地粉うどん「せき麺」のブログ!

せき麺の商品案内とイベント出店情報
相模原市の特産品情報
チョッと一服「肴」コーナー

語録!

2012年06月14日 06時00分00秒 | こころ
津久井城シリーズ3商品完成! 『津久井城釜揚うどん』『津久井城清流うどん』『津久井城陣屋そば』

相模原市の特産品・お土産品「せき麺」の商品とイベント情報!

おはようございます「地粉うどんのせき麺」です

製造工程はこちらです「画像で工場見学

製造製品はこちらです「画像で商品一覧

せき麺のお買い物はこちらから

今日は亡きばぁばの誕生日です
大正13年甲子(きのえね)生まれです
甲子園球場と同い年なんですね
甲子園の名前は甲子(きのえね)から来ているようです

ばぁばの語録
満れば欠ける世の習慣い
出来る堪忍誰もするならぬ堪忍するが堪忍
牛も千里、馬も千里
こども叱るな来た道だ、年寄り笑うな行く道だ
・・・まだまだ沢山あったけれど思いつかない!
そうそう、バァバが好きな歌は「美しき天然(天然の美)」だった
葬儀の時にこの歌で送ってやった・・・!

出来の悪い愚息を見ていてくれるかな・・・!








津久井城ブランドブログ



Vita 町田・相模原の生活応援ポータルサイト

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子と母の手紙!

2012年03月19日 05時55分55秒 | こころ
津久井城シリーズ3商品完成! 『津久井城釜揚うどん』『津久井城清流うどん』『津久井城陣屋そば』

相模原市の特産品・お土産品「せき麺」の商品とイベント情報!

おはようございます「地粉うどんのせき麺」です

せき麺のお買い物はこちらから

続けて、致知です!

5歳の重度脳性マヒの少年が、その短い生涯の中でたった一篇、命を絞るようにして書き残した「ごめんなさいね おかあさん」ではじまる詩


ごめんなさいね お母さん
ごめんなさいね お母さん

ぼくが生まれて ごめんなさい
ぼくを背負う かあさんの
細いうなじに ぼくはいう

ぼくさえ 生まれなかったら
かあさんの 白髪もなかったろうね

大きくなった このぼくを
背負って歩く 悲しさも

「かたわな子だね」とふりかえる
つめたい視線に 泣くことも

ぼくさえ 生まれなかったら

ありがとう お母さん
ありがとう お母さん

お母さんが いるかぎり
ぼくは生きていくのです

脳性マヒを 生きていく
やさしさこそが 大切で

悲しさこそが 美しい
そんな 人の生き方を
教えてくれた お母さん
**********************************

『わたしの息子よ』 (お母さんから「やっちゃん」への詩)

私の息子よ ゆるしてね  
わたしの息子よ ゆるしてね 
このかあさんを ゆるしておくれ

お前が 脳性マヒと知ったとき 
ああごめんなさいと 泣きました 
いっぱいいっぱい 泣きました

いつまでたっても 歩けない  
お前を背負って歩くとき  
肩にくいこむ重さより  
“歩きたかろうね”と 母心

“重くはない”と聞いている  
あなたの心が せつなくて
わたしの息子よ ありがとう  
ありがとう 息子よ

あなたのすがたを見守って  
お母さんは 生きていく

悲しいまでの がんばりと  
人をいたわるほほえみの 
その笑顔で 生きている  
脳性マヒの わが息子
そこにあなたがいるかぎり





さて、今日も特売です
ご来店お待ちしています







津久井城ブランドブログ


Vita 町田・相模原の生活応援ポータルサイト

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

心を洗ってくれる「小さな人生論」!

2012年03月18日 05時55分55秒 | こころ
津久井城シリーズ3商品完成! 『津久井城釜揚うどん』『津久井城清流うどん』『津久井城陣屋そば』

相模原市の特産品・お土産品「せき麺」の商品とイベント情報!

