

 シンポジウムは4時間を超える議論にも拘らず散漫になることがなく、登壇者によって映画『ゲバルトの杜』に内在する基本的かつ根本的問題点があぶり出されたものであった。特に映画が「内ゲバ」という「事実」とはいえない言葉で、川口大三郎へのリンチという暴力を矮小化し、また、大学当局と革マル派による早稲田大学構内の管理コントロール、即ち生権力による統治の問題が映画では全く問われていないことがあらわにされた。川口に対する「鎮魂」や「内ゲバ」というレッテルによって、それらの統治の暴力が批判されないまま温存されてしまったのである。その統治の暴力としての、生権力が問われないこと自体が、「奥島総長」の賛美へと繋がってしまう。シンポジウムがいう映画『ゲバルトの杜』のおこなった「歴史修正」とは、この生権力による暴力それ自体が、川口への「内ゲバ」の暴力に焦点化する虚偽によって隠蔽されることを指す。この隠蔽には、川口への「鎮魂」というロマン主義的美学化の問題があるだろう。

 さて、休憩をはさんだ議論の第二部で質問者として意見を言ったのだが、内容としては、前回書いたブログ記事を主として、「川口への鎮魂をダシにして、映画製作者や演出家が自己正当化をおこない、権力側の生政治的暴力を隠蔽することに加担した、卑怯な内容だ」というようなことを発言した。時間の関係上手短に話さなくてはならなかったので割愛した内容があったので、少し以下に付け加えたい。

 川口へのリンチという暴力を批判し、そして川口の存在自体を〈肯定〉するためには、「追悼」や「鎮魂」ではなく、「革命」としての「暴力」への理論的そして存在論的な「肯定」が必要だと考える。それこそが大学と革マル、延いてはこの暴力を存分に行使している新自由主義的国家権力への批判にもなるだろう。「鎮魂」という制作者と演出家のノスタルジーが「スクリーン」となって、「内ゲバ」という偽の暴力をそこに映し出すことで、本当に露わにされるべき「暴力」は隠されてしまう。川口の存在を「肯定」するためには、そのような偽の暴力を映し出す「スクリーン」を引き裂く、「革命」の「暴力」を「肯定」する必要がある。その「暴力」とは、決してノスタルジーや「鎮魂」では祓うことのできない「暴力」である。それをジャック・ラカンは「享楽」と呼んだのであろうし、文学や芸術はまさしくその周りを廻っているはずなのだ。川口の死をダシにしたり、懐かしがってノスタルジーの対象とするのではなく、川口の事件を「革命」の「暴力」の「肯定」の問題として考えることが必要といえよう。いかにして「暴力」を「肯定」するのか。川口へのリンチとしての暴力を批判し、「革命」の「暴力」を肯定するという二律背反を経ることなしに、川口の事件を考えることはできない。それは不可能な「暴力」の問題として考えられなければならないのだ。登壇者の絓秀実は、川口の事件と共に山村政明(梁政明)の焼身自殺の問題を発言していたが、これも山村をどのように「肯定」するかの問題であるのだろう。生政治という「スクリーン」を引き裂く山村の存在を思考しなければならないと、絓は考えている。それは、このシンポジウムの翌日の日付でもある、〈7・7〉の「華青闘告発」の問題でもある。

 充実したシンポジウムで、映画の出演者であった幾人かの方と意見交換もでき、幾人かの参加者と朝まで議論することもできた。帰る方向が同じだった方と早朝の新宿を歩いて帰り、松屋で朝定食を食べて帰宅した。

東京都知事選挙の候補者ポスターの掲示板

2024年07月01日 | 日記
 東京都知事選挙の、特に選挙ポスター掲示板の使用法で盛り上がっている。ある候補者たちは、様々な「ハック」?やその「合法的」な利用法を競っており、みんな民主主義の懐の深さで戯れるのが好きなんだな、と思う。公職選挙法の範囲内でなら、できることはやっても良いというのは確かで、今のようなハック?的な利用方法に嫌気がさした人が、掲示板の使用を法で規制するよう求める動きを見せているが、それは絶対にやめた方がいい。民主主義はこのようなバカ騒ぎや低俗化自体を「根拠」として打ち立てられているシステムなので、このバカ騒ぎが気に入らないからといって、掲示板の使用規制などを求めていくと、政治への参加や民主主義自体が壊れてしまう。民主主義下の選挙はこの低俗化を受け入れなければならないし、民主主義自体を否定する候補者も選挙では平等に公平に扱われなければならない。そういう意味では、「泡沫候補」というのは本来存在しないわけである。民主主義はこの低俗化という地盤沈下自体が、ひとつの「根拠」なのだ。それは、ヘーゲルが『大論理学』の中で、「没落こそが根拠である」と、近代市民社会を弁証法で定義づけたことからもわかる。

