サテュロスの祭典

神話から着想を得た創作小説を掲載します。

兎神伝〜紅兎二部〜(6)

2022-02-02 00:06:00 | 兎神伝〜紅兎〜追想編
兎神伝

紅兎〜追想編〜

(6)菓子

愛の赤子は、由香里の腕の中で、いつの間にかスヤスヤ心地良さそうな寝息を立てていた。
何とも言えない、無防備で邪気のない寝顔。
別に何を言うでもなく、するでもないのに、この寝顔を見てるだけで、安らかな気持ちにさせられる。
加えて、赤子の柔らかで暖かな温もりと、全身から漂う乳の香りが、甘い微睡を誘いだす。
「気持ち良い…お姉ちゃんも眠くなってきちゃった。一緒に寝まちょうかねえ。」
由香里が赤子に頬擦りしながらクスクス笑うと…
「えっ?誰がお姉ちゃんだって?おばちゃんの間違いじゃーないのかな?」
こちらは、赤子と違ってまだ飲みたりないらしい竜也が、雪絵の胸襟に潜り込ませた手を蠢かしながら、丸くした目を由香里に向けて言った。
「何だって!」
忽ち、赤子と一緒に気持ちよさそうに微睡んでいた由香里が、眉にしわ寄せ、口をへの字にして顔をあげた。
すると…
「そーよねー。お姉ちゃんって言うのは、私のように若くて美人な女の子を言うのであって、どーみても痩せた狸にしか見えない年増さんは、お姉ちゃんじゃなくて、おばさんよねー。」
雪絵も竜也の頭を撫でたり、頬をすり寄せたりしながら言った。
「まあ!言ったわね!」
由香里が思わず頭から湯気出して立ち上がると、それまで由香里の腕の中で気持ちよさそうに微睡んでいた赤子が目を覚まし、「ホギャ、ホギャ、ホギャ…」と、ぐずつき出した。
「あっ…」
由香里が思わずしまった…と、言うように慌てて赤子をあやしだすと…
「あらあら、狸のおばちゃんに起こされちゃったの?かわいちょ、かわいちょ…」
雪絵が横から赤子をとりあげ、代わりにあやし始めた。
「本当、悪い狸のおばちゃんでちゅねー」
と、雪絵の腕に渡った赤子の顔を覗き込み、竜也もぷくぷくとした赤子の頬を指先で撫で出した。
次の刹那…
二人の頭上でポカポカと由香里の拳がなり…
「うわっ!」
「痛ったーい!」
竜也と雪絵は同時に肩を縮こませて、声をあげた。
「もう!何すんのよ!」
雪絵が、ギロッと由香里に目を剥いて振り向くと、腕の中の赤子が、また、「ホギャ、ホギャ…」とむずかりだした。
と…
「もう!みんな、いい加減にするでごじゃる!」
それまで、愛の着付けの仕上げに取り掛かりながら、皆のやりとりに苛立ちを見せていた朱理が、もう我慢ならんと言うように、(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾←こう言う顔して振り向き声をあげた。
「全く!せっかく眠りかけた赤ちゃん、起こしてどーするでごじゃるか!」
愛は、縦鏡に写る、雪絵の腕からひったくるように赤子を取り上げる朱理の姿を見てクスクス笑いながら…
「そう言えば、マサ兄ちゃんと茜姉ちゃん、今どうしてるの?」
思い出したように、皆の方を振り向いて言った。
「えっ?」
忽ち、皆も黙って顔を見合わせる。
「マサ君と茜ちゃんなら、厨房で料理番をしてるわよ。ねー、リュウ君。」
「あー、晩飯の仕上げなら、俺達に任せとけって、マサ兄が…」
雪絵と竜也が、ポカンとした顔して言った途端…
「何ですって!あの二人に、料理の仕上げを任せたですって…」
由香里は顔面蒼白になって立ち上がると…
「大変だ…あんた達!何て事をしてくれたのよ!」
またも、雪絵と竜也の頭を数発ずつぶん殴り、慌てて部屋を駆け出して行った。
「わあ!すっげーーーー!!!」
政樹は、目の前にズラリ並べられたお菓子の数々に、思わず感嘆の声をあげた。
「えっへん!どーだー、凄いポニョー!」
茜は、朱理の癖と物言いを真似て、鼻の下を擦りながら言うと、自らの自信作に満足げに何度も頷いてみせた。
金団にねりきり、おはぎに大福…
色取り取り、よくもこんなにと思われる程拵えたお菓子が、調理台一面にぎっしり並べられている。
どれも、様々な動物、小鳥、花、果物、人形、一つ一つ全て工夫を凝らして違う形をし、食べるのが勿体ないほど、綺麗に可愛く仕上がっている。
しかもこれ…
人参、南瓜、芋、茄子、蓮根、インゲン豆…全て、野菜を原材料に作ったのである。
「茜ちゃんは、本当…天才だよ。」
政樹が、改めてもう一度見渡してしみじみ言うと…
「まあ、それ程でも…あるポニョ。」
茜は、ニマッと笑った。
「でも、マサ兄ちゃんのも凄いポニョ。」
と、今度は、隣のテーブルいっぱいに並べられた、羊羹と琥珀羹を見渡して、茜が言った。
こちらも、やはり、芋と南瓜と人参を原材料にこしらえたものである。
「そ…そうかい?」
政樹が頭を掻きながら照れ笑いすると…
「うん!これ、すっごく美味しいポニョ~。」
茜は、人参で作られた琥珀羹を一つ頬張ると、目を三日月にし、両口元に大きな笑くぼをこしらえてニコニコ笑った。
背丈は、五尺六寸…社(やしろ)の白兎の中では、一番年下の愛に次いで長身な茜だが、大好きなお菓子を頬張り笑うと、もう十七歳なのが信じられない程幼く見える。
政樹の目尻が、思わず下がる。元来、鍛冶を特技とし、金物作りが大好きな彼が、何故かお菓子作りにはまってしまったのも、茜のこの顔見たさであった。
「さあ、もっとお食べ、いっぱいお食べ。お兄ちゃんが、食べさせてやるぞ。」
言うなり、政樹は、懐紙に羊羹を一つ取り、菓子切りで小さく切り…
「茜ちゃん、はい、アーンして…」
茜の口元に運んで行く。
「アーン…」
茜は、燕の雛のように、大きく口を開け、菓子切りに刺された羊羹をモグモグ食べ始めた。
「どう?美味いか?」
「うん!」
茜は、忽ち、目を三日月にし、両口元に大きな笑くぼをこしらえて、大きく頷いた。
『可愛い…』
政樹の目尻は一段と下がり、鼻の下が伸び出した。
背丈で言えば、政樹の方が一寸半高いかどうかの違いでしかない。でも、甘いものを食べてる時の茜を見てると、自分と二歳しか違わないのが、何か信じられない気がする。
正直…赤兎になる前から、マセた顔していた愛より幼く見える。
最も…それを言えば、茜より一つ年上だった早苗は、もっと幼く見えたが…
「ねえ、マサ兄ちゃんも食べない?」
「えっ?良いの?」
「うん。」
羊羹と琥珀羹を十分堪能した茜は、今度は自分の自信作を政樹に勧めた。
「ねえ、どれ食べたい?」
言われて、政樹は迷い出す。
「この蓮が良い?コケシが良い?リスが良い?桜ん坊が良い?」
次々に勧められる練り切り、金団、おはぎに大福…
どれを見ても涎物で、政樹は舌舐めずりしながら、迷いに迷った。
「サナ姉ちゃんだったら、きっとこれね…」
茜が、雪兎を象る大福を指差せば…
「いやいや、サナちゃんなら、絶対、こっちだろう…」
政樹は楓を象る練り切りを手に乗せて言い…
「これは、食べちゃ可哀想だって言って、誰にも食べさせないだろうね…」
「でもって、無神経なタカ兄がガツガツ食って、サナちゃん大泣きさせて、アッちゃんが激怒すると…」
スヤスヤ寝息の聞こえてきそうな赤ん坊を象る金団を二人で指差して、ゲラゲラ笑った。
しかし…
やっぱり、どれも綺麗で、可愛くて、美味しそうで選べない。
「ねえ、どれが良い?桜の花に、梅の花…雀に、子犬に、子猫…どれも美味しいよ。」
「いや、わかってるさ…どれも美味いに決まってるのはよくわかる。だからこそ、迷うんだよ。」
政樹が腕組みして言うと…