おはようございます「地粉うどんのせき麺」です

せき麺のお買い物はこちらから

今朝も人間学を学ぶ月刊誌「致知」にあった文章です
致知出版社社長の藤尾 秀昭氏が書いた
「小さな人生論」にある文章です
(無断借用しました!ごめんなさい)

喜怒哀楽の人間学

 少年は両親の愛情をいっぱいに受けて育てられた。
 殊に母親の溺愛は近所の物笑いの種になるほどだった。

 その母親が姿を消した。
 庭に創られた粗末な離れ。そこに籠もったのである。
 結核を病んだのだった。
 近寄るなと周りは注意したが、母恋しさに少年は離れに
 近寄らずにはいられなかった。

 しかし、母親は一変していた。
 少年を見ると、ありったけの罵声を浴びせた。
 コップ、お盆、手鏡と手当たり次第に投げつける。
 青ざめた顔。長く乱れた髪。荒れ狂う姿は鬼だった。
 少年は次第に母を憎悪するようになった。
 悲しみに彩られた憎悪だった。

 少年六歳の誕生日に母は逝った。
 「お母さんにお花を」と勧める家政婦のオバサンに、
 少年は全身で逆らい、決して柩の中を見ようとはしなかった。
 父は再婚した。少年は新しい母に愛されようとした。
 だが、だめだった。

 父と義母の間に子どもが生まれ、少年はのけ者になる。
 少年が九歳になって程なく、父が亡くなった。
 やはり結核だった。
 その頃から少年の家出が始まる。
 公園やお寺が寝場所だった。
 公衆電話のボックスで体を二つ折りにして寝たこともある。
 そのたびに警察に保護された。
 何度目かの家出の時、義母は父が残したものを処分し、
 家をたたんで蒸発した。

 それからの少年は施設を転々とするようになる。

 十三歳の時だった。
 少年は知多半島の少年院にいた。
 もういっぱしの「札付き」だった。
 ある日、少年に奇跡の面会者が現れた。
 泣いて少年に柩の中の母を見せようとした
 あの家政婦のオバサンだった。
 オバサンはなぜ母が鬼になったのかを話した。
 死の床で母はオバサンに言ったのだった。

 「私は間もなく死にます。
 あの子は母親を失うのです。
 幼い子が母と別れて悲しむのは、
 優しく愛された記憶があるからです。
 憎らしい母なら死んでも悲しまないでしょう。
 あの子が新しいお母さんに可愛がってもらうためには、
 死んだ母親なんか憎ませておいたほうがいいのです。
 そのほうがあの子は幸せになれるのです」

 少年は話を聞いて呆然とした。
 自分はこんなに愛されていたのか。
 涙がとめどもなくこぼれ落ちた。
 札付きが立ち直ったのはそれからである。
 作家・西村滋さんの少年期の話である。




 喜怒哀楽に満ちているのが人生である。
 喜怒哀楽に彩られたことが次々に起こるのが人生である。
 だが、その表面だけを掬い取り、
 手放しで受け止めてはなるまい。
 喜怒哀楽の向こうにあるものに思いを馳せつつ、
 人生を歩みたいものである。
 
 その時、人生は一層の深みを増すだろう。
 われわれが人間学を学ぶ所以もそこにある。
 
 中江藤樹の言葉がある。
 「順境に居ても安んじ、逆境に居ても安んじ、
  常に担蕩々として苦しめる処なし。
  これを真楽というなり。
  萬の苦を離れてこの真楽を得るを学問のめあてとす」

この一文何度読んでも母親や息子の思いが感じられ
涙がこみ上げてくる。

喜怒哀楽には、必ず深い意味がある。
この試練が自分に氣がつかせたいものは、何か。

それを氣がつかせてくれるきっかけとなる人間学。
実に味わい深い。


この「小さな人生論」には、
もっともっと心を洗ってくれる
お話がたくさん書いてあります
是非、読んでみてください!







津久井城ブランドブログ


Vita 町田・相模原の生活応援ポータルサイト

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

致知にあった言葉!

2012年03月16日 10時53分36秒 | こころ
津久井城シリーズ3商品完成! 『津久井城釜揚うどん』『津久井城清流うどん』『津久井城陣屋そば』

相模原市の特産品・お土産品「せき麺」の商品とイベント情報!