 そういう意味で、最近話題になっている、17年前の東京都知事選における外山恒一の「政見放送」や選挙活動への注目も、この民主主義における「没落こそが根拠である」という問題から見なければならないものだ。外山自身のSNSでの活動と、その「啓蒙」によって徐々に誤解している人も減っているのかもしれないが、外山の選挙活動や「政見放送」は何か特異なものや常軌を逸しているものではなく、あるいはおふざけでもない。外山はメディアの取材に対して、自分のせいで選挙制度自体がぐずぐずになってしまって、と皮肉に語っていたと思う。それは近代という時代、それも民主主義が「没落」それ自体を「根拠」にしているということを、外山自身が選挙を通じて行為遂行的に上演したという意味に捉えるべきだろう。そういう意味では、外山の選挙というのは、ヘーゲル的な意味で、「没落」こそが「根拠」であるということを示すための場なのであって、近代と歴史の弁証法的運動の問題と捉える必要がある。「スクラップ・アンド・スクラップ」の同語反復とは、弁証法の運動それ自体ともいえよう。

 このようにヘーゲルと、それを踏まえた外山の行為遂行的な「没落」を根拠化する弁証法を踏まえても、今の選挙の「低俗化」と「裸」にでもなって民主主義の懐の深さ(「根拠」)を探ろうとしている候補者たちは、その「没落」(裸)こそが「根拠」となる地点を探している、といえるのかもしれない。実際のところは、この「没落」の「根拠」を有権者こそが認識しなければならないにもかかわらず、である。そういう意味では、裸になったりパントマイムをしながら民主主義の「没落」を「根拠」として探ろうとしている候補者たちは、現状、有権者よりもまっとうな行為をしているといってもいいのだろう。

 それよりも、大きな問題は、この選挙における民主主義のある意味での懐の深さ(「没落」という「根拠」)は、当選した知事や議員たちにこそむしろ適応されるのであって、当選した知事や議員たちはこの「没落」の「根拠」の中で、ある意味好き放題をし、権力を掌握して、現状の東京都及び日本を作ってきたわけである。もし、東京都知事選挙の「低俗化」やバカ騒ぎに対し危惧を覚えるなら、この「低俗化」とバカ騒ぎという「没落」の「根拠」の中で好き放題をしている現職の知事や議員たちに、その危惧を向けるべきではないだろうか。候補者たちを非難するのはお門違いだろう。民主主義が「没落」という「根拠」のもとに成り立っていることを都合よく解釈し、マジョリティのためのマジョリティによる選挙を無自覚におこなってきた有権者は、自らの「低俗化」をまずは自覚すべきだ。

 民主主義を構築する「没落」という「根拠」は、民主主義が民主主義であるための必須の要件である。それを規制したり、「泡沫候補」という名前で差別的待遇をしたり、注目されている候補者だけを報道したりするのは、そういう意味で反民主主義的といえる。それは政治を特権階級に独占させるきっかけを作ってしまうような危険にも繋がっていく。民主主義はそういう「没落」したクズのためのシステムであるはずなのだ。

 ただ、最初にいったように、候補者たちは公職選挙法の範囲内で、民主主義の懐の深さを確かめるように選挙戦を戦っており、そのような意味では、例外なく候補者たちは民主主義を好きになってしまっているようにも見える。はたしてそれでよいのだろうか。また、僕の家は繁華街に近い場所にあるが、すぐ近くのポスター掲示板は、様々なポスターや「枠を買った」という同一のポスターが無造作に張られ、「低俗化」した民主主義の「根拠」がむき出しになっている。しかし、職場は皇居に近い位置にあるのだが、職場附近の掲示板はきれいなもので、全く乱れていない。管見の範囲ではあるがやはり、皇室の御威光と大御心のおかげであろうか。

「劇団どくんご」の東京公演を観てきた

2024年06月23日 | 日記・エッセイ・コラム
 今日は「劇団どくんご」( http://www.dokungo.com/ )の東京公演を、小金井公園のいこいの広場に設営された特設テント劇場で観てきた。この劇団の存在はネットで見ていて、友人からも聞いていたが、僕自身演劇を見るということがほとんどなく、恥ずかしながら今まで「劇団どくんご」の芝居を観たことはなかった。ただ、友人から今年は全国ツアーをする予定があるというのを聴き、早速東京公演の予約をしたら運よく席が取れ、今日の観覧の運びとなった。小金井という場所には東京に住むようになって、実は初めて行った。田舎から東京に出てきて住んだところは、これまでほぼ山手線の内側だったので、東京は都市部の雰囲気しか知らない。自然が多く独特の区画で住宅地が並ぶ中を歩くと、何か都市部の秩序とは違った意味での「混沌」があるようで、少し不気味な雰囲気を感じなくもなかった。小金井公園に歩いていくと森がありそこを抜けると、いこいの広場に設営されたテントが見えた。
  

 いこいの広場に行くと既に列ができており、20分ほど待っていると開場となって、テント内の席に進んだ。観客はどんどん増えていき、最終的には客席(ベンチ)に座れる人数なのでもちろん限界はあるが、すし詰めに近い状態まで人が増えた。熱気がすごく、人と人とが触れ合う中での観劇は、自らの身体性を意識せねばならず、それはそれで劇空間とはそういうものだろうと思わされた。芝居は、そのような熱気と人々が触れ合う距離感の中、僕自身は体が大きい方なので少し縮こまってはいたが、あっという間の二時間であった。先ほども言ったように僕は観劇をほとんどせず、芝居などもほとんど見ないため、演劇についてきちんとしたことは言えないのであるが、「劇団どくんご」の芝居は、構成がすごくしっかりしており、様々なシチュエーションがアドリブを含んで輾転と変わるのだが、それをじっくりと考えたり笑ったりしながら見られる作りになっているのである。

 劇が始まる前に、俳優が「どくんごの劇には「意味」なんて読み取れない」というようなことを言い、それは「意味」に収束されない身体性や、ナンセンスなシチュエーションが上演されるということなのだが、しかし、「差異と反復」というべき演劇上の構成は確かにきちんと存在していた。僕の見た所、演劇は「記憶」における「身体」や「場所」の「差異と反復」がとにかく即興的に上演されているように見えた。そこでは「記憶」が常に「欠落」として現れ、俳優たちはその〈記憶=欠落〉の周りで体を反復して動かしたり、また言葉を反復させて、そこに差異を生じさせようとする。〈記憶=欠落〉こそが、身体や言葉の「差異と反復」を生み出し、そこに即興的であり無秩序でありながらも、しっかりとした身体と言葉の構成が創造される。そのような俳優たちの「差異と反復」がテント内で「波」のように押し寄せたり引いたりするところは爽快だった。そして、そのような寄せては引くような「波」の「差異と反復」は、今回の芝居にも登場しており、一つのテーマであったといえると思う。

 芝居の後半で、劇中に「物語の洪水」という比喩で、「物語」が流れていくシチュエーションが登場する。上にも書いたように、劇の最初に俳優が「どくんごの劇には「意味」なんて読み取れない」というようなことを言ったわけで、「物語」というのはその「意味」そのものではないかと言いたくなるのだが、しかし、ここでの「物語」というのは、〈記憶=欠落〉と同じで、「物語」自体の欠落、即ち〈物語=欠落〉の流れなのだ。「物語という欠落」の流れに身を投じた俳優たちは、入れ代わり立ち代わり、その〈記憶=欠落〉の中で新たな記憶と言葉と身体性を発明しようと、アドリブで言葉を繋いで反復させていく。そのような「物語という欠落」の流れをテント内に作り、それを奔流させようという試みは、やはりきちんとした劇の〈構成〉がなければできないものだな、と思いながら見ていた。また、その俳優の「差異と反復」の芝居は、入れ代わり立ち代わり舞台に登場するので、演技が終わった俳優は舞台袖で待機しており、その待機している俳優が、今舞台上で演じている俳優をどういう目で見ているのだろうと思いながら見てみると、これもまた大変色々な想像ができる。待機している俳優が、舞台上の俳優及びそのシチュエーションのパレルゴン(額縁)になっており、その絵画的というか映画的というか、そういう芝居の構造も興味深かった。と、ここで気づいたが、今回の劇の一番最初に俳優が演じた芝居のシチュエーションは、まさしく絵画についての芝居であり、絵画が〈記憶=欠落〉を表現して、それが記憶の混濁と無秩序と重なり合いながら、俳優も狂っていくように見えるものであった。やはり劇の構成は一貫性があり、しっかりしたものだと思わされる。

 友人に教えてもらい、「劇団どくんご」を見に行くことができてよかった。テントの中から出て、少し汗ばんだ体で小金井公園の真っ暗な森を抜けて帰るのは気持ちが良かった。

学費値上げ反対と「恐怖」の問題

2024年06月22日 | 日記・エッセイ・コラム
 ちょうど前回、映画の『ゲバルトの杜』と『レフト・アローン』の比較?を書いたのだが、それについて友人と話した。その話は、『ゲバルトの杜』への評価であって、友人とおおむね評価は一致したのであるが、その後帰宅すると、東京大学の学費値上げ反対闘争をしていた学生に対して、学内に大学当局が警察権力を介入させたということで、SNS上で批判がなされていた。それこそ『レフト・アローン』の中で発言されていたと思うが、大学が自治の問題において警察を介入させるのは、学生を含む大学の構成員に生命の危機がある緊急事態の場合のみではないか。そういう意味で、今回の総長団交後に警察権力を介入させたというのは、大学の自治や学問の自由を守る立場の大学の行為としては、非難されるべきだろう。