「それじゃあさ…飛び切り甘くて美味しいのにする?」
茜は、両手を捻り組んで伸ばし、思い切り肩を窄めて、政樹に擦り寄った。
「飛び切り甘くて美味しい奴?」
政樹が振り向き問い返すと、茜は、また目を三日月にし、口元に大きな笑くぼを作りながら、自分の鼻先をちょちょんと指先で小突いて見せた。
「なーるほど…」
政樹は、忽ち目尻を下げ、思い切り鼻の下を伸ばしきって、ニンマリ笑った。
「これは、飛び切り甘くてうまそうだ。」
茜は、政樹の腕に身をまかせると、静かな目を閉じ、唇を突き出した。
政樹は、優しくその唇を吸いながら、羊羹と琥珀羹を食べたばかりの舌先に、自分の舌先を絡ませる。
これは甘い…
確かに甘い…
どんな菓子より飛び切り甘い…
やっぱり、こっちの菓子を選んで正解だったとしみじみ思う。
「茜ちゃん、また、大きくなったね。もう、すっかり大人だね。」
政樹は、茜の胸に手を這わせながら、一瞬、重ねた唇を離して言う。
「それ程でも…あるポニョ。だって、もう十七だポニョ。」
「そうか、十七か…それじゃあ、雪姉とどっちが大きいかな?」
「さあ、どっちかな?自分の目で見て確かめるポニョ~。」
茜はそう言って、また静かに目を瞑り、我が身を政樹に委ねると、政樹も、また優しく唇を重ねながら、茜の胸元に手を忍ばせて片肌脱がせた。
早熟で、十三の頃には大人顔負けに豊乳であった雪絵に、凡そ比べようのない小ぶりで可愛い乳房が、政樹の掌に包み込まれた。
「ア…アン…アーン…」
茜は、政樹に優しく乳房を揉まれ、乳首を吸われ、甘えるような声をあげながら…
幸せだな…
夢みたい…
前の宮司(みやつかさ)だった頃。
恋だの愛だの夢見るどころか想像すらできなかった中、和幸に一途な思いを寄せる智子に憧れていた日々を思い出す。
男色家で知られ、和幸に懸想していた前任の眞悟宮司(しんごのみやつかさ)は、和幸と親しくする赤兎や白兎を見ると激しく嫉妬して虐め抜いていた。
和幸は、その事を知ると、赤兎や白兎達から距離を置き、智子には特に冷たく当たるようになった。
智子が、和幸と誰もが認める恋仲の関係である事を知り、特に虐め抜こうとしたからである。
当初、和幸が自分を嫌いになったのだと思い、和幸の存在だけが生きる支えであった智子は、打ちひしがれていた。しかし、そうではない。智子を守る為に、宮司(みやつかさ)の稚児になり、智子に冷たく当たっている事を知ると、実に大胆な態度に出た。
『私は、カズちゃんが好き!誰が何と言おうとカズちゃんが好き!誰に何を言われても、何をされても構わない!何も怖くない!カズちゃんが大好き!』
そう叫ぶなり、眞悟宮司(しんごのみやつかさ)の前で、全裸になって和幸に抱きつき、思い切り唇を重ねたのである。
これを見て、良いな…と、思った。
自分も、いつかこんな風に心寄せる人に、思いを打ち明けられたら良いなと思った。
あの頃から、茜は政樹が好きだった。
政樹に抱かれている時、他の男達に抱かれている時にはない温もりと安らぎを感じていた。
しかし、その思いを伝える術を知らなかった。
恋人として、特定の男と関係を結ぶ術も知らなかった。
求められれば、誰にでも身体を開く。
神饌共食祭の田打や穂供(そなえ)…
命じられるままに誰とでも肌を重ねる。
数多の男達が、茜の参道を通り、中にある御祭神に向けて白穂を放った。
茜の想いとは裏腹に、政樹にはその中の一人としか見做されてなかった。
政樹は他の男達と違う、特別な存在…
その想いをどう消化し、どう言葉や行動に移せば良いかわからなかった。
それに…
幼くして社(やしろ)に兎幣され、痛めつけられてきた茜は、長い間、まともに言葉を発する事が出来ず…
『ポヤポヤ…』