「地粉うどんのせき麺」です

せき麺のお買い物はこちらから

今日二度目のアップです!
人間学を学ぶ月刊誌「致知」にあった文章です

縁を生かす

その先生が五年生の担任になった時、
一人、服装が不潔でだらしなく、どうしても好きになれない少年がいた。
中間記録に先生は少年の悪いところばかりを記入するようになっていた。
ある時、少年の一年生からの記録が目に留まった。
「朗らかで、友達が好きで、人にも親切。 勉強もよくでき、将来が楽しみ」とある。
間違いだ。他の子の記録に違いない。先生はそう思った。
二年生になると
「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」と書かれていた。
三年生では「母親の病気が悪くなり、疲れていて、教室で居眠りする」
後半の記録には「母親が死亡。希望を失い、悲しんでいる」とあり、
四年生になると
「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、子どもに暴力をふるう」
先生の胸に激しい痛みが走った。ダメと決めつけていた子が
突然、深い悲しみを生き抜いている生身の人間として自分の前に立ち現れてきたのだ。

先生にとって目を開かれた瞬間であった。
放課後、先生は少年に声をかけた。
「先生は夕方まで教室で仕事をするから、あなたも勉強していかない?
 分からないところは教えてあげるから」少年は初めて笑顔を見せた。
それから毎日、少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。
授業で少年が初めて手をあげた時、先生に大きな喜びがわき起こった。
少年は自信を持ち始めていた。

クリスマスの午後だった。
少年が小さな包みを先生の胸に押しつけてきた。
あとで開けてみると、香水の瓶だった。
亡くなったお母さんが使っていたものに違いない。
先生はその一滴をつけ、夕暮れに少年の家を訪ねた。
雑然とした部屋で独り本を読んでいた少年は、
気がつくと飛んできて、先生の胸に顔を埋めて叫んだ。
「ああ、お母さんの匂い! きょうはすてきなクリスマスだ」
六年生では、先生は少年の担任ではなくなった。
卒業の時、先生に少年から一枚のカードが届いた。
「先生は僕のお母さんのようです。
そして、いままで出会った中で一番すばらしい先生でした」


それから六年。またカードが届いた。
「明日は高校の卒業式です。僕は五年生で先生に担当してもらって、
 とても幸せでした。おかげで奨学金をもらって医学部に進学することができます」

十年を経て、またカードがきた。
そこには先生と出会えたことへの感謝と
父親に叩かれた体験があるから
患者の痛みが分かる医者になれると記され、
こう締めくくられていた。
「僕はよく五年生の時の先生を思い出します。
 あのままだめになってしまう僕を救ってくださった先生を、
 神様のように感じます。
 大人になり、医者になった僕にとって最高の先生は、
 五年生の時に担任してくださった先生です」

そして一年。届いたカードは結婚式の招待状だった。
「母の席に座ってください」と一行、書き添えられていた。


たった一年間の担任の先生との縁。
その縁に少年は無限の光を見出し、
それを拠り所として、 それからの人生を生きた。
ここにこの少年の素晴らしさがある。
人は誰でも無数の縁の中に生きている。
無数の縁に育まれ、人はその人生を開花させていく。
大事なのは、与えられた縁をどう生かすかである。





津久井城ブランドブログ


Vita 町田・相模原の生活応援ポータルサイト

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

折鶴

2011年04月20日 06時00分00秒 | こころ
津久井城シリーズ3商品完成! 『津久井城釜揚うどん』『津久井城清流うどん』『津久井城陣屋そば』

相模原市の特産品・お土産品「せき麺」の商品とイベント情報!

おはようございます「地粉うどんのせき麺」です

さくら祭の会場で、二日間ただひたすらに
折り続けた鶴!
市役所に三房届けました
はじめは、折鶴はきれいで、被災地で
避難所に飾れば、見ていて心が和む!と思っていた

被災地に行って直接現状を目のあたりにして
色々思いました
・・・もしかして、義援金なんかより
この鶴のほうが、はるかに価値があるのではないのかと思った
慰めの言葉も掛けられない、無力さを感じた時に、
本当にありがたいのは、ただただ折り続けた
心のこもった、大勢の方の汗の結晶「折鶴」の方が
良いのではないかと・・・!

あの壊滅的な現実の中で数百万円のお金よりも、
よっぽど価値があってありがたいかもしれない!
金銭よりも心が届く気がした
と言うより、義援金だけでは、心が届かなかったかもしれない

折鶴の話なんかしていないのに、
避難している人が「折鶴が届いています」って言っていました
さくら祭で送ったものかどうかはわかりませんが、
送って良かったな!と心から思いました

気持ちを形にするのは、難しいなぁ





せき麺のお買い物はこちらから




Vita 町田・相模原の生活応援ポータルサイト


ブログパーツ アクセス解析
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする