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サテュロスの祭典

神話から着想を得た創作小説を掲載します。

兎神伝〜紅兎二部〜(27)

2022-02-02 00:27:00 | 兎神伝〜紅兎〜追想編
兎神伝

紅兎〜追想編〜

(27)黄河

和幸は、青霧島を刀掛けに置くと、また、菜穂と希美の寝顔を見つめた。
既に酔いは冷めている…
いや、厳密には、最初から酔ってなどいなかったのだ。
『頂きまちゅ、言えたよ…』
『ハーシ、ハーシ、美味ちいね…』
『我慢、我慢、お利口ね…』
『天麩羅貰った、天麩羅貰った…』
希美が、寝言を呟きながら、クスクス笑っている。
最近、以前のように夜泣きをする事も、オネショをする事もなくなった。
毎晩、どんな夢を見ているのか、いつも笑っている。
そんな希美を、菜穂が愛しそうに抱いて眠っている。
菜穂もまた、腕の中から赤ん坊が消える夢に飛び起きる事がなくなった。いつ目覚めても、必ずそこには子供の温もりと笑顔があり、決して消える事がなくなったからだ。
愛しい妻に、可愛い娘…
『お父さん!怒るなんて酷いじゃない!希美ちゃん、ちゃんといただきますも言えるようになったし、お箸で食べられるようにもなったのよ!』
『もう!何度言えばわかるのよ!希美ちゃん、身体(からだ)は十歳でも、中身はまだ三歳の子と同じなのよ!』
希美を叱る度に、食ってかかる菜穂の顔が過ぎる。
厳しい父に優しい母…
幼い頃…
こんなありふれた家族の光景に、どれ程憧れた事だろう。
特に、深い愛情に裏付けられた、厳格な父親の存在…
父が欲しかった…
ずっとずっと、父親が欲しかった。
『革命の日…』
窓を開け、遥か西の彼方を見つめて、呟いた。
和幸に故郷も故国もない。
故郷と呼ぶには、神領(かむのかなめ)は余りにも過酷であり、神領(かむのかなめ)の存在を黙認する皇国(すめらぎのくに)は、故国と呼ぶには余りにも冷酷であった。
もし、そう呼べるものがあるとすれば…
生まれて初めて、父親の温もりを教えてくれた、あの人の国…
『父さん…貴方の国にも、雪は降るのでしょうか?冷たい風が吹くのでしょうか?』
瞼に見える父の祖国に、雪もなければ冷たい風もない。
いつも朗らかな日が差し、人は皆、笑顔で田畑を耕し、漁に出かけている。
その笑顔の人々に貧富の差も身分の差も、男女の差もない…
皆、平等に働き、平等に富を享受し、平等に楽しみ歌っている。
そして、母なる黄河の大爆流…
穏やかな、それでいて何処か威厳に満ちたあの人が、豪快に笑いかけながら、自分の肩を抱いて、共に見つめている。
彼に会ったのは、まだ、一度しかない。
しかし、領外(かなめのそと)の者の潜入を一切認めない神領(かむのかなめ)に、ただ自分に会う為だけに命がけでやって来たと言う彼に、会った瞬間から、この人こそ自分の父親だと強く感じた。
『最後に一度だけ、私を父と呼んでくれないか…』
別れ際に爽快な笑みを傾けて、彼は和幸に言った。
『私には子がない。幸い、血が繋がらなくとも娘となってくれた子はいる。だが、息子を持つのが、私の生涯の夢だったのだ。』
和幸は、大きく頷き…
『父…父…父…さ…』
いざ、口にしようとすると、なかなか出てこない。
長らく夢見続けた父…
その父が、目と鼻の先にいる。
だのに、肝心の言葉が出てこないのだ。
『父…さん…』
ようやっと口に出てきた時、あの人は満面の笑みを浮かべて…
『もっと、大きな声で…大きな声で…』
『お父さん!』
和幸が声を張り上げると、あの人は思い切り抱きしめてきた。
想像していたより遥かに力強く、暖かかった。
何より、深い匂いがした。
『必ず、また来るからな。その時は、解放軍と共にやってくる。共に革命を実現させ、北の楽園にも匹敵する…いや、それ以上に美しい国を、この地に築こう。』
『はい!』
あの人と和幸は、互いに、大きく頷きあって、道を左右に別れようとした時…
『父さん…』
和幸は、もう一度振り返って、あの人を呼んだ。
『どうした、和幸。やはり、私と来てくれる気になったか?』
あの人も、もう一度振り返って、顔を輝かせた。
『いえ…』
和幸は、一瞬口ごもった後…
『革命の日が訪れたら…一緒に食事をして頂けませんか?』
『食事か。』
『はい!父さんと一緒に食事がしたい!』
『良いだろう。』
あの人は、更に顔を輝かせて言った。
『和幸、知ってるか?楽土にはな、黄河と言う大河があるんだぞ。』
『黄河?』
『海のように巨大な大河だ。地上に生きる全ての人類は、黄河の辺りで誕生した。黄河に育まれて豊かな文明を築きあげたのだ。
その黄河の辺りに小さな家を建て、小さな畑を耕し、その畑で出来たもので、料理をするんだ。
うまいぞ!楽土にはな、皇国(すめらぎのくに)では想像もつかない美味いものがたくさんあるんだ。腹一杯、二人で食おう!』
『はい!父さん!』
しかし、あの人は来なかった…
あと一歩で『革命の日』が訪れると思った日に、彼は来ず…
多くの仲間達が…
『何かの間違いが起きたのですよね…父さんは僕を裏切らない…
この次は…
この次こそは…
必ず、楽土の解放軍を率いて、迎えに来てくれるんだ…
兎神子(とみこ)達皆を解放し、この地を北の楽園以上の楽園にして下さるんだ…
ユカ姉さんと里一さんは晴れて夫婦になれる。アッちゃんはヒデと、茜ちゃんはマサと、みんな幸せに暮らせる。
愛ちゃんも聖領(ひじりのかなめ)に渡さずに済む。愛ちゃんが産んだ子も、見ず知らずの人に渡さずに済む。
何より…』
和幸は、スッと寝床に戻ると、菜穂と希美の頭を交互に撫でてやった。
二人ともよく眠っている。
『父さん…あの日、夢にまで見た父さんが出来て最高に嬉しかった僕が、今は父親になったのですよ。
父さんに見せたい…
僕の妻と娘を…
抱いて欲しい、父さんの孫娘を…
僕の父さん…
僕の妻…
僕の娘…
僕の家族…
みんなで暮らすんだ…
黄河の辺りで、小さな畑を耕しながら、みんなで暮らすんだ。』
心の中で呟きながら、希美と菜穂の頭を交互に何度も撫で回す和幸の脳裏に、また、同じ光景が過って行った。
息を呑むほど激しい大爆流…
全人類を生み出したと言う、凄まじいまでの大爆流…
母なる黄河の流れに圧倒される和幸達家族三人を、たった一度だけ会い、父と呼んだあの人の豪快な笑顔…
いつまでも消える事なく、過ぎり続けた。


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