『ポニョポニョ…』
と、意味不明な声を発する事しか出来なかったのである。
そんな中…
『ポニョ、ポニョ…ポヤ、ポヤ…』
その日も意味不明の声を発しながら、御贄倉の座敷部屋で泣いていると…
『お腹空かしてるんだろう。』
そう言って、お菓子の入った包みを差し出して来る少年がいた。
『おまえが、そんな風に声を出してる時は、腹空かせてるんだって、ユカ姉とトモ姉が言ってたから…』
そう言って、歯を出して笑いかけてきた少年が、政樹であった。
『俺、カズ兄の真似して、美唯二郎(びいじろう)様を誘ってみたんだよ。そうしたら、欲しい物が貰えた。まあ、カズ兄と違ってこの面だ、大したもん貰えたなかったけどな。』
『ポニョ~…』
『ああ、知ってるよ。おまえ、甘い物が好きなんだろう?だから、これを貰ってきたんだよ。』
『ポヤポヤ…』
『良いよ、礼なんて。俺、おまえが喜ぶ顔が見たかっただけ何だからな。』
『ポ~ヤ~』
『好き?俺が?ありがとう。俺も好きだぜ、おまえ、可愛いもんな。』
茜は、忽ち両の眼を涙に潤ませた。
お菓子が貰えたからではない。
茜の発する意味不明の声を聞き分け、何を言いたいのか理解してくれた事が嬉しかったのである。
それから、政樹は度々、茜の側に寄ってきては、お菓子の包みを握らせた。お菓子を握らせてやるだけでなく、何かと世話を焼いてやったりもした。
『一緒に寝よう、暖ったかいぜ。』
そう言って、自分の寝床に包んでやったりもした。
政樹からすると、好き…とか、恋してる…とかではなく、まともに話せない茜が気になり放っておけなかったのが本当のところであった。
しかし、茜は政樹の事をどんどん好きになっていた。
その気持ちをうまく伝えられず、いつも政樹の腕の中で涙ぐんでいた。
そこで、政樹が布団に包んでやろうとすると、茜は徐に着物を脱ぎ、まだ真っ平な胸と萌芽の兆しもない神門(みと)のワレメに、政樹の手を導いた。
『へへへ、良いんか?ありがとうな。』
政樹は、遠慮なく、茜を抱いた。
特別な気持ちがあっての事ではなかった。
ここではそれが普通だっただけの事であった。
しかし、茜は肌を重ねる度に、政樹への思いを更に募らせて行った。
茜は、政樹に抱かれた後、揉まれた乳房、吸われた乳首、溢れる程白穂を放たれ、まだ濡れている神門(みと)のワレメを撫で回しては、いつまでもニコニコ笑っていた。
政樹の匂いと温もりが残っているのが嬉しくて、濡れた神門(みと)のワレメを懐紙で拭おうともしなかった。
そして…
和幸と智子が、肩を寄せ合い抱き合うのを、側でじっと見つめていた。
二人の姿を見つめ、政樹とあんな風になりたいな…そう思いながら、また、いつも政樹に愛撫される乳房や、白穂を放たれる神門(みと)のワレメを撫で回していた。
『茜ちゃんは、マサちゃんが好きなんだねえ。』
政樹に抱かれた後、茜がいつまでも乳房や神門(みと)のワレメを撫で回し続けていると、そう言ってきたのは、由香里であった。
『たぶん…自分では気付いてないんだろうけどね、マサちゃんも同じだと思うよ。』
『ポーニョ…?』
『本当だともさ。でも、身体(からだ)開いて抱かれるだけじゃ、ちゃんと気持ちは伝わらないよ。』
『ポヤ~…』
『そうね…茜ちゃんには、他に気持ちの伝え方、わからないものね…』
『ポヤポヤ…』
『まず…言葉の練習、してみようか。沢山の言葉でなくて良いわ。ほんの一言か二言、本当に大切な思い、気持ちを伝えるようになれれば良いよ。』
そして、茜は由香里と二人だけになると、言葉の練習をした。
必死に練習をした。
言葉の意味を理解してないわけではない。
相手の話す事は全て理解してるし、頭の中では、その言葉を発してるつもりでいる。
しかし、実際に口から出て来るのは…