 それを見ながら、ちょうどその友人と映画との絡みで、東大の学費値上げ反対闘争の話になり、しかしそれ故その時点では東大への警察権力の介入は知らなかったが、その会話のなかで、僕は津村喬の『われらの内なる差別』(三一書房)の中にある「部落、沖縄、朝鮮があるから帝大がある」という言葉を思い出して話していた。津村は「管理社会」の構造として「企業・大学」の「〈異邦人〉」に対する差別構造を批判し、この言葉は『ゲバルトの杜』でも問題にするべきはずの、大学(「帝大」)という生政治的空間、生権力の支配構造への批判の中で記されたものであった。このことは現状の東京大学にいえることだろうし、「管理社会」のモデルとなっているほとんどの大学に当てはまることだろう。僕は友人に、この言葉は「天皇がいるから部落差別がある」という差別構造の問題とも相同的なものだともいえるし、大学の構造でいえば、「教員がいるから学費値上げがある」というべきなのかもしれないなというと、友人は「そうですよ」というと、教員は「天皇の側」にいるんだから、それをちゃんと自覚しなければならないと、批判した。本来ならば、学費値上げ反対闘争における「管理社会」の構造の問題は、学費に注目する場合、それは教職員の人件費の構造的な問題に行きつく。そこには当然、国からの補助金による支配なども全て含まれている。友人の言葉は、現状において大学から給料をもらって生活している、僕への批判にも当然繋がっているのである。

 そのため、この「天皇の側」に存在し、「管理社会」の構造自体を支える教職員が、学費値上げ反対闘争の学生に対峙した時の認識は、自分が飯を食べているこの給与の環境を変革されて倒されてしまうかもしれない、という恐怖になるのではあるまいか。そういう意味では学費値上げ反対闘争は、教員にとって恐怖の対象となるはずである。この「恐怖」を前提として、運動にどう接するかは、その教職員個々人の対応としか言えないが、だがそれでもその「恐怖」は拭い去れないし、「恐怖」なしでこの問題が解決できるというのは欺瞞になるだろう。仮に「天皇の側」にいる自分たちの生活や待遇はそのままで、何ものも変化しない中で学費も上がらないという状況を願うとしたら、それは要は何も変わらない、変えないための運動を支持するという、かつてスラヴォイ・ジジェクがいった、現状を変えないための運動という、倒錯の問題である。

 この「恐怖」の問題抜きには、おそらく運動はないはずだ。

『ゲバルトの杜』を観てきた

2024年06月17日 | 日記と読書
 映画『ゲバルトの杜』(代島治彦監督)を観てきた。以下雑駁な感想を無秩序に書いてみよう。

 川口大三郎の「鎮魂」という仄めかしが、出演者の口から数度出てくるのだが、仮に「鎮魂」がこの映画の何らかのテーマだとしたら、それは駄目だろうと思う。「鎮魂」はどれだけ慎重になろうとも、ノスタルジーを招き寄せるし、事件のご都合主義化を許してしまうからだ。「喪」はやはり失敗するものであり、その「失敗」こそ映画に現れなければならないはずだからである。しかし気になったのは、映画の中で川口が拉致され、激しいリンチでショック死するまでが、ある意味生々しく?上映されるのだが、それを見ていると、革マルの執拗なリンチに自然と素朴な「憎悪」が湧いてきてしまう。しかし、この僕の感じた「憎悪」こそが、「鎮魂」にも繋がっており、結局はこの事件をご都合主義化するのではないかと思った。この「憎悪」は逆説的に、リンチを理解可能なものとしてしまい、後に出演者たちが言う、「非暴力」の運動への正当化にも繋がっていく。

 原作?者でもある樋田毅は映画の中のインタビューで、当時は大学の中だけがセクト主義で無意味な暴力の応酬が繰り広げられ、大学の外は平和な日常があるのだから、大学内の運動もそれに準じて非暴力的であるべきだと、当時考えていたと話していた。大学内の運動の急進化と武装化が「一般学生」を離れさせたということになっているが、果たして大学の外が平和な日常だったのか。むしろ大学内の革マルと大学当局による生政治的共闘こそが、その後、管理コントロール社会のモデルとなっていたのであり、構造的には、大学の内も外も地続きだったはずである。川口のリンチへの〈鎮魂=憎悪〉と「非暴力」の運動という観念が、ここでこの生政治的支配の資本主義の構造を見えなくさせてしまっているように思う。樋田は、革マルが全国政権だったならば、機関銃でもバズーカでも持ち出して戦ったというが、革マルと大学の共闘的生政治は全国政権どころか、当時すでに資本主義的支配構造としてグローバルだったはずである。

 川口の一年後輩の吉岡由美子は、革マルが円の密集陣形になって、そこから竹竿を槍のように出して、外に向かって、恐らくウニやハリネズミのように外を威嚇してたことに「感動」しており、磁石で集まった人が「虫」のように、「万華鏡」のように見えたという。ファランクスの密集陣形のようなものだと思うが、ある意味では「戦争機械」のことでもあるだろう。吉岡はその革マルの統率力に「一般学生」は「かなわない」と思ったというが、この「戦争機械」の問題こそ、ドゥルーズ=ガタリと生政治の問題であり、革マルと大学当局の暴力と支配の問題であったと思う。この「戦争機械」の問題は掘り下げるべきだったのではないか。吉岡の抱いた「感動」の問題こそ、「鎮魂」では解釈できない「運動」の問題であろう。そういう意味では、今回の映画は、同じく早稲田の学館闘争を記録している、井土紀州監督の『LEFT ALONE』と比較すべきだとも思う。『レフト・アローン』には「非暴力」ではない、『Love マシーン』に乗って学生と踊りまくる絓秀実が映っていたはずである。そこには『Love マシーン』の「享楽」の端緒が映っていたように見える。樋田のいう「非暴力」でもない「鎮魂」でもない、運動の「享楽」の問題がある。「戦争機械」としての革マルの密集陣形とも違う「運動」の問題がそこにはあるのではないか。

 あと気になったのは、池上彰や鴻上尚史の語りが、少し「昔」を誇らしげに話していたことだ。そして学生役の俳優たちへの接し方が、かなり啓蒙的だったことだろう。俺たちが昔経験したことは、お前たちが考えている以上のことだ、というメッセージが暗に伝わって来て、これも何かを見えなくさせていると感じた。また、学生役の俳優が池上に、学生運動が現代に残している痕跡は何かと質問した時、教室の机と椅子が固定された、とバリケード防止のための措置を「軽口」というか、俳優の質問をはぐらかしをしたというべきだろうが、その池上の答えの瞬間、例えばテレビのバラエティ番組でスタッフが笑うことがあるが、あれと同じような年配の男性の声で、嘲笑とも賑やかしともいえるような笑いが一瞬入るのだが、嫌な気分になった。恐らくは、学生運動の痕跡などその程度のものだ、という意味での笑いだったのだろうが、そのような過小評価でよいのだろうか。先ほどの『レフト・アローン』との比較でいえば、西部邁が自分がトロツキストの党派にいるにもかかわらず、大学祭に来た学生の親から、トロツキーとはどういう人なのか聞かれた時、「悪魔のようなやつらしい」と応えて、友人からお前はトロツキストだぞ、とたしなめられたという話があったが、運動ってそういう「啓蒙」とは程遠い、勘違いの中で始まるものではないのだろうか。

 そういえば、映画の中で川口はリンチされている間、革マルから早稲田祭に反対しているだろうという非難をされていたが、それを見ると、前の記事でも書いた友人が、早稲田祭が中止になった時、革マルと大学当局の「共闘」で板挟みになっていたことが、思い起こされた。

 新左翼各派のヘルメットが染められている手ぬぐいを買った。つまりこういうことなのだ。

まだ『ゲバルトの杜』は観ていないが

2024年06月09日 | 日記
 映画『ゲバルトの杜』(代島治彦監督)はまだ見ていないが、『映画芸術』の絓秀実+亀田博+花咲政之輔による「映画批判」の座談会は読み、そしてこの映画の原作?となっている樋田毅『彼は早稲田で死んだ 大学構内リンチ殺人事件の永遠』(文芸春秋)は発売当初に読んでおり、ツイッターでは、何故か以前から「『ゲバルトの杜 ~彼は早稲田で死んだ~』公式」にフォローされて、不思議に思っていたが、ツイッターで花咲さんさんにフォローされているからかもしれない。ともかくも、映画は観ていないが、『映画芸術』の座談会を読み、そして樋田の本を読んだ時の感想は、その座談会が「批判」していたことと重なる部分があった。映画は近々見ておきたい。

 まだ映画は観ておらず、座談会と、原作?の樋田の著書を読んでの感想とはなるが、僕も一番違和感を覚えたのは、座談会の批判の一つの的となっている、映画と樋田の著書にある早稲田大学の「奥島総長」への「評価」だろう。僕自身は「奥島総長」が任期のど真ん中に学生であり、「革マル」の排除と大学の「浄化」、そして早稲田祭の中止を経験していた。僕の記憶では(記憶違いの可能性はある)、それまで大学は24時間、一日中出入り自由だったが、僕の入学前にどうやら、22時が閉門の時間になったようで、それへの学生の不満がくすぶる形で伝わっていたように思う。その頃、学生会館の革マルによる支配の排除が大学から宣言されており、早朝に大学に行くと、公安や機動隊が来ていて、学生会館に突入というのが何度もあった。マスクとサングラスで顔を覆い、帽子をかぶった公安が写真機片手に正門で写真を撮りまくっていたのは、「日常」といっても差し支えなかったと思う。

 それはともかく、大学に入ったばかりの僕は、教室中がビラで埋め尽くされ、講義開始前は必ず革マルの活動家が演説し、時には「当局」側の教員とつかみ合いの喧嘩になっているのは、これも「日常」であったが、怖いとかそういう違和感は持たなかった。大学というのはそういう所なのだろう、と漠然と思っていた。ただ、教室内にビラが散乱し、壁にはビラが重ね張りしてあるのが普通の環境だと、ビラを自分で作って撒くということに、全く抵抗感がなかったのは、良かったのかもしれない。僕自身は政治的にも学問的にも鋭敏な存在ではなかったが、革マルと大学の対立の中にいると、自然と政治的な話題が多くなり、その革マルと大学の対立問題について話の合う友人と、今思うと稚拙な自己主張の枠を出ないビラを作って、何度か撒いていた。政治的にも学問的にも鋭敏ではなかったが、ビラが教室中に撒き散らしてあって、壁にも張りまくられていると、ビラでも撒いてみるか、という気持ちには自然になって、僕と友人はビラを作って、革マルのビラ配りと鉢合わせになると厄介かもしれないと思って、校門が開くと一目散に校舎に入って、講義が始まる前の教室の机の上に無造作に置いていった。ビラの内容は原稿が残してあるが、「好意的に見れば」、資本主義批判にはなっていた、とは思う。

 友人とそのような何の目的かわからない内容のビラを作り、何度かビラまきをしていたある日、 警備員に止められて、「君たちの気持ちはわかるが、これからは撒けなくなるよ」と言われ、恐らく革マルに間違われたのかもしれないが、まだその時点では強い制止ではなかったが、ビラが撒けなくなりつつあるのを感じる状況が成立し始めたのである。それが「奥島総長」の革マル排除に伴う、大学の「浄化」であったのだ。勿論、大学というものは常に「浄化」されてきたものであるので、奥島以前が自由であったとは思わないが、ビラすら撒けなくなる大学の端緒は、このくらいの頃にあったのだろうと思う。友人と僕もその制止以来、気持ちが萎えたのか撒かなくなったと記憶する。それからビラの数が減り、構内のタテカンが減っていったように思う。しかし、それに対して僕らとは違って長く抵抗していた人たちは、勿論存在した。

 そのビラまきを一緒にした友人は、その後も大学当局による早稲田祭中止に抗議して活動をしていた。僕は直接それには関わっていなかったが、その友人とは議論をしていて、友人の立場が「つらい状態」になっていたことを知った。これは入学以来複数の教員が言っていたことだが、「革マルと大学当局」は裏では結託しており、大学の治安維持を共に図っていた、というのは公然の秘密だった。それは「当局」側の教員も発言していた。そしてその頃いわゆる68年世代の人に聞いても、当然の事実だということになっており、では何のために革マルを排除するのか学生の頃はよくわからなくなったが、その「排除」に「戦略」があったことは、大学における生権力や生政治の問題を考えれば理解でき、それは座談会でも語られているし、『ネオリベ化する公共圏』(明石書店)を見てもわかる。つまり友人は大学祭の継続と学生の自治による学祭の成立を主張したため、大学側からも恨まれ、そして革マル側からも追われるようになっていたのだった。要は大学は大学の自治というよりは、学祭を大学によってコントロールし、新自由主義的広報活動としてプロモートするつもりで、大学の学生による自治などは考えておらず、友人はそこで大学側とも対立し、革マル側から見れば、「味方」になるならばいいが、所謂革マルとは違う学生自治を唱える友人は、取り込むか排除するかのどちらかで対処しようとされていたのだろう。そして、大学による早稲田祭の中止は、早稲田祭からの革マルの排除(当時学祭は「パンフレットを購入する」という事実上の入場料制で、それが政治資金になっていた)ということになっていたが、所謂一般学生にとっても「ショック・ドクトリン」になっており、大学による「学生自治」(それが幻想であっても)の破壊と、その後の「更地」を新自由主義化するきっかけとなったのだといえる。

 友人とは学祭について議論はしていたが、徐々に会う機会が減り、友人は学生自治による学祭復活の立場として大学当局からも敵視され、革マルからも追われ、検証できるという意味での事実かどうかはともかく、電話の「盗聴」を疑っており、僕との電話も警戒していたのを覚えている。友人は次第に大学に来なくなり、最後に会ったのは、議論後に友人が大学はやめたといって去って行った時であった。その後学祭は「大学の学祭」となり広報活動の一環になったのではないかと思う。「奥島総長」はこのような僕のような、政治的にも学問的にも鋭敏でなかった個人的な学生生活の中でも、「ショック・ドクトリン」と新自由主義的大学経営と管理コントロールの生権力と結びつく。だから「奥島総長」による大学からの革マルの排除を樋田の本のように喜べないし、友人が学祭に関しては当局と革マルの「共闘」によって苦しんだのを見ると、絓秀実のいう大学の生政治と革マルの生政治が重なり合って大学を支配し続けているという主張の方が、リアリティがあるわけである。とにかく『ゲバルトの杜』を見て見ないことには。

 さて、読書記録をしておこう。『失われた時を求めて』は第6巻に突入。「ソドムとゴモラ」である。デリダの『ジャック・デリダ講義録 時を与えるⅡ』(藤本一勇訳、白水社)と『フィヒテ全集4』(隈元忠敬+阿部典子+藤沢賢一郎訳、晢書房 )の「初期知識学」を読んでいる。特にフィヒテ、これがヘーゲルの精神現象学の、ある意味での元ネタか、と思って読んでいる。

「文フリ」なのか「文学フリマ」なのか

2024年05月23日 | 日記
 「文学フリマ東京38」に同人仲間と参加してきた。出店者としては8回目になる。前にも書いた気がするが、文フリには第一回目に立ち寄っており、第二回目も行ったと記憶している。青山ブックセンターの文フリに行こうとしていたのか、たまたま青山ブックセンターを通りかかったのかは記憶が曖昧だが、佐藤友哉がいるところは人が集まっており、あとは文化祭の展示的な雰囲気で、作品が並べてあったと記憶する。ともかく、文化祭的な空間だと僕は思って周った。それから、人生山あり谷ありで、僕は文学などにかまっていられない生活が始まってからは、文フリには行く気にならず、「ゼロアカ」等はホームページで眺めている程度で知ってはいたが、文フリを秋葉原などの会場でやっていた頃は全く知らない。そこから考えると15年近く経過してから、出店者の一人となって、東京流通センターの会場を知ることになった。そういう意味では僕の中の文フリは、東京流通センターが象徴的な場所になっている。

 wikiで来場者数を眺めて見ると、僕が初めていった頃は1000人程度で、8年前に出店した時も3500人程度だったようだ。もう少しいた気がするが、そのくらいだったのだろう。そして今年の「文学フリマ東京38」は12000人以上が来場しているようで、8年前と比べると三倍以上の来場者となっている。東京以外の開催地を見ると、大阪や京都といった大都市圏では微増しているが、そうでないところは、増えているわけではない。東京に集中しているといっていいだろう。そして今年の東京での大きな変化は、これまで無料だった入場料を1000円にしたことと、2024年の秋の「文学フリマ東京」は東京ビッグサイトでおこなうようで、より大規模化していることだ。また「文学界」のブースが出たりと、個人的あるいは小規模の出版社だけではなく、大手の出版社も文フリに参入してきているのである。このような文フリの「市場化」に対して、市場から離れて文フリに作品を出品し、同人活動にプライドを持ってやってきた人は、違和感を感じている人が少なくなく、ツイッター上でも議論が交わされているのを見ることができる。

 文フリの、しかしながら東京や大都市圏に限定されるこの「盛況」さは、他のツイッターの呟きでもあったように、これ自体が文学や大手出版社の「衰退」の兆候である、というのは、僕もそのように理解する。特に大手出版社は、ある種の「市場化」から逃れようとした同人活動の「再領土(再市場)化」をおこなおうとしているのであり、コミケでの作家の青田買いのようなことを、以前からもやっていたのであろうが、文フリでもそれに本腰を入れてきたともいえるだろう。そういう意味では、「市場」の外部の内部化という、「再領土化」が文フリで起こり始めているということになる。しかもwikiで確認する範囲、新型コロナウィルス感染症の影響で中止になったり、来場者が減った後の、急激な来場者の増加と、この「再領土化」が軌を一にしていることからも、おそらく文学や出版に限らず「コロナ禍」は公共的なインフラの解体と、資本による「再領土化」の契機になっているはずで、文学も同様にある種のインフラが壊れ、それは出版社も書店も壊されてしまい、それを「再領土化」するために、文フリに集まる人々を新たな市場と見做し始めたということなのだろう。その証拠に、大都市圏以外の文フリは東京のようにはなっていない。むしろ大都市圏以外の「地方」は書店などの文化的な施設が、解体され続けているのが現状だろう。東京への一極集中が進んでいるのである。

 僕の場合、第一回、第二回の個人的に感じた「文化祭的」な文フリを称揚するほどの思い入れや、そのイメージを確証するような十分な同人活動経験を有しているともいえず、青山ブックセンター後は文フリにはほぼ関わらず、また8年前からの東京流通センターでの文フリしか知らないわけで、「市場化」を大局的に批判するような立ち位置を取ることができない。僕自身仲間と一緒に文フリに関わったのは、まだ10年もたっていないため、文フリの歴史を語るような、あるいは文学と資本主義の問題を語ることはできないし、現時点ではするつもりもないが、ただ今年は少し気になることがあった。それは、ツイッターでの「文学フリマ事務局」の公式アカウントの呟きである。去年もあったのかどうか検証はしていないが、「「文フリ」よりも「文学フリマ」表記のほうがわかりやすく、イベントの内容がイメージしやすくなります。」というように、ハッシュタグを「文フリ」ではなく、「文学フリマ」に誘導していたことである。僕は「文フリ」という略称は好きで、いい略称だと思うのだが、公式アカウントが「公式」を指定してきたわけである。これを読んだ時、真っ先に思い出したのは、新日本プロレスがツイッター上での「プロレス芸」という発言に抗議したことである。かいつまんで言うと、「プロレス(芸)」というのは、筋書きのある戦いであったり、真剣勝負ではない、という揶揄の意味でつかわれることもあり、その揶揄に対して、新日本プロレス側が、ファンや選手を代表して、その発言に抗議したものであった。僕自身は「プロレス」という言葉は、そういう「いかがわしさ」や「芸」を含んだ意味での「芸=art=技」でもあるので、むしろ誇りであるべきだと思うのだが、昨今の企業コンプライアンスや「イメージ」の問題で看過できなかったのだと予想される。

