兎神伝
紅兎〜追想編〜
(25)恋敵(7)
『眠ったか…』
泥酔していて眠りこけていた筈の和幸は、静かに起き上がると、菜穂と希美の寝顔を見て笑みを浮かべた。
しかし…
そこには、もう一つある筈の朱理の寝顔がなかった。
『シンさん、今夜だけだぞ。アケちゃんを貸してやるのは…』
和幸は、心の中で呟くと、部屋の刀掛けに飾ってある太刀に手を伸ばした。
『和幸殿、これを貴殿に預ける!』
立ち合いを挑んできた数日後…
再び鼻息荒く和幸の前に姿を現すと、進次郎は徐に一振りの太刀を差し出した。
『これは…幻の名刀、青霧島…』
『オォーッ!やはり、存じておったか!』
『伝説の刀鍛冶、霧島秀蔵(きりしましゅうぞう)が鍛えたと言う、幻の太刀の一振りだ。他に、黒霧、赤霧島、白霧島があると聞いておりますが…』
『赤霧島は父が、白霧島は兄が、黒霧島は拙者が所持してござる。』
言うなり、進次郎は自身の腰に差す太刀を、和幸に見せた。
『されど…何故、これを私に…家宝なのではありませんか?』
和幸が首を傾げると…
『だから、貴殿に預けたい。朱理殿を、今のままのお気持ちで、いつまでも大切になさると…決して、粗略に扱わない、捨てたりなさらないと言う約束の印としてな…』
『もし、違えれば?』
『その時は、今度こそ立ち合うて頂く!拙者の黒霧島と、貴殿の青霧島で…』
進次郎がニィッと笑うと、和幸も満面の笑みを浮かべた。
そして…
『承知、致しました。この太刀、確かにお預かり致します。いつの日にか、進次郎様と立ち会う日まで…』
和幸が恭しく青霧島を掲げて言うと…
『それとな、一つ頼みがあるんだが、聞いて下さらぬか?』
進次郎は、些か苦飯噛み潰したような顔して言った。
『頼み?』
『貴殿と拙者は…その…同じ女に惚れた中だよな。』
『いかにも…』
『ならば、我らは兄弟だ!兄弟の間に、堅苦しい物言いは無用!拙者の事もシンと呼んでくれ!』
言うなり、進次郎は、パーンッと和幸の肩を叩いた。
『承知!ならば、私…いや、僕の事は、カズと呼んでくれ!シンさん!』
和幸も、進次郎の肩を叩き返して言った。
『それと…』
『何だ?』
真っ直ぐ目線を返して進次郎が問い返すと…
『アケちゃんに手を出すなよ…』
和幸は言うなり、貰ったばかりの青霧島を抜き放って、進次郎の眉間ギリギリに振り下ろした。
進次郎は、微動だにせず、ただニィッと笑っている。
和幸も同様に笑っていた。
『幼い頃から、抱いて抱かれて生きる我らだ…アケちゃんを抱くなとは言わん。あの子に対するその気持ちがある限り、時に求めあって抱き合う事もあるだろう。
だが、あの子は、僕のものだ。誰にも渡さん!もし、あの子を僕から奪おうとするなら、僕こそこの太刀でシンさんに立ち合いを所望する!』
『望むところだ!』
言うなり、進次郎も黒霧島を抜き放って、切っ先を和幸の顔に突きつけた。
更に…
『そう言う立ち合いなら…一日も早く、貴様と立ち会ってみたくなったわ!』
『僕もだ!』
二人は、そう言い交わすと、声高らかに笑い出した。
「シンさん、アケちゃんを奪うんじゃないぞ…」
和幸は、あれから一度も抜いた事のない手入れの行き届いた青霧島に向かって言った。
「アケちゃんを奪ったら…こいつを抜かなくてはならんからな…
シンさん、負けないぞ…
アケちゃんもナッちゃんも…
死ぬまで僕のものだ。」
そう言って見上げる天井の彼方には、今となっては遙か昔、朱理を通して兄弟の契りを交わした時の光景が、まざまざと浮かび上がっていた。
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