風景居酒屋 ごじゃ満開

2011年03月11日14時46分、東日本大震災発生
(since 2007/8/15)。

1902)南部ワンデイハイク 紫波町(11景目 旧新田町)

2014年07月17日 | 岩手彷徨
 ちょっと前の新聞にふるさと納税の記事が載っていましたが、千葉県船橋市がふるさと納税をした人に特典として「ふなっしー」のクリアファイルを進呈し始めたところ1ヶ月で過去最高の納税額を上回ったそうです。「非公認キャラを餌に募るとは、公認キャラのふなえもんも形無しだなぁ」と思ったのですが、ネットに載っていたクリアファイルでは両者が手を取り合っていました。



 北上してきて足を入れた日詰商店街の南側は半商半農の人々が住んでいた多かったことに由来して「新田町(しんでんまち)」と名が付いたとされています。一方で近江商人系の店舗が江戸時代から近代まで店を構えてもいました。

 そんな旧新田町で目を引くのは「平井邸」です。平井氏は江戸初期に創業した豪商で、現在の家は12代目の政治郎が1921(大正10)年に建てたものです。レンガ造りでしょうか、高い塀が目立ちます。泥棒除けかと思いましたが、説明板によると火災除けだそうです。平井邸のお披露目の時には時の首相原敬もお祝いに駆けつけたそうです。


(平井邸と旧新田町 -紫波町日詰 14/06/21-)

 この旧新田町には旅人が馬を乗り換える「駅」もあったそうで、「郡山駅」という地名が住居表示に残っています。どこかにあるかと思いキョロキョロしたところ、電柱の広告に「日詰字郡山駅」とあるのを見つけました。


(ステーションは無いけれど郡山駅 -紫波町日詰 14/06/21-)

 何気なく「説明板によると」と申しましたが、この先も含めて日詰商店街には旧町ごとに説明板が建っており、無知な私に町の案内をしてくれます。新田町の説明板はその半分以上が平井氏に関する記述でした。それだけ大きく扱われているにも関わらず当の平井邸前には説明の類は一切なく、「黙して語らず」でした。

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