『ポヤポヤ…』
『ポニョポニョ…』
でしかなかった。
茜は、頭の中で言おうとする言葉が、どうしても口から出てこなくて、いつも泣いてばかりであった。
由香里は、根気よく教えた。
二人で過ごせる時間は、ほんの少ししかなかった。にもかかわらず、焦る事も苛立つ事もなく、一言一言噛み砕くようにして教えた。
そこで思いついたのが…
『食べるポニョ…』
『寝るポニョ…』
『起きるポニョ….』
と、言う具合に、言葉の語尾に、茜の発する声を繋げる事であった。
これがうまく行き、茜は少しずつ、言葉を発する事ができるようになった。
そして…
『マサ…兄ちゃん…』
ある夜…
いつものように、政樹に抱かれた後、茜は必死に声を振り絞って、最初の言葉を発した。
『茜ちゃん…今、何て?』
『マサ…兄ちゃん…好きポニョ…愛してるポニョ…』
『おまえ、話せるのか!』
思わず声を上げる政樹に、茜は大きく頷いて見せた。
『練習…したポニョ…マサ…兄ちゃん…気持ち…伝えたくて…』
『そうだったのか…』
『好きポニョ…愛してるポニョ…』
茜が満面の笑みを浮かべて言った。
『俺もだよ、茜ちゃん。俺も茜ちゃんが好きだよ、大好きだよ。俺の為に…俺の為に…言葉を…嬉しいよ…』
政樹は感涙しながら言うと、茜を思い切り抱きしめた。
そしてまた…
茜は、肩を寄せ合う和幸と智子の姿を見つめた。
眞悟宮司(しんごのみやつかさ)の前で、和幸への想いを告げて以来、智子への凄惨な虐めは苛烈を極めた。
しかし、どんなに虐められても、智子の和幸に対する一途な想いは変わらなかった。
智子は、何処までも、和幸に対する思いを貫き通し続けた。
茜は、そんな智子の姿を見る度に思った。
自分も、政樹に対する思いを貫きたいと…
とことん貫き通してゆくのだと…
その思いが、今、現実のものとなっているのである。
「マサ兄ちゃん、好きポニョ~。誰が何と言おうと、大好きだポニョ~。誰になんと言われても、されても構わないポニョ~。何も怖くないポニョ~。マサ兄ちゃん、愛してるポニョ~。」
茜は、頭の中で、完全にあの時の智子になりきると、声を上げて言いながら、自らもう片肌も脱ぎ、両乳房をむき出しに、政樹の首に抱きついた。
「おいおい、茜ちゃん!どうした、茜ちゃん!」
慌てて叫ぶ政樹は、勢いあまって、思い切りドシンと尻餅をついた。
その時…
「あーら、素敵な純愛ねー、涙が溢れそう!」
二人の頭の上から、つっけんどんな声がした。
「あっ…!」
「ユカ姉ちゃん…!」
二人が見上げると、眉に皺寄せ、口をへの字に曲げた由香里が、鬼の形相で腕組みをしていた。
「フーン、本当、どーれもとっても可愛くて美味しそうねー。」
今度は、二つの調理台いっぱいに並べられた彩り豊かなお菓子を見渡しながら、益々鬼の形相で吐き捨てるように言った。
「で…私は、今夜の素麺のおかずに、天麩羅を揚げて欲しいって、お願いしたわよ…ネッ!」
政樹と茜は、互いに顔を見合わせた後、ニッと笑って、頭を掻き出した。
「用意した野菜、一個も無くなってるんだけど、天麩羅はいったい、何処にあるのかし…ラッ!」
由香里は、ギロッと睨みつけると、ポカポカッと、政樹と茜の頭を殴りつけた。
「痛ってぇーーー!!!」
「痛ったいポニョ~!!!」
政樹と茜が、思わず頭を抑えて蹲ると、『こんなもんじゃ済まないわ!』と言いたげに、由香里は更に鬼の形相で睨み据えた。
その後ろから…
「あっちゃーーー!こいつは酷え!」
「ありゃりゃー!お野菜もさることながら…お祝い用に買っておいた高級砂糖に水飴が、ぜーんぶなくなってるわー!たーいへん!たーいへん!」
「餅米全滅!寒天壊滅!愛ちゃん、親社(おやしろ)様達が帰ってこられたら、ご馳走食べるの楽しみにしてたのになー!これじゃあ、結婚祝いと赤ちゃん誕生祝い、湯漬けかお粥でやるしかなくなりそーだー!」
更に、どう聞いても、由香里の怒りを煽り立てたいとしか思えぬ、何処かおちゃらけた声が聞こえてきた。
「どーしよー、どーしよー。」
「あらら、どーしましょー。」
その声に、笑いが混じってくると、由香里の表情は、更に更に険しくなっていった。
「だからさー、愛ちゃんのおめかし見に行く時、おいら達を残しておけば良かったのさー。」
「そーよ、そーよ。今夜のおめかし、赤ちゃんにも早く見せてあげようとか言うからさー。
この子達を二人きりにしておいたら、こーなる事くらいわかりきってるじゃなーい。」
「おいら達を残しておけばさー、今頃、お菓子の代わりに、天ぷらが調理台いっぱいに並んでたのにさ。ねー、ユキ姉。」
「ねー、リュウ君。」
竜也と雪絵が、由香里の両手がワナワナ震えだすのを見て、益々面白がるように言うと…
「うるさーーーーーい!!!!」
由香里は、まさしく、文字通り、赤鬼そのもののような形相で、顔を真っ赤に怒鳴り声をはりあげた。
「この子達を置いて行くだけでもこの有様なのに、あんた達まで置いて行ったら…天麩羅がお菓子に化けるどころか、素麺まで綺麗になくなってるでしょうが!!!!」
竜也と雪絵は、まるで打ち合わせでもしたように、ぴったり呼吸合わせて、同じ万歳の仕草すると…
「ヒャーッ!」
と、戯けた声をあげ…
「ユキ姉、ユカ姉が怒ったー!怖いよー、怖いよー!」
竜也が、わざとらしく雪絵の豊かな胸に顔を埋め…
「よしよし、大丈夫、大丈夫。リュウ君の事は、お姉ちゃんがいつだって守ってあげるんだからね。」
雪絵も、これまたわざとらしく竜也を抱きしめて、頭を撫で撫でしてやった。
で…
よく見れば、竜也はどさくさに紛れて、雪絵の豊かな胸を撫で回し、雪絵は、竜也の手をさりげなく胸元に導き、頬をすりすりさせている。
でもって…
前では…
「マサ兄ちゃん、ユカ姉ちゃんが怒ったポニョ~。私、お仕置きされるポニョ~。」
と、茜が政樹の胸に顔を埋めて、臭い芝居で泣き真似し…
「大丈夫、大丈夫、茜ちゃんには、マサ兄がついてるぞ。」
政樹はしっかり茜を抱きしめながら、頭ではなく尻を撫で撫でしてやっている。
よーするに、前でも後ろでも、由香里に怒られたと怯える振りにかこつけて、後ろではイチャイチャ、前ではベタベタ、お暑い光景が広がっているのである。
「どいつもこいつも、もう!」
由香里は、腕組みして、どんどんと床を踏み鳴らすと、眉の間には大きな草を生やし、口はへの字から矢印の上向きに変化していた。
すると、不意に…
お菓子の並ぶ調理台の向こうから、可愛いおかっぱ頭が、ぴょこんと飛び出して…
「わあ!カーイー!美味ちちょー!」
小さな女の子は、テーブルいっぱいに並ぶお菓子に目をキラキラさせ…
「いっただっきまーーーちゅ。」
元気良く言って、嬉しそうに片っ端からお菓子をモグモグ食べ始めた。
「うわっ!何だ、この子は!」
「あーっ!せっかくのお菓子がーーーーーー!!!」
政樹と茜が気づき慌てた時にはもう遅く…
「ハーシ、ハーシ、美味ちいねー。」
女の子は、何故か菓子切りではなく、お箸を上手に使って、既にお菓子を半分近く平らげてしまっていた。
一同、何が起きたのかさっぱり理解できぬ様にポカンとしていると…
「おいおい!希美ちゃん、勝手に食べちゃ駄目じゃないか!」
シュワッと言う、天麩羅を揚げる良い音と同時に、男にしては高音清涼な声が聞こえて来た。
「カズちゃん!」
「カズ兄ちゃん!」
皆は一斉に振り向くと、思わず同時に歓声をあげた。
智子を連れて社(やしろ)を去り、一年ぶりになるだろうか?
かつて以上に、男離れした美しさを増した和幸が、手際よく天麩羅をあげながら、口の周りを餡子だらけにし、次の大福に箸を伸ばす女の子に、『メッ!』をした顔を向けていた。
すると、女の子は…
「いただきまちゅ、言えたよ…いただきまちゅ、言えたよ…」
それまで、上機嫌にお菓子を頬張っていた希美は、忽ち涙腺が緩みだしたかと思うと、ベソをかき始め…
「いただきまちゅ、言えたよー!いただきまちゅ、言えたよー!」
と、蓄音機の様に同じ言葉を続けながら、声を上げて大泣きし始めた。
そこへ、今度は菜穂が飛び込んで来ると…
「もう!お父さん、怒るなんて酷いじゃない!この子、ちゃんと、いただきます言えたのに、何で怒るのよ!」
由香里のミニチュアの様に、眉に皺を寄せて、和幸に食ってかかったかと思うと、益々声を上げて大泣きする希美を抱き上げあやし始めた。
「でも、ナッちゃん!」
和幸もここで引かず…
「食べて良いかどうか聞きもせず、始めてやってきた家のものを、いきなり食べるのは良くないだろう!こう言う事は、最初にきっちり叱っておかないと、この子の為に良くないだろう!」
皆が良く知る、穏やかで上品な笑みを絶やさず、誰にでも優しい和幸から想像もつかぬ声を上げて、大いに菜穂に反論していた。
「でも、この子、やっとお箸で食べて、いただきますとご馳走さまを覚えたのよ!後の事は、これからゆっくり教えてあげれば良いじゃない!大きくなるまで時間はたっぷりあるんだから、急いで何でも教える必要ないじゃない!」
菜穂もまた、以前のお淑やかで大人しい彼女と打って変わって、益々いきり立ったようにまくし立てた。
「ねえ、希美ちゃん。ちゃんと言えたんだもんね。いただきます、ちゃーんと言えたんだもんねー。偉い偉い。」
皆は、相変わらず、何が何だかさっぱりわからないと言う風に、和幸と菜穂を交互に見ながら、ポカンとし続けた。
睨み合う二人の間には、かつての誰もが羨む睦まじさからは想像もつかないくらい、未だ火花が飛び散っている。
私が入ってきたのは、丁度、そんな時だった。
「希美ちゃん、ここでも、ちゃーんと、頂きますの挨拶できたんだね。偉いぞ。」
菜穂の胸に顔を埋めて、まだ泣いている希美は、私の顔を見るなり…
「いただきまちゅ、言えたよ。いただきまちゅ、言えたよ。」
また、同じ言葉を繰り返していた。
「そうだね、ちゃんと言えて、偉かったぞ。」
私が答えて言うと、希美はごく自然に私に手を広げ、菜穂の胸から私の胸に移ってきた。
拾里から鱶見本社領(ふかみのもとつやしろのかなめ)まで、ずっと私がおぶってきたのが効いたのだろうか…
今では、和幸と菜穂と同じくらい、すんなり抱かれるようになり…
嬉しい事に、風呂にも一緒に入ってくれるようになった。
最も…
その分、オネショやお漏らしをしてしまった時の対応を、和幸と菜穂に上手に押し付けられるようにもなったのだが…
「爺じ、いただきまちゅ、言えるようになって、偉い偉いねー。」
「うん、偉い偉い。」
私が、頬を撫でながら言うと…
「偉いねー、いただきまちゅ言えて、偉いねー。」
希美は、言いながら、漸くいつものように、ケラケラ笑い声をあげた。
「でも、初めてのお家でものを食べる時は、ちゃんと、『食べても良い?』って、聞くんだぞ。」
私が、希美の鼻先を指先で小突きながら言うと…
「食べても…良い?」
希美は、首を傾げて言った。
「そうだ、『食べても良い?』って、こっちのお兄ちゃんとお姉ちゃんに、聞くんだ。
さあ、言ってみようか?」
「うん。」
希美は、大きく頷くと…
「食べても…良い?」
希美は、遅ればせながら、政樹と茜に向かって言った。
政樹と茜は、まだ何が何だかさっぱりわからないと言うように、目をパチクリさせながら…
「うん、良いよ…」
「でも、もう、殆ど食べちゃたから、残ってないポニョ…」
と、機械的に言った。
ちなみに、二人宜しくやりかけてるのを、由香里に中断され、雪絵が現れた今となっては、とても豊乳とは言えない乳房丸出しの茜は、この時、漸く政樹に手伝って貰いながら着物を着直した。
一同…
和幸と菜穂の間に、まだ気まずい空気が漂ってるのもあってか…
やはり、まだポカンとした顔をして、シーンと静まり返っている。
しかし…
私の後を追うように、一人の男が入ってくると…
「里一さん…」
由香里は思わず声を上げるなり、頬を真っ赤にして、俯いた。
「ポヤポヤー?どーしたポニョ~?」
茜は、一瞬首を傾げながら振り向くと、そこに立つ三度笠に藍色の引き回し合羽の男を見て…
「なーるへそー。」
と、ポーンと一つ手を打つ政樹と顔を見合わせて、ニマーッと笑い出した。


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