 プロレスから「いかがわしさ」や「ストーリー」をのぞいたら一体何が残るのかと思うが、企業イメージという資本が、それをクレンジングしようとするわけである。同じように「文フリ」を公式アカウントが「文学フリマ」に誘導するのもそういう企業的なイメージ戦略と資本や市場化によるクレンジングにはならないのだろうか。僕は個人的には「文フリ」という言葉は「学」が抜けており好きで、とってつけたようなものだが「フリ」は「振り」や「フリー」、「無料」のようないかがわしさや爽快さもあり、勿論それは「フリー」を「無料」や「自由」に読みかえてしまうといういかがわしさも含めて、「文フリ」という略称が好きである。しかし、「文フリ」ではイメージが湧きづらいので「文学フリマ」にするというこのイメージの浄化は、「公式」という企業コンプライアンスとガバナンスの強化ということなのだろうか。これは文フリが「企業」になるということの端緒なのではないか。

 文フリの市場化や大規模化は、資本主義社会では起こり得ることだし実際起こっているわけだが、そこでも特に僕は、「文フリ」を「文学フリマ」と言わせたい「公式」の欲望に、資本主義の市場によるイメージや表象の管理コントロールの問題を見てしまうのである。

『文学的絶対』を読了した

2024年05月13日 | 日記と読書
 『文学的絶対』(法政大学出版局)を読了した。そして本書を読む中で、ベンヤミンの『ドイツ・ロマン主義における芸術批評の概念』(ちくま学芸文庫)のロマン主義分析がいかに後世のロマン主義研究に影響力があり、またベンヤミンがその核心を分析していたのかもよくわかった。ナンシーの「無為の共同体」における「無為」がロマン主義に由来するものであるのも見当が付いた気がする。確か、ナンシーはラクー=ラバルトと一緒に『ナチ神話』(松籟社)を出していたと思うが、この分析もロマン主義分析と関わるものだと思う。また、ロマン主義者がdichtenの作用を「創作する」や「文学的な制作」だけではなく、「でっちあげる」という意味でも使っているが、このポイエーシスの作用は「文学的絶対」の作用でもあるが、前にも書いたように、これはフィクション論としてのファイヒンガーの『かのように(als ob)の哲学』とも重なるものだといえる。ファイヒンガーは「歴史」と「神話」を区別しようとするが、その区別を脱構築してしまうals ob の dichten の働きに注目していた。「歴史」は実証的であり、「神話」は創作的であるという、通俗的な区分はあるものの、「歴史」にも「神話」にも dichten としての「でっちあげ」の力は働いており、「歴史」と「神話」は als ob の地点で不分明となる。「歴史」を実証的に constative なレベルで認識するのではなく、「神話」に働いているような dichten の作用が、「歴史」をも performative に形作っている。この performative な力こそが、 dichten という「創作」でありながら「でっちあげ」でもあり、しかし、schaffen でもあり erfinden でもあるような「発明」の地平を開いている。ファイヒンガーはこの「発明」の力を als ob と呼んでいた。ファイヒンガーはこれをカントとニーチェの関係から分析していたはずで、このファイヒンガーの発想は、ロマン主義の「文学的絶対」の力を継承して形作ったフィクションの理論だったのだということが、改めて確認することができた。ロマン主義が「神話」を求めていたのはここに、 dichten としての「絶対」の力があったからだろう。

 そしてこの『文学的絶対』を読む中で、日本近代文学における絓秀実のロマン主義分析(批判)も、この本が翻訳される前に、かなり似た議論をしていたということも確認できた。絓は『日本近代文学の〈誕生〉』(太田出版)の中で、近代文学を「俗語」と「雑」という概念で分析するが、これはロマン主義の「断片性」とその「散文性」に相当する。絓は日本近代文学における「現前性」という「透明性」が、逆説的に「雑」によってなされるとするが、これこそがロマン主義の「イロニー」が存在して初めて成立する構造であり、この中心には dichten としての構想力の問題があるわけだ。もちろん絓は本書が翻訳されなくとも、ヘーゲルやデリダ、ベンヤミンの著作などを通してこの結論を導き出していたと思うのだが、この本が翻訳されたことで、その同時代性を確認することができてよかった。そういう意味で日本の文芸批評も、ナンシーやラクー=ラバルトたちと同じような時期に「文学的絶対」と対峙していたわけである。特にこれは1930年代の「日本浪曼派」の分析などにも有効だろう。

 ともかくも『文学的絶対』を読むうちに、分析の対象となっているロマン主義のテクストを読んでみたいと強く思わせられた。古本屋で買ったが、長い間読み止しになっているノヴァーリスの『花粉』とかもきちんと読もうか、と思う。またこれはまだ何の確証もない考えではあるが、「批評(性)」とはこの「断片」と「雑」それ自体のことだとするならば、今ちまちま読んでいる『失われた時を求めて』のテクストというのはものすごい「雑」であり、社交界なんて「雑」そのものであり、その意味で、プルーストはまさしく「批評」を書いたのだな、と思うようになった。ロマン主義をきちんと考えるきっかけとなった大著であった。